01
中学総合体育大会、予選。会場になっている市民体育館からはバレーシューズのスキール音やボールを叩く音、選手たちの声が外まで聞こえてきていた。
会場外には何台ものバスや車が停まり、今まさに到着したバスからは青いジャージに身を包んだ選手たちがエナメルバッグを片手に次々と降りていく。その選手たちの中で最後に降りた影山は斜めがけをしていたエナメルバッグを持ち直すと、バスの乗降口に向かってその大きく無骨な手をそっと差し出した。
「ほら」
「別に良いのに」
「良いから」
影山の声や選手たちの低い声とは別に聞こえてきたのは、鈴を転がすような少女の声。
早くしろと催促するように手を動かした影山の押しに負け、彼の手に向かって白く小さな手が重ねられた。その手が確かに重ねられたことを確認した影山がそっと手を引けば乗降口から一人の少女がその身に似合わない大きな荷物を両肩に提げて姿を現し、乗降口の段差を降りて地面へ足をつける。
「大きな体育館……」
「大したことねえだろ」
「そう?」
その少女はその華奢な体に先に降りた選手たちや影山と同じ青色のジャージを着ていて、長い黒髪をハーフアップで纏めていた。少し先にある体育館を映していた丸い黒目は直ぐに影山の姿を映し、大和撫子と形容しても差し支えない顔に穏やかな微笑みを浮かべた。
「荷物は平気か?」
「大丈夫。これは私の仕事」
「分かった。鶫、足元気をつけろよ」
影山と鶫はジャージに踊る“北川第一中学校バレーボール部”という文字を背負い、会場へ足を向けた。
「おい、北一が来たぞ」
「相変わらず存在感スゲエな……」
「おい、あのマネージャーって」
「ああ、噂には聞いてたけど……」
バレーの強豪として有名な北川第一中学。そんな彼らが会場へと向かえばその道中では人目を引き、ほぼ男子だけの中に唯一の女子が一人混ざっていれば嫌でも目立った。強豪バレーボール部のマネージャーの紅一点。目立つ理由には十分だが、彼女が他校生や観客たちの目を引いている理由は、単純にそれだけではなかった。
「女子バレーにいたって本当なのか?」
「選手だったって話だろ。本当らしいぜ」
鶫はかつて、女子バレー界で華々しい活躍をしていた選手だった。
恵まれた才能とそれに驕ることなく積み上げた練習と努力、それらによって培われた経験と技術。それは彼女をより高い場所へと導き、とある異名がつけられた。その異名と共に彼女は女子バレー界だけでなく男子バレー界でも有名な選手になったが、ある時期からぱったりと選手を辞めマネージャーへと転身した理由は不思議と知られていない。
「……」
「上の空だと迷子になるよ」
「あ。ご、ごめんね」
「別に良いよ」
生来から小さな音でもよく聞き取れる鶫の耳。彼女の耳にはそんな小さな噂話もはっきり聞こえていて、少々居心地が悪かった。そんな鶫の様子を察して声をかけたのは同期のチームメイトの国見で、彼女の意識がこちらに向いて気が紛れたのを確認すると小さく微笑んだ。
国見はそのまま適当な話題を振って気を紛らわせ、鶫はそんな意図に気付かず彼の話に耳を傾けながら体育館へ足を踏み入れた。
「あっ、オイ見ろ! アイツってあれだろ、例の――」
コート上の王様、影山飛雄。
その異名を聞いた影山が声の主を睨み付けたが、直ぐに興味を失くして無視を決め込む。突っかかることなく事が済んだ様子に鶫はほっと胸を撫で下ろし、選手たちに続いてメインホールへ足を踏み入れた。
メインホールは既に席が埋まっていて、こちら側の応援席では控えの部員たちや保護者たちが声援を送っている。鼓膜だけではなく体も震わせる熱のある声援に鶫が少しだけ羨ましそうに目を細めた時、ホールの出入り口付近で数人の選手が立っていることに気が付いた。
「……雪ヶ丘中学」
