15-4
永遠続くのではと思うほど長く続いたドライヤーの音がやむと、くるくるとした癖っ毛をいつもよりふんわりさせたシャーロックがバスルームから出てきた。
彼はもうピンクのバスローブは着ておらず、私が出したTシャツとショートパンツを身に付けていた。
そしてバスルームを出た彼は当然の流れとも言う様に玄関へ向かわず寝室へ向かう。
「oi!ストーップ、シャーローック。」
む、と不機嫌そうな顔でシャーロックが立ち止まる。
「何。」
「どこへ行く気?」
「どこって、寝室へ。」
私が目に力を籠めてシャーロックを見つめると、彼は私の視線の意図を伺うように目を細め、諦めたように顔を振った。
「なんだよ!ベッドを使うなら、使うって言えばいいじゃないか!」
「つ、使わないわよ!何言ってるの!」
バーニーとちょっと良い雰囲気になったところへそんな事を言われたので、過剰に反応してしまい、顔を赤らめる。
「使わないなら僕が使ってもいいだろ!」
シャーロックが尚も不機嫌そうに声を上げた。
「ゴホン!!ンン!!」
また言い争いになりそうな私とシャーロックの空気を変えるように、バーニーがわざとらしく咳払いをした。
そして、彼は私の手を取ってソファーから立ち上がり、数歩寝室前に立つシャーロックに近づく。
シャーロックがつんと顎を上げ、目を細めてバーニーを見た。
「えーーっと。」
立ち上がってみたものの、あまり考えがあるわけでなかったのか、バーニーは私の手を握っていない方の手で耳の後ろをガリガリと掻いた。
そして、にっと笑ってシャーロックを向く。
「あー、ハロー?」
バーニーは私の手を離し、まるで学校で独りぼっちになっている子に話しかけるように、友好的な笑顔でシャーロックに近づいた。
学校なら、彼の気安さでどんな頑なな人見知りもすぐに心を開くだろう。
しかし、ここは私の家、しかも悪いことに相手はあのシャーロックだ。
シャーロックは目の前に迫ったバーニーのつま先に目を遣り、2秒ほどの時間をかけて彼の頭の先までをくまなく観察した。
「やあ、えっと、俺はエレナのボーイフレンドで、バーナード・ダイアm、」
「運動が苦手。父親は機械工か車の整備士。お祖母ちゃん子で一人っ子だ。」
バーニーが友好的な笑顔を引き攣らせたまま固まった。
シャーロックはその様子をチラリと観察してから目を逸らし、なお続ける。
「指のタコは弦楽器によるもの。エレナとは音楽を通じて仲良くなった。彼女の最近の趣味からいってそのタコの原因はおそらくエレキギターだ。今朝、ここへ来る前にアフターシェーブローションを二種類つけてる。そういうのはお勧めしないな、匂いが混ざってる。エレナは匂いに敏感なはずだ、ねえエレナ。」
「シャーロック、もうやめて。」
機嫌の悪い時に無暗に観察眼を発揮して、目の前の気に入らない人間を追い詰める。
シャーロックやマイクロフトの悪い癖だ。
私の言葉に一瞬眉を上げたシャーロックだったが、聞こえなかったふりをして、尚も続ける。
「今朝の朝食はブルーベリーパンケーキ。じゃない、トーストだ。トーストにブルーベリージャム。お祖母ちゃんのキスを貰って……」
「シャーロック!!!」
半ば叫ぶように彼の言葉を遮った。
「いい、加減に、して。彼にこれ以上無礼を働くなら、今すぐホームズ家に電話しておばさんを呼ぶわ!」
殆ど口を動かさず、歯の隙間から絞り出すように忠告すると、シャーロックはその薄い唇をへの字に曲げてつんと顎を上げて顔を背けた。
「別に邪魔をする気なんてないよ、エレナ。君の友人にもゆっくりして行ってもらうといい。僕は失礼して寝室で休ませてもらう。」
ふんっと鼻を鳴らしながら彼が寝室の向こう側へ消え、気まずい空気と共にバーニーと私が取り残された。
「えっと、俺、帰った方が、いい……かな。いいよね。」
「……ごめんね、バーニー。……シャーロックが……、」
「あ、いや。君が謝る事じゃないよ!エレナ!」
すっかり力を無くした私に、バーニーが無理やり明るい声を掛けてくれる。
もう、こんな空気で帰らないでなんて彼に言えるはずもないし、言う気もなかった。
私はもうなんだかすっかり草臥れて、一人になりたい気分でもあったのだ。
「それにしても……。」
レンタルビデオのバッグを手に持った所でふとバーニーが顔をかしげた。
「なんで彼は、俺のばあちゃんの事やオヤジの仕事の事までわかったんだろ。君にも話したことないのに。」
私はもうすっかり気力を無くしていた。
思考力とか気遣いとかもどこかに置き忘れてしまうくらいに。
視線を斜めに落としたまま、彼の問いに答えた。
「あなたの頬にわずかに白粉とピンクパープルの口紅を拭った痕があるの。そんな色の口紅、お年寄りしか付けないわ。……あとは右そでとジーパンの後ろに機械油のシミがあるでしょ。外には自転車が停まっているし、バイクにも車にも乗らないことを考えると、それが付いたのは家族の仕事の関係でって可能性が高いってだけよ。」
ぼんやりと、シャーロックのタネ明かしをした後、はっと口を噤む。
しまった、私、つい……。
斜めに落としていた視線を恐る恐るバーニーへ向ける。
其処には引き攣った顔で、どこからどう見てもドン引きした彼が立ち尽くしていた。
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