「名前ちゃん」
「はい」
「どういうことなのかな」
「ご、ごめんなさい」
帰宅すると、玄関で珠江が待ち構えていた。にっこりと笑ってはいるが、完全に目が据わっている。
「理由を聞いてるんだけどな」
「あ、あの、」
「簡潔に」
「あのですね、珠江さん、その」
名前が家を飛び出してからゆうに二時間は経過しており、その間珠江からはおびただしい数のラインや着信が入っていた。りせや花村と話していたことで返信するのをすっかり忘れてしまっていたのだ。帰宅途中、帰りますと連絡を入れると既読はつくものの返信はなく、嫌な予感は的中した。つまるところめちゃくちゃキレている。
「あの、ちょっと仕事で」
「帰ってきたらテレビは付けっぱなしでコーヒーはこぼれてて鍵も開けっ放し、名前ちゃんはいないし連絡もつかない。どれだけ心配したかわかってるのかな?」
珠江は怒ると笑顔になるタイプだった。満面の笑みで反論の隙を与えない。普段の穏やかさからはあまり想像できないため、珠江とあまり親しくない人間に言っても大袈裟だと理解してもらえないことが多々ある。ちらりとダイニングを見ると、すでに冷めてしまったであろうカニたまには丁寧にラップがかけられていた。
「あの、ごめんね…」
「…もう。出かけるときはせめて一言連絡いれてからにすること!」
「はい…」
いつもの珠江の笑顔に戻ると、ご飯食べよ、と名前の手を引きダイニングへ入っていく。
もうすっかり夜になってしまい、遅めの夕食をとっていると珠江がテレビを見ながら残念そうな声を出した。
「りせちー、活動休止だって。私けっこう好きだったんだけどなぁ」
「…ね、残念」
「それにしても稲羽に来るなんてね、これたぶんまる久さんのことだよね?」
「んー…そうかもねぇ」
「…名前ちゃん?」
「ん?」
気のない返事をする名前を心配そうに見るも、当の本人はいつものようにへらへらと笑っている。
「ううん、なんでもない」
おそらく、というか確実に何かあったのだろうが、名前が何も言ってこないうちはそっとしておこうと珠江は決めていた。名前の仕事のことや、どんな曲を作っているのか、相棒というのは誰なのか、珠江は何も知らなかった。父親が亡くなった時名前は理由は話さず泣くこともせずにただ自分のせいなのだと繰り返していたが、ずっと珠江の側を離れなかった。こう見えて名前はとても臆病で繊細な人間だということを珠江はよく理解している。きっと自分は何も知らない方がいいのだ、その方が本当に名前が甘えたい時になんの気兼ねもなく甘えられる。自分は何も知らず、ただ名前の帰ってこれる場所でありたいと考えていた。
「困ったことがあったら言うこと」
「うん、ありがと」
少し困ったような、照れたような顔で笑う名前を見て、珠江もこれ以上は気にしないようにしようとまたテレビを見始めた。
▼▼
商店街は若干の人だかりができていた。昨日のテレビを見て本当にアイドル久慈川りせがいるのかと興味本位で確認しにきたのだろう。名前はその人だかりをかき分けて豆腐屋の店先にザッと立ちはだかる。
「お豆腐、3丁」
いつになくキリッとした顔でレジに小銭を置き、店番をしているりせの顔を至近距離でキッと睨む。りせは若干呆れたような顔をしてため息をついた。
「何しに来たの」
「は?お豆腐買いに来たんですけどぉ?お豆腐買いに来ちゃダメなんですかぁ?売ってくれないのかなぁ、そっか〜そしたら今日のうちのお味噌汁はお豆腐抜きだなぁ…悲しくて泣きそう〜」
「お味噌汁にお豆腐入れるのに3丁もいらないでしょ…はい」
「どーも」
「ありがとうございましたお出口あちらになりますお引き取り下さい」
豆腐を受け取り店内を見回していると、りせがものすごく迷惑そうな顔で出口を指さす。入口と出口同じなんだから言われなくてもわかるに決まっとるわというツッコミを飲み込み、店先のベンチにどかっと腰を下ろした。
「店先広いんだからその場で食べられるお豆腐スイーツとかやればいいのに。ナウでヤングな若者にウケそう」
「名前、学校は?」
「サボりです」
「…単位とかないわけ?」
まぁまぁと適当に言葉を濁す。その間もりせの顔には早く帰れとこれでもかというくらいわかりやすく書いてあった。
