04
朝教室に入ると、珠江がこちらを見て不思議そうな顔をしていた。
「あれ?明日まで休みって…というかその顔はどうしたのかな?怪我?大丈夫?」
「気が変わって昨日の夜帰ってきたんだー。顔は大丈夫、ちょっと小動物にひっかかれてさ」
なんとなく腑に落ちないという表情の珠江に本当に大丈夫だから、と笑いかけるとしぶしぶ納得したようだった。あまり心配をかけるのも申し訳なく、いつものようにゆるく笑ってみせる。
「何か困ったことがあったらいつでも言ってね」
「わかってるよぉ、たまちゃんは心配性だな〜」
とはいえ、やはり今日は休めばよかったかと椅子を引きながらふぅと軽くため息をついた。いつもは家にいれば仕事をしていたが、今は仕事をして新曲でも送り付けようものなら今度こそりせから三行半を突きつけられかねない。なので、正直家にいてもやることがない。やることもないし学校に行くかという気持ちで出てきたが、顔に貼った湿布のせいで悪目立ちしているし、なによりなんだかんだ忙しくしていた上に昨日の夜東京から帰ってきてすぐに登校したせいで疲れが抜けず少し体がだるかった。頬杖をつきながらふと窓の外を見ると、どんよりとした曇り空が広がっている。今日は一日雨はふらない予報だったはずだが、傘を持って来るべきだったかと憂鬱になった。
「雨降りそうだね」
「そうだねぇ、来週、千枝ちゃんたち林間学校って言ってたから天気いいといいけど…」
「林間学校ね、うちらサボったけどね」
「…サボったわけじゃないもん」
林間学校という名の山中ゴミ拾いイベントを回避するため、名前は仕事と言って休んでしまい、名前が来ないと知った珠江はふてくされて病欠ということで休んでしまったのだ。結局その日は林間学校(仮)といって2人で1泊の東京旅行へ行き、さんざん遊んで帰ってきた。2年生達はどうやら全員参加するらしく、真面目だなぁと2人で顔を見合わせた。
▼▼
「あれ、まーた皆さんお揃いで」
久しぶりに晴れた日、名前と珠江は昼食をとりに屋上へあがってきた。そこにはいつもの2年生一行と、見慣れない顔が1人追加されている。
「名前先輩、なんか久しぶり!」
「確かに〜。最後に君らに会ったの東京行く前じゃん」
「東京?名前先輩東京行ったんですか?」
千枝が不思議そうに名前を見て、名前は思わず口を滑らせたことで若干冷や汗をかいていた。その横で珠江が隠れて名前の背中をつついている。
「…東京って、もしかして湿布買いに来たあの時?」
「あ、あはは…いや、なんのことだか…」
じっと黙って何かを考えていた花村が頬を指しながらジト目で名前を見ている。
「そう言えば陽介、そんなこと言ってたな」
「えー!あの時名前先輩体調不良でしばらく休むってたまちゃん先輩言ってたのに!ズル休みして東京旅行だったんですかー?!」
「ち、ちがう、ズル休みじゃない!」
「千枝、ズル休みなんて言っちゃだめだよ、サボってただけ」
「天城それ同じ意味だしなんならちょっと酷い!!」
ぎゃいぎゃいと名前達が騒いでいるなか、思案顔の花村に鳴上だけが気がついていた。そこで、場の空気を変えるように名前達にとっては見知らぬ顔の男子生徒が声を上げる。
「…ところで、この人達誰っスか?」
「あぁ、完二は会うの初めてだな。この人は苗字先輩と珠江先ぱ」
「たまちゃん」
「…たまちゃん先輩で、俺達の1個上の3年生の先輩だ。完二からしたら2個上だな」
紹介している鳴上の言葉を遮り、真顔で訂正する珠江から何かただならぬ雰囲気を察したのか完二が少し焦りながら名前と珠江に頭を下げる。
「せ、先輩の先輩っスか!自分、巽完二っス!!鳴上先輩達にはお世話になってて…その、よろしくっス」
「あ!巽くんて君か!」
「私は一回話したことあるよねー」
「え?えっと…ありましたっ…け…」
どうやら前に2年生一行がなにやら噂をしていた巽くんが目の前の人物らしいと納得し、よろしくと握手をする。珠江は忘れられていたのが少しショックだったのか、しょんぼりとしていた。
「そういえば、君ら真面目に林間学校行ったの?」
名前が弁当の蓋を開けながら聞くと、5人は微妙な顔をした。
「林間学校…」
「カレー…」
「思い出したくもない…」
「川…」
「俺はなぜか記憶が一部ないっス」
「記憶ないとかロックだな」
「先輩達の時もゴミ拾いだったんスか?」
