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「お願いしあス!」
「シあーす!」
準備を終えて挨拶と共に体育館に足を踏み込んだ烏野の面々。既にそれぞれでアップを始めていた体育館内は熱気が籠っていて、生川高校や森然高校、梟谷高校などの名前を背負ったプレイヤー達が顔を揃えていた。
その空気感に鶫は目を輝かせ周囲を見回し、緊張感を持って踏み込んでいた烏野の面々はそんな微笑ましい彼女の様子を見て少しだけ肩の力が抜けた。
「あれ、翔陽は……?」
「補習だってよ」
「あー……」
「アップ取ったら後はひたすら全チームでぐるぐると試合をやる」
「おう」
「1セット毎に負けた方はペナルティでフライングコート一周」
空中でボールを拾うフライングレシーブをする時の手から胸という順で体を床に滑らせる動き、あれで体育館一周をするのはかなりの負荷がかかる。それを聞いた鶫はソワソワし始めたが目の輝きは消えていない。
「なあ、前の練習試合の時、音駒にあんな奴いたっけ?」
「! めっちゃコッチ見てる奴?」
「そう」
「……いや、いなかったと思うけど」
菅原と東峰の会話を拾った鶫がそちらを注視すれば、確かに前回の練習試合にはいなかった人物が音駒のTシャツを身に付けて菅原と東峰を見つめていた。綺麗なシルバーの髪に切れ長の目、そして猫背で分かりにくいが概算で190センチはあるであろう長身。
鶫はしばらく彼を見つめていたが、アップをしている間にやることを終わらせなければと準備に取り掛かる。その際、荷物の中に入れていた何時ものデータブックとは別のノートがその手に触れ、鶫の視線が僅かに落ちた。
「……次の舞台に進む為の、レベルアップ」
――それをするには、まだ皆の心構えが足りない。
もっと、もっと、烏のように貪欲に。何にでも食らいついて何でも食べて吸収するような心構えがなければ。
「……」
東京に向かって走り出した車は高速に乗り、どんどん東京へと近付いていた。冴子が運転する助手席に乗る日向が何時になく真剣な表情をしていたので、冴子は飴を銜え直すと日向の左頬を抓った。
「オラ、そんなに思い詰めんな。焦るのは解るけどなー」
「あがが!」
回り道には回り道にしか咲いてない花があんだからさ。
「! おおーっ! よく分かんないけど、かっけえーっ」
「わはは! アタシの隣でドライブ出来てんだから赤点に感謝しろってこと!」
冴子は上機嫌に笑うとそういえばと前置きをして、日向がどうしてバレーを始めたのか訊ねた。
「小学生の時、テレビで春高見たんです! ちょうど烏野の試合で、それで――」
「“小さな巨人を見た”とか?」
「“小さな巨人を見た”んです!」
“小さな巨人”というフレーズが重なると日向は驚いて目を丸くしたが、冴子はやっぱ当たったと得意げに微笑む。
「冴子姐さん小さな巨人知ってるんすか!?」
「アタシ多分“そいつ”と同級生だもん」
「ヘアッ!?」
「つっても喋ったこともないけどさ」
ヤンチャな奴なら目立つだろうし知り合いだと思うんだけどねと冴子は笑い、悪そうな奴は大体友だちだったなあと昔を懐かしみながらふとある時のことを思い返した。
小さな巨人のことで盛り上がる日向と冴子の後ろの席では影山が爆睡していて、起きる気配はない。
そんな車内で冴子がぼんやりと思い出したのは、校内の体育館でバレー部が練習試合をしている時のことだった。冴子自体はバレー部に関わり合いがなく、校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下を外から跨いでいた際、バレー部の練習試合を偶然に見かけただけ。
「……けどさあ」