「帰ってほしそうにしやがって」
「帰ってほしいもん」
「あーはいはいわかりましたよーっと」
「名前」
ふてくされて立ち上がった名前をりせが呼び止める。ん?と振り返ると、なんとも言えない微妙な表情を浮かべていた。
「100円足りない」
「…」
「…」
「おうよ」
す、と100円を差し出しダッシュで店から逃げた。普通に恥ずかしかった。
家に帰ると久しぶりに母親の靴が玄関に転がっていた。3週間ほどとの事だったが、そう言って二ヶ月帰らないこともままあるので今回は早かったなと考えながらリビングに入ると、母親がソファでゴロゴロとテレビを見ていた。
「あ、おかえり〜!そしてただいま〜!」
「お母さんもおかえり〜そしてただいま〜」
「学校は?」
「戦略的自主休校」
「なるほどかしこい」
旅行から帰ってきてそのままなのだろうか、キャリーバッグが放置されたままになっていたが、洗濯機のまわる音がするのでダラダラしてはいるが一応片付けをしようという気はあるらしい。我が母親ながらものすごく適当な人間だと思う。自分もなかなかに適当に生きてはいるが、母親はその倍くらいは適当だ。父親はとても几帳面な人だったのできっと自分の性格は母親譲りなのだとげんなりする。
「あ、お豆腐食べる?」
「りせちゃんとこの?」
「そうそう、今買ってきたの」
「冷奴〜!…ってなんで3丁も…」
「お、お味噌汁にでもと思って」
「3丁も使わないでしょ!」
ケラケラと笑う母親に先程りせに言われたことも思い出し少し恥ずかしくなる。
「もうあげない!」
「いる!いる!も〜ごめんって、今日はお夕飯お豆腐フルコースだね」
名前の手から豆腐を受け取ると、軽く頭を撫でてから鼻歌交じりにキッチンへと向かっていく。昔からやることなすことなんでもある程度はできてしまう名前を子供扱いするのは母親くらいで、高校三年生になったいまでも母親にこうしてうまく転がされている。嫌な気持ちにはならないし名前自身母親には敵わないとわかっているので別に問題はないのだが、りせや花村達には絶対に見せたくない姿だ。キッチンからそういえば、と思い出したように母親が顔を出す。
「お仕事どう?」
「まぁぼちぼち」
「そっか、りせちゃん大変ね」
「んん、なんとかなるよ」
おそらく飲み残しであろうテーブルの上に置いてあったコーヒーを一気に飲み干し外を見る。もう6月だけあり、だいぶ日差しも強く気温も上がってきた。そういえば、りせと初めてあったのは夏だったような気がするなぁと唐突に思い出し、最近りせのことばかり考えている自分にいや恋する乙女か!とツッコんだ。
▼▼
「俺最近気が付いたんだけど」
花村が妙に深刻そうな顔で話し出すので、屋上の一同はなにを突然と箸を止めた。
「名前先輩、実は病弱なわけじゃなくてズル休みが多いだけッスよね」
「何を言い出すかと思えば…。私は病弱なかよわい美少女なので体調不良で休んでるだけですぅ」
「いや休んだ日元気にジュネスでソフトクリーム食ってたの俺見ましたからね」
「体調不良のときはソフトクリームに限るよネ」
そんなん聞いたことねーよと呟く花村にのっかり、完二がそういえばと思い出したように話し出す。
「こないだ、名前先輩マル久にいたっスね」
「え、名前先輩もりせちー目当て?」
「名前ちゃんりせちー好きだったの?」
「意外ですね…アイドルとか興味なさそうなのに」
まさかサボってりせに会いに行っていたのを完二に見られていたとは不覚…と若干の居心地の悪さを感じながらえー、あー、と目を泳がせる。
「いや…お豆腐買いに行っただけ…」
「ジュネスで買えばいいじゃん」
「里中たまに鋭いツッコミするのやめてくれる?」
「名前先輩、意外とミーハーっスね。しかもサボってまで」
「いや巽もサボってたから私のこと見かけたんだろーが!」
後輩達がいじめるよぉーとわざとらしくしおらしい声を出して珠江に抱きつくと、よしよしと頭を撫でられたのでそのまま珠江の膝の上にごろんと頭を乗せて寝転がる。強くなってきた太陽の日差しに、そろそろ屋上でお弁当を食べるのも暑くなってきたなぁと考えた。
「…名前先輩、学校嫌いなんですか?」
