14-6
就職が決まり、後は卒業試験を残すだけとなったマイクロフトは度々家に帰ってくるようになった。
「こんなに家に帰れるのは今月までだよ。来月の卒業式が終ったら、ロンドンでの生活の為に色々準備をしなくてはいけないから。」
そう言いながら、最近の彼はホームズ家ではなく私の家に顔を見せにくるのだ。
きっと私があれから夜遊びに出ていないか気にしているのだと当時の私は考え、彼が登場する度信用が無いのね、と肩を落とした。
実際は私が夜遊びに出てない事など彼はハナから知っていた。
今でも彼は、私の日記よりも私の当時について詳細に語る事ができるだろう。
それより、その時の私の関心は、夜遊びよりもマイクロフトについてだった。
*
「公務員だよ。」
何の仕事をするの?と問うた私に、彼は簡潔にそれだけ言った。
今まで、彼が就職活動をしている様子は一切感じられず、他のホームズ家の家族も全く無関心かのようにその話題に触れなかったため、先日聞かされた彼の内定は私にとって突然のものだったのだ。
「公務員って、……何の仕事?」
「何の、とは?」
「役所とか、警察とか、色々あるでしょ?」
「ああ、政府の仕事だよ。」
ただ一言“公務員”と言われても、いまいちピンと来なかった私は、更に付け加えて問いかけた。
返って来た答えは、やはりザックリとしたもので、もっと詳しく話を聞こうと身を乗り出した私をマイクロフトは目で制した。
その視線に怯んで椅子に座り直した私に、ニッコリと笑みを見せた彼は、それ以上口を開くことなく静かに新聞に目を向けた。
こうなると、彼はもうしばらく何も答えてはくれないだろう。
*
「マイクは会計係になったのよ。」
マイクロフトに相手にされなくなった私がすごすごとホームズ家に向かうと、ミセスホームズが声を落として教えてくれた。
「会計係に?」
「ええ、そうよ。」
「会計ならマイクロフトにぴったりね。なんで私に教えてくれなかったのかしら。」
「あの子は未だにそういう気まぐれな所があるのよ。」
ミセスホームズはやれやれというように、僅かに首を振った。
*
「マイクロフトは、外務次官の秘書になったと聞いたよ。」
家に戻ろうとフラリと庭に出た所にミスターホームズが居たので話しかけると、彼は言った。
ミセスホームズから彼が会計係になったと聞かされたばかりだった私は思わず声を上げた。
「えっ」
「えっ?なんだい?」
「いえ、……そうなの?」
「ああ。彼は語学が堪能だからね。世界を飛び回る仕事はぴったりだよ。」
「ええ、そうね。本当に。」
車にワックスを掛けながら嬉しそうに話すミスターホームズに、一応同調した。
*
「……って話を聞いたんだけど、どっちが嘘なの?それともどちらも嘘?」
「さあね。」
マイクロフトと入れ違いのように夏休みに帰って来たシャーロックは全く興味なさそうな声を出し、座っていた椅子をクルリと回した。
「あなたは気にならないの?」
「何が?」
「マイクロフトの仕事。」
「なんで?」
「だってあなたののお兄さんじゃない。」
くるりくるりと椅子をゆっくり回していたシャーロックが、私の立っている方向で静かに回る座面を止めた。
「なぜ?マイクロフトが僕の学費でも払ってくれるなら多少気にはなるけど、彼が何の仕事に就こうが僕の生活には一切関係がないんだから、全く気にならないよ。」
「あ、そう。」
血のつながった弟がこれだもの。
私はハア、と大きく息を吐いた。
「お兄さんに対してでもそれだもの。きっとあなたは私がどんな仕事に就こうが、その会社が倒産しようが、悪い男と一緒になろうが、借金だらけになろうが、生活苦で犯罪に手を染めようが、逮捕収監されようが、遂にはドーバーの崖から飛び降りようが、一切意にも介してくれないんでしょうね。」
まったく友達甲斐のない……。
シャーロックは私の言葉に驚いたように目を丸めたと思うと、面白そうに目を細めた。
「よく一瞬でそんなにネガティブな未来展望ができるな。……まあ、もし本当にそんなに最悪な人生を君が送ることになったとして、気が向いたら手を差し伸べてあげるよ。」
にやにやと口元に笑みを浮かべるシャーロックが再度クルリと椅子を回した。
「あ、でも。」
もう一周椅子を回そうとしたところで、長い足を伸ばして回転を止める。
何かに気付いたような顔をしたシャーロックは、酷く真面目な顔をしている。
「ドーバーに行った時点で、手助けはなしだ。本当に死にたい人間はドーバーの崖になんか行かない。あそこに行くのは観光客だけだ。ドーバーって!白く美しい崖に感動して飛び降りるって?!……観光する気満々じゃないか。」
無表情の状態で言いだしたのに、話しているうちに可笑しくなったのか徐々に口元を緩めるシャーロックをじっとりと睨んだ。
ドーバーとか、場所の問題じゃない。気が向いたら手を差し伸べてくれるのでは駄目なのだ。
私なら彼がつらい時にはきっと力になりたいと思うのに。
がっかりだ。まったく、友達甲斐のないやつなのだ。
もうシャーロックなんか知らないとすっかり臍を曲げて立ち上がる。
リビングに向かおうと踵を返すと「ちょっとまってエレナ。」と呼び止められた。
むっつりした顔で振り返ると、彼は指先にカードサイズの紙を挟みこみ私に見えるように腕を伸ばした。
「最近覚えたんだ。見てて。」
そう言って、一瞬指先を曲げたかと思うと次の瞬間には彼の指先にはカードは挟まってなかった。
手品だ。
「……っ!!!すごい!!どうやったの?!ねえ、もう一回見せて!!」
今の今までの拗ねた気持ちは、一旦何処かへ吹き飛んで行ってしまった。
我ながらチョロイと思うのだが、実際若い頃の私はチョロかったのだ。
ぴょんぴょん飛びながら駆け寄った私にシャーロックは、なにも持っていない指先を一瞬曲げ、またカードを登場させて見せた。
「すごい!……ねえ、もう一回!!」
小さなカード一枚であっという間に私の機嫌を直して見せたシャーロックは、にっこりと得意気に笑った。
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