あはは、と愉快そうに笑う名前に花村が聞くと、名前と珠江は顔を見合わせ「ん?んん〜たぶん…そうだったと思う…」「たぶんね…」と言葉を濁した。
「まさか…」
「いやいやいや」
「先輩達…」
「サボり…」
「いやいやいやまさかそんな、ねえ、たまちゃん」
「う、うん、たぶん、そうだったかな?」
2年生一行…今は1年生もまざったのでこの言い方はおかしいが、とにかく彼らのジト目を受け流しながら乾いた笑いで誤魔化していると、千枝がひょいと名前の弁当箱から卵焼きをつまんでいった。
「明太卵焼きもーらい!」
「あーーー!!!!」
「ついでにたまちゃん先輩のもっと」
「あ、あ、千枝ちゃん…!そんな殺生な…!!」
「ん?名前先輩の今日明太卵焼きじゃない……ていうか、2人の同じ味する…」
千枝がごくんと卵焼きを飲み込んだあと、不思議そうに2人を見る。
「てか、2人ともお弁当の中身同じだ」
「本当だ…」
「え、なんで?」
千枝と雪子が首を傾げつつ名前と珠江を見ると、そんなの当たり前じゃんとでも言いたげな顔で名前がしれっと衝撃的な言葉を放つ。
「だってたまちゃんが作ってくれてんだもん」
「名前ちゃん、朝起きないから…」
「え、たまちゃん先輩名前先輩のも作ってるの?!」
「いいだろう、ちなみに夕飯も作ってもらっている」
「は?!どういうこと?!…てか、だから毎日一緒にジュネスで買い物してたんスか?!」
「ふ、夫婦…??」
「夫婦?!あ、あああ天城先輩、結婚って高校生でできるもんなんすか?!え?!てかお2人女子同士…す、すんません、俺ちょっと…」
「完二、強く生きろ」
完二はバタバタと屋上から走り去ってしまった。名前と珠江にとっては名前の母親がいないときはほぼルームシェア状態であることは普通のことだったが、どうやら彼らには衝撃的だったらしい。
「巽くんは一体どうしたのかね?」
「完二、そういう話題にはナイーブな奴なんスよ…」
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その日、名前の母親はまだ旅行から帰らないということで珠江はいつも通り名前の家へ帰ってきていた。
「たまちゃんパイセンー、今日の夕飯なに?」
「うーん…今日はカニたま、かな」
「やったぜ」
「でもカニ缶がない」
「そんな…というかなぜカニ缶がないのにカニたまを作ろうと…?」
「食べたかった」
なるほどね!と言いながら名前は部屋着の上からパーカーを羽織る。
「どこか行くの?」
「え?カニ缶買いに行くでしょ?」
「行くけど…私行ってくるから、名前ちゃんはご飯炊いておいてほしいかな」
「お、そっかそっか、おっけー!じゃ、おいしいの炊いとくね!」
珠江を玄関から送り出したあと炊飯器のスイッチを押し、あとは待つだけとコーヒーを入れ、つけっぱなしだったテレビの前に戻る。夕方のワイドショーでは動物園のレッサーパンダの赤ちゃんの名前が決まったとかでコメンテーターがニコニコとコメントしており、平和極まりない空気が流れていた。チャンネルを変えようかとリモコンを取ったとき、それでは次のニュースです、という言葉の後に続いたのは、耳を疑う内容だった。
「人気アイドルの久慈川りせさんが無期限活動休止を発表しーーー」
名前の動きがピタリと止まり、テレビ画面を凝視する。
「静養ということですが、なにか体調にーーー」
「やはり心のーーー」
「休業後はーーー稲羽ーーー連続殺人ーーー」
ガシャン、という音ではっと我に返る。自分が持っていたカップを床に落とした音だった。テレビの中のりせは疲れているのか記者の質問を捌ききれておらず、まさにしどろもどろといった風だ。カップの落ちたカーペットはじわじわとコーヒーの染みで黒く染まりつつある。数秒それを見つめたあと、弾かれたように家を飛び出した。外はもう既に暗くなっており足元はよく見えないが、商店街に向かって全力で走る。もともと体力に自信があるわけではなくむしろ運動は苦手分野である名前の足は何度ももつれ、何度も転びそうになった。
商店街の店はほぼ閉まっていて、明かりといえば数少ない街頭とスナックから漏れる照明のみだ。目的の豆腐屋も既に閉まっていて明かりはついていない。裏に周り、自宅スペースに繋がる玄関からインターホンを押すが反応はなかった。