なぜか雪子が心配そう…というよりも言ってはいけないことを言っているような、申し訳なさそうな顔で名前を伺っている。
「へ?なんで?別に嫌いじゃなけど」
「だって…いつもたまちゃん先輩としかいないし、おわるとすぐ帰るし、なかなか来ないし…友達、いないのかなって」
「ぶはっ!!雪子!!あはははは!!」
「お前ら失礼か!!」
大真面目な顔で名前友達いない説を唱えた雪子はなぜ千枝が爆笑しているのかわからないようで頭上にはてなマークを浮かべている。名前は珠江の膝の上で頬杖をつきながら失礼な奴らめと顔を顰めながら2人を睨んでいた。
「でもぶっちゃけ俺も思ったっスよ。昼休みここいる時もいつもたまちゃん先輩にべったりで」
「なに花村、やきもち?」
流し見でにやりとする名前に花村は一瞬びくりと跳ね上がりぶんぶんと大きく手を振る。
「はっ?!いやいやいやいやたまちゃん先輩にやきもちとかそんなわけむぐっ?!」
「陽介、自爆してるぞ」
鳴上が何か聞いてはいけないことを口走り始めた花村の口にすかさず大きめの唐揚げをねじ込む。焦ったせいで早口だったこともあり、鳴上以外には聞き取れていないようだったのが不幸中の幸いと花村はありがたく唐揚げをもぐもぐと咀嚼しながらナイスアシストという意味を込めて鳴上にグーサインを出した。
「ふふ、名前ちゃん、実は友達多いんだよ?」
「空想のとかではなく…?」
「鳴上まじぶん殴るよ」
「名前ちゃん話しやすいからけっこう休み時間は色んな子とお話してるかな。寝てる時も多いけど…」
「そうなんだ。でもたまちゃん先輩は特別って感じするな」
千枝がなんとなく放った言葉に、なぜか珠江は若干頬を染めていた。
「え、えへへ…そう言われると、なんか照れるかな…」
「あー、ご飯食べたら眠くなってきた…たまちゃんの膝寝心地最高〜」
「…たまちゃん先輩に彼氏ができなかったら絶対名前先輩のせい」
「右に同じ」
「女子力高いのにもったいないよね…」
「なんで私が悪いみたいな流れになってんの?」
▼▼
夕方、一緒に帰ろうという珠江に断りを入れ名前はまたしてもマル久豆腐店に来ていた。
「りーせーちゃーん」
「…いらっしゃいませ」
店番をしていたりせは懲りずにやってくる名前に容赦なくしかめっ面を向けるが、数日前に泣きながら縋ってきた名前はどこへ行ってしまったのかはたまた幻覚だったのか、今はニコニコと満面の笑みで小銭を差し出してくる。
「お豆腐3丁」
「絶対3丁も使わないでしょ…」
「うん、でも冷奴食べてるよ」
あの日以来名前は毎日豆腐を買いに来てはこうして雑談していくのだが、てっきりアイドルに戻れだとか休止を撤回しろだとか言われると思っていたりせは少し拍子抜けしていた。毎日毎日こうして通ってくるが仕事の話をしたことは一度もない。
「てか今日なんか物騒じゃない?警察とかいるじゃん」
「よく知らないけど、張り込み?だって」
「うける、りせ張り込まれてるんだ。なんかしたの?何罪?久慈川りせかわいすぎ罪?」
「ぷっ…なにそれ」
「あ、笑った〜りせちゃん笑った〜」
わざとらしく口に手を当ててぷぷーと声を出す名前に若干イラッとしながらも、たぶん、こうして毎日自分を励ましに来てくれているのだろうと思うと相変わらず憎めないと思う。
「ん?あれ、もしかして…花村…?てかご一行全員いるような…」
「? どうしたの?」
「やばっ」
外を見て何かをじっと見つめていた名前が慌てて扉の内側に隠れると、外から「誰だー!」という叫び声が聞こえてきた。その後、数人がバタバタと走っていく音が聞こえる。
「お、おお…危なかった…」
「なに?」
「あ、いや、学校の後輩がいて」
「ふーん…?別に隠れなくてもいいのに」
「だめ。友達のいないミーハー女のレッテルを貼られかねない…」
何かをブツブツ言っている名前を放置して頼まれた豆腐3丁をビニールに入れていると、自宅の玄関の方からピンポンと軽快な音が鳴った。
「なんだろ…ちょっと行ってきてもいい?」
「うん、待ってるからどーぞ」
