5-1
「おーいエレナ。準備できた?」
「今行く!」
5歳になり、プライマリースクールの送迎はミスターホームズが買って出てくれていた。
ママと行ったのは入学前の数回の体験入学の他は、登校初日の一度きりで、その日の夜にママとワインやケーキを沢山買ってホームズ家を訪ね、大人の間でそういう話になった。
「おじさん、遅くなってごめんね。」
「いーや、まだまだ時間は大丈夫だ。朝ごはんはちゃんと食べた?」
「うん!朝ご飯とランチボックスはちゃんとママが作って行ってくれるから。」
ホームズ家のクラシックな車に乗り込んで出発する。
「今日は何をするの?」やら「忘れ物は無い?」やら「友達はできた?」やら、まるで本当のパパみたいな質問にひとつひとつ答えているうちにあっという間に学校に着く。
「ありがとうおじさん。」
「行っておいで。」
額にキスを貰い、校門をくぐる。
学校に通うようになって数週間経つが、もうすっかり慣れたもんだった。
「まって、エレナ。」
「アビー、おはよう。」
「おはよう。今日は朝からアセンブリーがある日よ。」
「オーゥ、そうだった!」
クラスメイトになったアビーが校門で私を見つけたようで、急いでママと別れて追いかけてきた。
アビーが昨日のテレビ番組の話や、幼い弟ダニエルの可愛い話をするのを聞きながらクロークルームへ向かう。
アビーの顔を見た瞬間、彼女はきっと昨夜なにか悲しいことがあって泣いたんだと分かったけれど、それを口に出したりはしなかった。
学校に入って驚いたことがある。
なんと、誰も私に「昨日、放課後に転んだの?靴に泥が付いてるよ。」なんて言ったり、「君のママ殆ど家に居ないんだね。服が洗いざらしだ。衿とカフスくらいはアイロンをかけることをお勧めするよ。」なんて言ったりしないのだ。
気付いてて言わないのかと思っていた。まだ出会ったばかりだから。仲良くなるまで言わないのかと。
しかし、どうやら違うらしい。仲良くなってもそんな事一言も言われない。
彼らは分からないのだ。観察しないのだ。
私ですら、担任の先生が、昨日と同じ服でジャケットを変えただけだから、昨日はどこかにお泊りをして、そこから直接来たのだとわかるのに、それすらも気づいている様子がない。
そんな事、シャーロックやマイクロフトではありえなかった。
しかし、それで私は観察して分かる事を不用意に口にするのをやめた。
皆が気付かない事は私も気づかないフリをしようと、決めたのだ。
クロークルームでロッカーに荷物とランチバッグを入れる。
アビーのランチバッグがいつもと少し違うことに気が付いた。
アビーのランチバッグはママの手作りで、小さなテディベアのぬいぐるみがボタンの横に付いているのだが、昨日持っていたものと全く同じに見えるそのバッグは微妙に生地の柄がズレていた。
「あれ?アビー、ランチバッグ変えた?」
瞬間アビーの顔が強張り、しまったと思った。
口にしてはいけない事だったかもしれない。観察しすぎた事だったのかもしれない。
アビーは、ふるふると唇を震わせ、俯いた。
「……そうなの。実は昨日ダニーがこのテディベアを欲しがって。」
バッグにくっついているテディベアをアビーが人差し指でちょい、と突いた。
「これはあげないわ。って言ったんだけど、どうしてもダニーが掴んで離さないから取ってダニーに上げることにしたの。でも、結構頑丈にくっついてて、ハサミで、取ろうとしたら……バッグまで切っちゃって。……ママは私が乱暴して毟ったって思ったの。それですごく怒られて……。」
なるほど、それで泣いたのか。
クロークルームから出て講堂に向かいながら、アビーの背中を撫でた。
「でも、あなたのママ、あのバッグ新しく作ってくれたのね。」
「そうなの!全く同じ生地で同じように夜中の間に作ってくれていたの。本当に全く同じものみたいなのよ。なのにエレナ、なんで違うバッグだって分かったの?」
「……なんとなくよ。」
「ふうん。」
有耶無耶にした私の答えにアビーも軽く流し、その話は終わった。
こんなほんの些細な事で、私はますます無意識に観察して浮かぶ言葉を見なかった振りをするようになった。
再び始まったアビーのお喋りに相槌を打ちながら、講堂へ歩を進めた。
すれ違う人、追い越して行く人たちの情報がフラッシュのように頭に浮かぶ。
『深爪』
『大型犬一頭』
『ジャケットは実は女物』
『家族の整髪料を使ってみた』
うるさい、うるさい。
『パーカーの紐を噛むのが癖』
『忘れ物をして焦ってる』
『隣の子が嫌い』
『朝ごはんは牛乳だけ』
うるさい、うるさい、うるさい!
「……うるさい。」
「え?!」
「あ!違う!アビーじゃないの!なんでもない!」
思わず口に出していた言葉にアビーが声を上げた。
慌ててアビーに対してじゃないと訂正をする。
「アー、ほら!あの男の子たち!あんなに騒いで。またミセスメイシーの雷が落ちるわよ。」
「確かにそうね。彼ら懲りないんだから。」
視線の先に居た上級生を指さしアビーに言えば、彼女は納得したように頷いた。
呆れたような顔をする彼女に笑顔を見せながら、安堵の溜息を吐く。
……気を付けなくちゃ。本当に。
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