「?」
「そいつはどんな強面の知り合いよりも怖かったよ」
怖いっていうか、迫力が凄くて。
「スパイクがですか!?」
「いや……」
そういう意味じゃないんだと冴子は苦笑いを浮かべ、元烏養監督の前で膝をついていた9番の背中を思い出す。
「そん時は調子が悪かったのか途中で交替させられててさ」
「!」
3セット目、19-25で烏野が相手にセットを取られて終わった練習試合。
小さな巨人は試合が終わると同時に体育館を出てきたので冴子は気まずそうに一瞬だけ視線を逸らしたが、彼の動向を視線で追えば、彼は自販機の近くにあったロッカーに頭を打ち付けた。それ自体に冴子は驚きはしなかったが、頭上にバケツが落下してきた後に彼が見せたヒリヒリとした闘争心が燃える目に一瞬息を飲んだことを今でもはっきりと覚えていた。
「……」
「あいつは所謂“エース”って奴だったんだろ?」
自分がエースであることの絶対的プライドと自信。
そういうのが全身から立ち上がってるんだ。
危うく惚れるトコだったと冴子は笑うとまたあのコートの様子を思い浮かべて少しだけ遠くを見つめる。
「――で、エースが活躍すれば同時に周りの連中はエースに“おんぶに抱っこ”状態になってたまるかって奮い立つ」
「姉さん、“小さな巨人”に詳しいんスね」
「!」
突然後方から影山に声をかけられた冴子が驚いて視線を後ろへ向ければ、やや寝起きの影山がおにぎりを頬張っていた。
「べつにっ、たまたまっ、何回か試合見ただけだし! つーか起きたのかよ!」
「腹が減ったんで」
「本能の赴くままか!」
「……」
「見られることで俺たちが弱くなることはない」
――自分がエースであることの絶対的プライドと自信。
「さあ、あと少しだ。トバすよー!」
そう言った冴子がアクセルを踏むと車はスピードを更に上げて道を走り、高速道路を前へ前へと進んで行く。
2セット目、得点ボードは16-24で梟谷の優勢。成田のブロックをすり抜けたスパイクを西谷が拾い上げ菅原へと繋いでいく。
「西谷ナイスレシーブ!」
「レフトだ。レフトレフト!」
梟谷の主将・木兎の指示で動いた梟谷のブロックの読み通り菅原のトスはレフト側にいた東峰へと上げられ、相手の二枚ブロックを相手に正面からスパイクを打ったがそれは阻まれ、この試合は1セットも取れずに終了した。
「じゃあフライング一周!」
「あいつら何敗目だよ」
「別に弱くはないけど平凡……だよな」
「音駒が苦戦したヤバい一年ってどれのことだよ?」
何度目か分からないペナルティーをこなす部員たちを見ていた鶫は何時ものでデータブックとは別にもうひとつのノートを抱え、彼らと体育館の様子をじっと静かに見聞きしていた。
悔しくて仕方ないがこれが今出来る最高のベストメンバー。故に言い返す言葉もなく言い訳をするつもりも毛頭ない。
「音駒の連中の買い被りじゃ――」
「!」
それを言い切るよりも早く体育館のドアが開いて、其処から一人の女性が顔を覗かせた。間に合ったね上出来と笑う顔にはやや汗をかいているが笑みを浮かべていて、その目元や笑い方には鶫に見覚えがあった。
「姐さんっ」
「えっ、西谷のお姉さん!?」
「いえ、龍のです!」
西谷の元気な声に、確かに似てると息切れをしながら菅原がなるほどと頷いていると鶫はやっぱりと言うように目を丸くした。田中の姉である冴子が此処に来たということは、つまりあの二人も一緒に居るということ。
「主役は遅れて登場ってか? ハラ立つわー」
半分嫌味半分面白げに言った黒尾の脇では孤爪が顔を覗かせていて、音駒以外の面々も誰が来たのかと手が空いている者は視線を向けている。そんな体育館のドアの向こうには、やや息を切らせている日向と影山が立っていた。