15-1




“エレナはブラザーコンプレックスなんじゃないか。”と、バーニーがアビーに相談したらしい。


「うーん、まあ。相談と言う程でも無かったんだけど。でもホラ、あなた達ったら二人ともお互い満更でもないのに、いつまでたっても付き合わないでしょ。」


学校の中庭、芝生の上で向かい合わせで腰を下ろしたアビーは、私の方を見ないままそう言った。
今日は珍しく晴れているとはいえ、風はまだ寒い。
しかし暗い冬が長く続いた後の春を感じさせる貴重な晴れ間、私達はどちらが提案するでもなくまだ青くなっていない芝生の上に向かった。

なぜ私たちが隣り合って座らず向かい合っているかというと、アビーは今、芝生の上に座ったまま、彼女の長い足の爪先にペディキュアを塗ろうとしているからだ。
つまり、彼女の体勢が……開いた膝の間に上半身を倒し身体を縮こませていて、この格好だと前から彼女の下着が見えてしまうのだ。
もし私がこんなポーズをとったら、ホームズ夫妻は眉を顰め“エレナ、女の子は人前でそんな恰好をするものじゃないよ。”と優しく、しかし有無を言わさない口調で注意をするだろう。
しかし、そんな事に気を使って制服のスカート丈を伸ばすような彼女じゃないから私がせめて向かい側に座ってそれとなく周りからの視線をシャットアウトする必要があった。


「ブラザーコンプレックスって……あいにく私は一人っ子よ。」

「何言ってるのよ。居るじゃない二人も。そのうち一人は彼が家を出るまで一緒に寝てたんでしょ。十分ブラコンだわ。むしろ、血が繋がってないだけ性質が悪いわね。」


彼女はエナメルの付いた筆先で私を指し示して苦い顔をする。
実は彼が帰ってくれば未だに同じベッドに入る事を言えるような雰囲気ではなく、大人しく口を噤む。

バーニーが不満を覚えるのも仕方が無かった。
しかし、その場合シャーロックは関係ない。
シャーロックとバーニーを会わせたことは今までに一度も無いし、バーニーはシャーロックの存在すら知らないだろう。
シャーロックも、音楽好きな友達が私に出来た事くらいは察するかもしれないけど、まさかそれが男の子で、お互いほんのり好きあっていて、決定的な告白をしようとすると毎回マイクロフトに阻まれる事は知る由も無いはずである。

そう。
私達が何となく良い雰囲気になると、途端にマイクロフトから連絡が入るのだ。
全く不思議。

最初は“ホームズ家に電話しても繋がらないから君から伝言を伝えてくれ。”という感じの内容が主だったのに、そのうち“君が去年の今頃観たと言っていた映画はなんだったかな。”とか、“ママの誕生日に帰れないから贈り物をしたいんだけど代わりに買い物を頼めるかい。”とか、下らない事や急ぎでない用事が殆どになっていった。
ついに“そういえば君の進路を聞いてなかったと思ってね。ちゃんとGCSE(試験)の勉強はしているのか?まさか男を連れ込んで遊んでなどいないだろうね。当然評価はA以下のレベルは認められないよ。あの程度全教科Aスターを取って当然の所なのだから。”と説教を始めるようになり、本当にうんざりしてしまった。
しかもその後に“君は唯でさえしつこく勉強しなければ頭の中に入れる事が出来ないのだから。私とは違って。”と付くのも余計なお世話だ。
ホームズ夫妻だって、ママでさえ、私の勉強についてそんなに口やかましい事を言った事は一度たりともない。マイクロフトだけだ。

とにかく私も、口には出さないけどバーニーも、マイクロフトには辟易していた。
私がブラコンというより、マイクロフトがシスコンなのだ。
私が彼を兄と呼んだことは殆どないけれど、彼はいつも私を妹というし、間違いではないだろう。


「私はとっくに兄離れしてる。マイクロフトがシスコンなのよ。」

「……どっちでもいいわ。そんな事。」


アビーは呆れたようにチラリと私に視線を流し、マニキュアの蓋を閉め、ふう、と足のつま先に息を吹きかけた。
夏から半年以上たっても日焼けの名残のある彼女の素足は、春が訪れたばかりの冷たい芝生に放り出されても寒そうには見えなかった。