「りせ!いるんでしょ!」
りせの自室にはまだ明かりがついている。聞こえるように呼んでみても応答はない。そういえば部屋着のポケットに携帯をいれたままだったと思い出し何度もコールをするが、それでも反応はなかった。名前はその場にズルズルとしゃがみこみ、呟くように何度もりせを呼ぶ。
「りせ…お願い…なんで…」
なんで、という言葉が無意識に口をついていた。なんで何も相談してくれなかったの、なんで活動休止することを直前まで私に隠していたの、なんで歌ってくれないの、なんで曲を聞いてくれないの、なんで答えてくれないの、なんで、どうしてーーという言葉がぐるぐると頭を回る。ぽたりと地面に染みができて、雨でも降っていたかと空を見上げるが、綺麗な星空が広がっていた。またぽたりと雫が流れ落ち、自分が泣いているのだと理解したときにはもう自分の意思では止められないほどの涙が頬を伝って地面に落ちていった。
「…何しに来たの」
扉の向こうから、いつもの彼女からは考えられないほど感情の読めないりせの声が聞こえた。
「りせ?!テレビ、見たの…」
「…テレビ見たならわかるでしょ?」
「なんでよ…」
「前にも言った通りだよ…もう、名前の歌は歌えない…」
ガツンと頭を思い切り殴られたような衝撃だった。"名前の歌は歌えない"そうりせの口からはっきりと告げられた事実はそうそう受け止められるものではなく、しかしこれ以上なんと言ったらいいのかもわからず、必死に扉に縋り付く。
「なんで…やだ…やだよ…!お願い、ドアあけて…顔見せて…」
「名前、泣いてるの?」
「ごめん…私が悪かったなら謝るから、そんな事言わないで…!」
「ごめんね…今までありがとう…」
すっと扉の向こうでりせの気配が遠のいた気がして、子供のように嫌だ嫌だと縋り付くもそれ以上の返事はなく、いつの間にかりせの自室の明かりも消えていた。
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名前は神社の境内に座りこみ、お腹がすいたなぁとか、足が痛いとか、どうでもいいことを考えていた。来る途中に転んだせいで膝は擦り傷だらけで、手は青あざだらけだ。
りせと初めて会ったのは名前がperfectと名乗り始めてだいぶたった頃だった。父親が好きだったギターを教えてもらっていて、趣味でネットに曲を投稿するようになりしばらくすると芸能事務所のスカウトだという人から連絡が来た。今事務所で売り出し中のバンドに曲を提供してくれないかというもので、芸能界ってちょっと面白そう、というくらいの気持ちで話を受けた。何度かそのバンドに曲を提供し、自分の曲がCDになり世の中で評価され、そのバンドが有名になっていくのは気持ちよかったが、それと同時にまぁこんなもんかという気持ちもあった。自分は本気でやらなくてもまぁまぁうまく生きていける、張合いがないなぁつまんねーの、テキトーでいっかと。ある日父親にそのことを話すと、本気でやっている人達に失礼だからそんな気持ちならやめてしまえと叱られた。ちょっとした反抗期だったことや、世の中に評価され天狗になっていた名前はなぜかとても恥ずかしくなり家を飛び出した。それを追ってきた父親は、道路に飛び出し車に轢かれそうになった名前を助けて死んだ。父親の葬儀のことや、そのあと仕事をしたことはあまり覚えていない。どうしてか涙も出ず、ただひたすら曲を作った。ある日いつものようにバンドのレコーディングに行くと、新人らしい女の子とすれ違った。その子は自分とたいして歳も変わらなそうで、でも表情はとても生き生きとしていてなんとなく気になった。そっとその子が入っていったスタジオをのぞくと、一生懸命に、楽しそうに歌っている彼女を見つけて雷に打たれたように動けなくなり、なぜか全く出なかった涙が溢れてきた。父親に堂々と胸を張れる人間になりたい。perfectという名前は驕りから来た"私は完璧"という意味だったが、この日を境に"完璧な人間になりたい"という意味に変わった。そして事務所にりせの曲を作らせてほしい、できないならプロなんてやめてやると直談判し、バンドもそろそろ自分達で曲を作れるようになってきたし…ということでりせの曲を作らせて貰えることになった。そのあとはりせと何度も曲を作り、いつの間にか世の中の認識は、perfectはりせの曲しか作らないという認識に変わっていた。そのせいでperfectはりせのファンのオッサンだとか色々叩かれもしたが、2人で笑い飛ばしていた。
