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「飲み物を買ってきます」
「うん、いってらっしゃい!」

 夕食後、入浴も済ませてマネージャーに充てられた教室で彼女たちと話をしていた鶫は谷地に見送られて教室を出た。此処から一番近い自販機は一度階段を降りた先にある廊下の突き当たり、その道順に沿って廊下を進んで行くとちょうど日向が灰羽の名前を呟きながら歩いている様子が見えた。手ぶらの上に方向的に見てトイレに行くのだろうかと彼の様子を窺っていると、ちょうど日向が男子トイレのドアを開けようとした時に中から灰羽が姿を見せた。

「ファッ、フェッ……!」
「烏野の10番……」
「!! ニホンゴ!」

 ロシア語で話さなければという先入観があったらしい日向と、それを見事に打ち砕き日本生まれの日本育ちでロシア語は話せないと頭を掻く灰羽。夕食の交流会で日本語ですらすらと会話をしている灰羽の様子を目にしていた鶫だが、それに気付いていなかったのは日向らしいといえばらしいと思わず表情を緩めた。

「なっなあ、身長何センチ!? おれ、日向翔陽、一年!」
「この前194になってた。俺、灰羽リエーフ一年」
「194!? イイナ!」
「日向は近くで見ると余計に小さいな」
「!」

 挨拶が済んだ所で灰羽があっさりと投下した爆弾に日向が突っ掛かると彼は悪気はないと慌てて両手を前に出し、日向は余裕で此処まで跳ぶだろと自分の頭の前に手を翳し先程の試合でも見ていたことを話す。それに日向が嬉しそうに目を見開いたが、灰羽は翳していた手を更に上へと上げた。

「俺はそこから更に跳ぶけどな!」
「……」

 その灰羽の言葉を聞いた瞬間、日向はその手を超えるように跳び上がった――が、ちょうど頭上に男子トイレのドアの枠があり日向は其処に頭をぶつけてしまった。そしてそのまま頭を押さえながら着地すると真っ直ぐな目で灰羽を見上げる。

「じゃあおれは先に頂までとぶ!」
「――お前のスパイクはブロック居てもいなくてもお構いなしって感じで凄かった」

 俺は音駒のエースだからな

「!」
「――って言うと猛虎さんに怒られるけど」

守備もロクにできない奴はエースとは呼ばないんですうー!

「でもリエーフはおれと一緒でミドルブロッカーだろ? エースって音駒のモヒカンの人とかウイングスパイカーのことを言うだろ?」
「……」

 ポジションの名前って関係ある?

「!」
「一番沢山点をもぎ取った奴がエースだろ。単純」

 また明日と灰羽は日向の横を通り過ぎると、日向の速攻は一番に俺が止めると言ってそのまま背中を向けて歩き出した。日向はその言葉に何か思う所があるのか灰羽の言葉を復唱すると、しばらくその場に立ちつくしそのまま男子トイレへ姿を消した。

 彼らの様子を見ていた鶫は廊下の角で足を止めていて、こちらに向かって歩いてきた灰羽と鉢合わせた。灰羽は一瞬目を丸くしたものの鶫だということに気付いた途端、嬉しそうに表情を緩ませる。まさかそんな反応をされるとは思っていなかった鶫が少々驚いて目を丸くすると、彼は嬉しそうな表情のまま口を開いた。

「烏野のマネージャー!」
「あ、はい。そうですけれど……」
「ええと確か何だっけ……“静淑無比の軍師”? 皆から聞いた!」
「烏野高校一年の舞雛鶫です」
「俺、灰羽リエーフ。同じ一年だしそんな言葉遣いしなくて良いよ」

 木兎とはまたベクトルの違う高いテンションに鶫がやや押されているが灰羽はそれに気付くことはなく、夕飯の時には声かけられなかったからと嬉しそうに笑っている。その笑顔にやや緊張が解けた鶫が肩の力を抜いた時、灰羽はそういえばと言葉を溢した。

「舞雛って黒尾さんと孤爪さんの幼なじみだったっけ」
「うん。二人から聞いたの?」
「そうそう! それ聞いてびっくりした。後はあれもびっくりしたなー」
「何?」
「黒尾さんと孤爪さんが舞雛のこと――」
「おい、それ以上話したら黒尾にどやされるぞ」
「!」

