3-5




ソファーに座るミスターホームズの膝に抱かれながら、ひっくひっくと涙の名残を引きずっていた。
ミスターホームズは私をあやしているつもりなのか、それともいつもの癖のハミングなのか、小さく鼻歌を歌いながら私の背中をぽんぽんとゆっくり叩いていた。

その後ほどなくして大きな荷物と共に帰って来たホームズ夫妻とマイクロフトが見たのは、怒れるシャーロックと、赤ひげをめちゃくちゃに抱きしめて大号泣する私。
私の顔は赤ひげに舐められたせいでベタベタになり、涙と赤ひげの涎で赤く腫れていた。

シャーロックが私を苛めたのか、それとも怪我でもしたのかと慌てたホームズ夫妻がシャーロックを問い質し、彼が事の顛末を説明し終わってようやく彼らに安堵の表情が戻った。
そして顔中を綺麗に拭かれ、抱かれ揺らされあやされ、なんとか涙を引っ込めることに成功し今に至る。
序でに私と同列に宥められたシャーロックは、赤ちゃん扱いされたと臍を曲げている。


「シャーロック。」


ミスターホームズが鼻歌を止めて話しかけると、少し離れた椅子の上にいたシャーロックが不機嫌そうな視線を寄越した。
そんな息子にもミスターホームズは優しい笑みを向ける。


「君は大人になったら何になるんだい?」

「……海賊。」


父親の質問に、シャーロックは持っていた本の表紙を向けた。
TreasureIslandと独特な筆記体で書かれたタイトルの下に帆船の絵が描かれている。
ミスターホームズはそれを聞いてふぅむと唸り、「なるほど。」と言った。


「スティーブンスンは他の本も名作だよ。読んでみると良い。……エレナは?」


質問をこちらに向けられ、完全に涙が渇いた顔を上げる。
うーん……と少し悩んでから、ぱっとなりたいものを思いついて目を輝かせた。


「あのね!プリンセスになりたいの!」

「……ふふん。」


私が揚々と将来なりたいものを発表した途端鼻で笑ったシャーロックをキッと睨み付ける。


「だって、プリンセスって何処かの国のロイヤルファミリーの娘のことだ。もう無理じゃないか。」


責めるような私の表情に、シャーロックは手の平を天に向け肩を竦めて返した。
なんだかよく分からないけれど、プリンセスにはなれないらしい。


「ははは。そんなの分からないさ、シャーロック。たしかにエレナは生まれつきのプリンセスではなかったけれど、どこかの王子様みたいな人に見初められたらプリンセスにしてもらえるかもしれないよ。ね、エレナ。」

「うん!」


なんだかよく分からないけれど、プリンセスになれる望みはまだあるらしい。
優しく髪を撫でてくれるミスターホームズに頭を凭れた。
シャーロックは、父の言葉に一瞬眉を上げ、(それはどうだろうか。)と言うような表情を見せた。
ミスターホームズは息子の心を読み取り、小さく笑う。


「それでは、エレナはプリンセスになるために努力をしなくてはね。君のママはとても綺麗な人だから、きっと君も美しくなるだろう。
その美しさに磨きをかけるために、賢く心優しい人でなくてはいけないよ。オーロラもスノウホワイトも優しくてチャーミングだろう?」

「うん。」

「努力なくしては、王子様が君に気付かず通り過ぎてってしまうかもしれない。」


ビューンと口から擬音を発し、指先で通り過ぎるジェスチャーをしながらおどけるミスターホームズにくすくすと笑った。


「じゃあ、海賊になるには?」


くすくす笑いを続けながら私がミスターホームズに問うと、彼はそうだなあ、と宙を見上げた。


「とりあえず、体力は要りそうだね。沢山の金銀財宝を船に運ばなきゃいけない。台車を使ったら間抜けだしね。それに、語学力。どんな島に着いても言葉が通じた方が便利そうだ。
あとは……海の生物の知識と、もちろん釣りの達人であるべきだし、ああそうだ、お宝を換金しなければいけないから数学も出来た方が良い。ワォ、シャーロックは大変だ!」


彼が大げさに驚く様子に、私はキャラキャラと大笑いし、シャーロックは煩わしそうに片目を細めた。
笑い続ける私の髪をミスターホームズは優しく撫で、乱れた横髪を耳に掛けてくれた。


「マイクロフトが学校に行くのは、そういう夢を叶える為なんだよ。」


ふいにミスターホームズが口にしたマイクロフトの名前に、笑いを消した。


「マイクロフトは、なりたい仕事に就くためのステップの1段目として、9月からパブリックスクールへ行く。勉強をしたり、将来のための友人を作ったりするために。」


仕方のない事だ、と彼は私とシャーロックを順番に見て微笑んだ。


「……マイクロフトは大きくなったら何になるの?」


小さな声でミスターホームズに問いかけると、彼はゆっくりと首を横に振った。


「さあね、それはマイクロフト本人しか知らない。彼はもう大人に近い年齢だから、私達も聞かない。」

「そっか。」

「マイクロフトが家を出て行く日は、今日みたいに泣かずに笑って送ってくれるね?」


ミスターホームズの温かい瞳に真っ直ぐ見つめられ、俯くように視線から逃れた。
彼の大きな背中に腕を回して、顔を覗き込まれないように胸に押し付けた。


「……うん。」

「いい子だ。」


小さく肯定をすれば、彼はまた大きな手で私の髪を撫ではじめた。

シャーロックは、ずっと黙って本の表紙の向こう側に顔を隠していた。








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