あの時りせに出会えなければ自分はどうしていたか考えたくもない。ふらっと自殺でもしていたかもしれない。りせの歌と存在には力がある。死んだように生きていたの人間の価値観や、人生、全てをひっくり返すほどの力だ。だから名前はりせが大好きだった。りせ以外に曲を提供する気はない。自分の作った曲は、りせが歌ってはじめて生きた曲になると信じていた。しかし、そのりせに今しがたもう名前の曲は歌わないと宣言されてしまったのだ。これ以上の絶望はない。そう思うと止まったはずの涙がまたじわりと目に浮かんだ。
「うぉっ?!びびった…!!名前先輩?何やってるんスか…」
「…はにゃ、むら…」
花村だった。考え事に没頭していたせいで歩いてくる人影に気が付かなかったらしい。花村は名前の顔…というか、おそらく泣いていることに気が付いたのだろう、ぎょっとした顔を隠さなかった。
「え、えっと、」
「ごめん…ぐすっ」
「なにか飲みます…?」
「お財布…ない」
「コーラでよければ買って来るっス!!」
そう言うとダダっと走っていき、また走って帰ってきた。
「とりあえず、どぞ」
「ありがと…なんか、花村に奢ってもらってばっかり」
へへ、と力なく笑う名前を見て花村は少し困った顔をする。名前はいつも飄々としていて、落ち込んだ姿を見たのも前回がはじめてだった。そもそも泣いている女子に遭遇したことがないため、どう対応するのが正解なのかもわからない。
「なんか、あったんスか…?その、彼氏と…喧嘩とか?」
「彼氏?」
「あっいや、違うならいいんスけど!!忘れて下さい!!」
名前はコーラの缶をしばらく見つめてから、ゆっくりと口を開いた。
「…今度という今度は、もうダメかもしれない」
「えっ」
彼氏と?という言葉は寸前で飲み込んだ。茶化すわけではないが、なんとなく今そういうことを言っていい雰囲気ではないことは流石の花村にもわかる。
「私、大事な人がいて、大好きで、その人がいないと生きてる意味ないってくらい。でも今その人に、もう名前は必要ない…という趣旨のことを言われちゃってさ、たぶんその人すごく落ち込んでる…けど、なんでなのかわからなくて…私にできることはひとつしかないのに…それも、させてもらえない」
意外と重いんだな、と思った。悪い意味ではなく、前に話した通り花村は名前のことをなんとなく冷めた人間だと思っていたので、他人のことでここまで頭を悩ませる名前を見るのはとても意外と同時に、少しもやっとする。
「そんなに大事な人なんスか」
「うん」
「はは…即答」
なんと言ったらいいかわからず少し黙っていると、隣に座る名前の目からまたぽろぽろと涙が零れてくる。
「うっうええ…はなむらぁぁ…私…私…どうひたら…うええええん」
「うおっ、え、えっと、とりあえず涙ふいて…!!」
「やだよぉ…嫌われたくない…もっと一緒にいたい…」
「そ、そんなに大事なら!!」
思った以上に大きな声が出て、少し焦る。名前も驚いたのか泣きやんで目をぱちぱちとさせながら花村を見ていた。
「そんなに…大事なら…、諦めるべきじゃない…。絶対後悔するから、もう一回話しに行ったほうがいいと思う…っス!!」
そのまま話せなくなることもあるから、と付け加えようとして、やめた。自分が今誰を思い出しながらその言葉を口にしようとしたのか自覚していて、それを名前の前で言うのはなぜか少し罪悪感に似た感情を持ってしまった。
「うん…そう、だよね」
「そうっスよ!てか、そんなふうに落ち込んで泣いてるのって名前先輩のキャラじゃないっしょ!」
「ぷっ…はは、キャラじゃないって…花村ってこれだからモテないのかなぁ、顔はいいのに」
「余計なお世話っス」
「私は好きだけどね」
「……どうも」
泣き腫らした力のない顔でそういうことを言うのはずるいと思い、ふいと顔を逸らす。というかこの人今の今まで彼氏のことで悩んでいたのではないのか…少し自覚が足りない…とは思うものの、おそらく天然でやっていることだろうし自分がどうこう言うのも…ともやもや考える。
「あ、たまちゃんからめちゃくちゃ電話来てた…」
「早く帰った方がいいんじゃないスかね…」