 嬉々として何かを言いかけた灰羽に声をかけたのは、鶫の後方から姿を見せた夜久だった。それに灰羽は何か思い当ることがあったのかあっと声を漏らし、何でもないと慌てて両手を振る。それに鶫が小首を傾げていると夜久が苦笑いをして何でもないからと笑った。

「別に隠してる訳じゃないけど、そういうのは本人の問題だろ。つーか早く戻らないと黒尾が煩いぞ」
「そうだ、話の途中で出てきたんだった……! ごめん舞雛、また明日!」
「う、うん。おやすみなさい」

 バタバタと忙しなくその場から走り去った灰羽の背中を見送った鶫はしばらく呆然としていたが、隣で夜久が騒がしくて悪いと苦笑いをしたので慌てて首を横に振ると彼はほっとした様子で笑顔を見せた。

「こっちのメンツも騒がしい奴ばっかりだからさ、疲れたら遠慮なく輪から抜けて大丈夫だよ」
「はい、ありがとうございます」
「……」
「……あの、何か?」

 思わず鶫の微笑みに目が惹かれた夜久だったが、慌てて何でもないと口にしてやや赤らんだ頬を隠すように手の項で口元を押さえるものの中々熱は引きそうにない。そんな時、鶫がどうして此処に居るのかと疑問に思った夜久がそれを訊ねてみれば、はっと鶫は表情を変えてそうでしたと持っていた財布を胸の辺りまで持ち上げる。

「飲み物を買いに出てきたんです」
「飲み物?」

 そういえば自販機はこの近くだったなと溢した後、夜久は自分の手にある物の存在を思い出してその内のひとつ――柑橘系のフレーバーが入った炭酸水のペットボトルを差し出した。

「じゃあ良かったらこれ飲まない?」
「え、でも……」
「大丈夫大丈夫。さっき向こうの自販機で買ったら一本当たってさ、そんで偶々二本持ってたんだ。あ、もしかして炭酸駄目?」
「いえ、大丈夫ですけれど」
「じゃあ貰ってよ。ひと晩じゃ飲み切れないし、冷蔵庫入れてもどうせ黒尾辺りに持ってかれるから」

 そう言って夜久は鶫の小さな手にペットボトルを握らせてにっこりと笑い、それを受け取った鶫はしばらくそれを見つめていたが顔を上げてお礼を口にし嬉しそうに微笑んだ。その笑顔にまた夜久は一瞬目を奪われ、敵わないと内心で溢しながらも教室まで送ると言って鶫と一緒に廊下を歩き始めた

「そういえば舞雛と会ってからゆっくりこうやって話す機会なかったな」
「そうですね。初めてお会いした時には直ぐに別れてしまいましたし、練習試合で来て下さった時も時間があまりありませんでしたから……」
「何だかどっちもバタバタしてたよな」

 それも仕方ないんだけどさと夜久は笑ってそれに鶫も釣られるようにして微笑む。それから女子マネージャーに充てられた教室の前まで送り届けてもらった鶫は夜久に礼を言うと彼は良いってと目尻を下げ、じっと鶫を見つめた。

「慣れない場所だから疲れてないか心配だったけど、ちょっと安心したよ」
「!」
「あっ……勿論、俺含めて皆もだけど。明日もあるからあんまり夜更かしするなよ、舞雛」

 そう言って鶫の頭を撫でた夜久はそのまま背中を向け、おやすみと言ってその場から立ち去った。その背中に向かっておやすみなさいと返した鶫は彼から貰った炭酸水に一度視線を落としてから教室の方へ顔を向けた時、驚いて思わずそのボトルを落としそうになった

「ふおお……!」
「鶫ちゃんってモテモテだねえ」
「詳しい話を聞かせてほしいなー」
「え、ええ……!?」

 梟谷のマネージャー白福と雀田を筆頭に女子マネージャーが総出でドアから顔を覗かせて先程までの様子を見ていたらしく、ドアの傍で様子を窺っていた彼女たちに教室に引きずり込まれる形で鶫は連行された。

 

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