視界の端に、薄汚れたスニーカーの爪先が映り、視線を上げる。
ジャケットのポケットに手を突っ込んだバーニーが私たち二人を見下ろしていた。
彼は既に校内に併設されている6thフォームに通っていて、私服で通学している。
彼がジャケットの下に着ている黒いパーカーは一緒にトップショップに行ったときに買ったもので、ジャケットで隠れたポケットが可愛いことを私は知っていた。

以前は私とアビー、バーニーとピートの4人で過ごす事が多かった休み時間も、ピートが専門学校に進学したため、その4人組はなんとなく解散した。
しかし、校舎が分かれたバーニーは、校内で偶然会う頻度は減ったものの、私たちがこうやって屋外に出ていれば、必ず見つけて声をかけてくるのだった。


バーニーが片頬を釣り上げて笑う。


「何?俺の話でもしてた?」

「え?……あー。」


思わず言い淀む。


「してた。」

「ちょっと!アビー。」


パッと言い捨てるように口を挟んだアビーを咎めると、彼女は私達の横に立つバーニーを見上げて肩を竦める。
バーニーはそんな私たちのやり取りを見て、面白そうにクスクスと笑いながら腰をおろした。
そして、彼はアビーと何か意思を疎通させるように見つめ合った後、私を見る。


「ねえ、エレナ。」

「何?」

「えっと、……アー。」


アビーが頷いたのを合図にしたかのように口を開くと、彼はすぐに地面の芝生に目を落とし口ごもる。
そして、再度意を決したように彼は顔を上げて私を見た。


「エレナ。まだ少し先なんだけど、7月にパーティーがあるんだ。……その、俺のクラスの奴が企画して、それで……。」


言葉を選びながら話すバーニーの言葉に頷き、続きを促す。
彼は、ごくりと一つ息を飲みこんだ。


「だから、俺と、行ってくれないかな。……その……パーティに。」

「……え?」


思わず聞き返すと、彼は不安げな表情を滲ませる。
私の言い方が強かったかと慌てて、付け加えた。


「いえ、違うの。嫌なんじゃなくて。私、学年全然違うし……行っていいものなのかと、思って。」

「ああ、それなら、」

「私も行くわ。」


私の問いに、バーニーが答えるより前にアビーが口を挟んだ。


「アビーが?」

「ええ。」

「なんで?」


初めて聞いた話に矢継ぎ早に私が問いかけると、アビーは少しうるさそうに目を細めた。


「なんでって、だって、私モテるの。」

「それは知ってるけど。……ああ!ピートと行くの?」

「まさか!勘弁してよ!彼とは終わったもの。」

「ええ?は!?終わった!?」


また初めて聞く衝撃の事実だ。
どうやらバーニーも初耳だったようで目を見開いて私と顔を見合わせた。
ピートは私の妨害にもめげず、上手い事アビーのママを味方につけて彼女との交際に持ち込んだのだ。
そうなると私も彼を認めない訳に行かず、それ以降は彼の浮いた話も鳴りを潜めた為、二人共上手くいっているのだと安心していたのだ。


「いつ別れたの?」

「……俺も知らなかった。」


恐る恐る聞いた私に続くようにバーニーもショックを隠し切れない様子で呟いた。
アビーはそんな私たち二人を交互に見つめ、ふう、と大きく溜息を吐き、裸足の長い足を芝生の上に投げ出した。


「少し前。彼とあんまり会えなくなってから……エレナにはすぐには知られたくなかったの。」

「なんで!」

「だって、あなた、ピートのこと最初反対してたでしょ?あなたの思った通りになったわ。」

「そんなこと……。」

「だから、ピートにも言ったの。私から言うからバーニーにも黙っててって。」


アビーは勢いよく立ち上がると、ハイソックスを手に持ったまま裸足をローファーに突っ込んだ。
そして、微妙な顔のまま座り込んでいる私たち二人を見下ろした。


「そういう訳だから、ピートと私をセットで見るのはもうやめてね。でも、どうぞお気遣いなく。二人はパーティーに一緒に行って。」


彼女は短いスカートのプリーツを翻しながらくるん、と回った。
お尻についていた芝生の葉がヒラヒラと舞う。


「ピートと別れたってバーニーと友達なのは変わらないでしょ?別に気にしないわ。」


本当に何でもないように言って去って行くアビーの後姿を見つめ、隣のバーニーと視線を合わせた。
彼もどうしたらいいか分からない顔で、ゆるゆると首を振るだけだった。


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