りせはパタパタと店の奥にある自宅の方に消えていき、名前は花村達がいなくなった方をじっと見張っていた。昼間あれだけ名前をミーハーだなんだとディスったくせに結局みんなりせを見に来ているのではないかと鼻を鳴らす。明日思う存分いじってやろう、いやその前に珠江に連絡してやろうと携帯を取り出すと、りせの自宅のほうからガタンと何かが倒れたような音がした。そういえば、先程から何も音が聞こえてこない。来客だとしたら話し声くらい聞こえてもいいはずだ。
「りせー?」
呼びかけるが返事はなく、先程の物音も嘘だったかのようにシーンと静まり返っている。
「大丈夫?おーい……あがるよー?」
昔はよく上がってりせの部屋にも行ったりしたが、ここのところ遊びに来てもいないのでなんとなく悪い気がしながらも玄関の方へ向かっていく。確か右に曲がってすぐだった気がするが、廊下にりせの姿は見えなかった。
「ちょっと〜…驚かそうとかやめてよ…?」
実はそういう類の話が大の苦手である名前はそろりそろりと歩を進める。これで何事も無かったら返事くらいしろと小言を言ってやろうと思いながら玄関に顔を出す。しかしそこにもりせの姿はなく、玄関の扉が少しあいていた。そこでようやく、名前の中で何かあったのかもしれないという危機感が芽生える。
「…りせ?りせ!いたら返事して!!」
玄関があきっぱなしということはもしかしたら外にいるのかもしれないと思いドアノブに手をかけると、向こう側から思い切り扉が開いた。
「え?!う、わっ……んん?!」
バランスを崩した名前は誰かに羽交い締めにされ、鼻と口に何かを押し付けられる。ヤバイと思った時には既に遅く、ぐらりと視界が揺れて、ゆっくりと意識を手放した。
【救世主は世界を見捨てるか 5.5話】
ジュネス 屋上
「あれ?悠?」
「陽介、バイトお疲れ」
「おー。珍しいな、1人か?」
「今日は菜々子が友達の家にいるらしくて。たまには放課後遊んで帰ろうかと」
「ははっ、それでここかよ?いつも来てんじゃん」
「今日はオフだ。陽介こそバイト中じゃないのか?」
「そ、やっと休憩」
「なるほどな。…ん?」
「どした?」
「いや、あれ…名前先輩じゃないか?」
「…本当だ。めちゃくちゃ幸せそうにソフトクリーム食ってんな」
「……」
「ほっぺたにクリームついてるし。子供みてー」
「……」
「つか今日体調不良で休みって……ズル休みかよ!」
「…陽介」
「ん?」
「違ったら申し訳ないんだが…お前、名前先輩のこと好きなのか?」
「はぁっ?!?!」
「あ、いや、違うなら忘れてくれ」
「は、はは…ありえねー…」
「そうか」
「ありえねー…と…思う…」
「自信なさげだな」
「……まぁ、その…気になって、は、いる。この前、名前先輩にジュネスで会ったって言ったろ?ほら、湿布買いに来たって」
「あぁ、言ってたな」
「あの時くらいから…なんとなく…つか、俺絶対ギャップに弱いんだわ…名前先輩がちょっと弱ってるの見てさ、すげー、キちゃって」
「あの人普段があれだからな。気持ちはわかる」
「そうなんだよ…普段があれだからさ…。なんかこう、けっこうよく頭撫でられたりとかすんだけど、そーいうときなんかいつもと雰囲気違う感じしね?」
「確かにたまにものすごく大人びて見える時はあるな…」
「そういう人がさ、すげー…弱ってて…つか、絶対里中とかに言うなよ?名前先輩にも言うなよ?」
「ああ」
「…こないださ、泣いてたんだよ、あの人。1人で。もうホントその時は今にも死ぬんじゃないかってくらい落ち込んでてさ」
「へぇ…また意外な一面だな」
「なんかもう、そーゆーのダメ!!俺、超弱い!!」
「好きなのか?」
「…好きかって言われると、わかんねぇ…。すごい最低だけどさ、俺やっぱまだ小西先輩のこと…」
「忘れられない、か」
「……」
「でも名前先輩も気になると」
「うっ…」
「まぁいいんじゃないか?まだわからないんだろ?」
「そうだけどさ…」
「そのうちどうにもできなくなったら、その時には気持ちが変わってるかもしれないだろ」
「そっ、か…そうだよな…はぁ〜俺なんであの人……てかそうだ、あの人たぶん彼氏いるんだよな」
「そうなのか…意外というかなんというか」
「しかも名前先輩の方がだいぶ気持ち重そうでさ」
「なるほど。強敵だ」
「はは…今度お前の話も聞かせろよ」
「もちろん」