私たちと試合が当たる人たち。公式戦に出場した話はこの数年の間なかったらしいけど、ギリギリで部員が集まったって聞いた。確かに今見る限り、出場人数はギリギリ……控えはいなさそうかな。
場に飲まれ委縮している彼らの様子を見ながらベンチに入った鶫は試合の準備を進め、さり気なく選手たちの様子を確認する。ベンチを離れてやらなければいけない仕事はベンチ入りしない選手たちに割り当てられているので、ほとんどベンチを離れずにできる仕事ばかりだった。
「舞雛」
「どうかした?」
ベンチ周りの準備が整ったところで金田一に声をかけられた鶫が彼の方へ振り返れば、出入り口の方を親指で指し示しながらドリンクを作りに行った面々が戻ってこないことを告げた。確かに言われてみればドリンクケースが丸ごと持ち出されたままで、戻ってきていないことに気が付かなった鶫はうっかりしていたと申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんね、気付かなかった」
「大丈夫だ。ちょっと様子見てきてくれるか?」
「うん、勿論。急いで行ってくるから」
「走らねえで良いから。悪いけど頼むわ」
くれぐれも走るなよと念押しをされてから会場を出ると一番近い水道へ足を向ければ、ドリンクケースを足元に置き準備をしている部員二人の姿を見つけた。遠目からではあるが準備はほとんど済んでいるように見えるが、相手チームの噂話に花を咲かせていた。
「つーか人数も少なくなかった? リベロも居ねえの!」
「それに半分が小学生だったよな」
「はあ? 一年だろ?」
「ほぼ小学生じゃん。ウチとどうやって戦うつもりかな」
「オイ、お前ら! あまりナメるなよ!」
あまりにも相手チームに失礼な物言いだったので鶫が注意しようとしたが、それよりも早く口を挟んできた人物が一人いた。その会話に割り込んできたのは男子トイレのドアに手をかけている少年で、今まさに噂話をされていた雪ヶ丘中学の選手だった。
「おれの腹が治り次第っ……試合で痛い目見してやるから覚悟しとけ、よ――ううう……」
腹痛が酷いらしい彼は癖のあるオレンジ色の髪を揺らしながらその二人を睨み付けたが、彼らはその様子を見て大笑いを始める。
あまりにも酷いと思わずため息をついた鶫が彼らの元に歩み寄ろうとしたが、何時からそれを見ていたのか脇から姿を見せた影山が彼女の頭に手をポンと置いてそれを制した。彼の登場に驚いた鶫が目を丸くしている間に影山は彼らの方へ歩み寄っていき、鶫は慌ててその背中を追った。
「――おい、二年」
「!」
「公式ウォームアップ始まるぞ。鶫の手を煩わせるんじゃねえ、早くしろ」
「ヤベっ、影山さんだ。それに舞雛さんも……」
「すみません、直ぐ戻ります!」
雪ヶ丘の少年を一瞬だけ見て影山が踵を返すと、彼らは作業を急ぎながらも再びその少年のことをからかいクスクスと笑い始めた。当然近くにいた鶫はその話し声が聞こえていたのでいい加減にしなさいと注意しようとしたが影山が手を伸ばしてきたのでその言葉を飲み込み、彼がその手をジャージのポケットに突っ込むのを静かに見つめた。
「……お前らベンチにも入れないくせに、対戦相手を見下せるほど強いつもりなのか? 学校の名前に乗っかってんじゃねえよ」
「す、すいません!」
流石にそのひと言が堪えたのか彼らはドリンクケースを持って気まずそうにその場から立ち去り、からかわれていた少年は舐められたら不味いと思ったのか慌てて口を開く。
「おれも今、ビシッと言ってやるところだったんだけどねっ!」
「体調管理も出来てない奴が偉そうなこと言うな。だからナメられるんだろ」
「ちょっと飛雄くん……」
「試合の為に万全の準備をしてくるのが当然だろうが。一体何しに此処へ来たんだ? 思い出作りとかか?」
言っていることは間違っていないが言い方というものがあると鶫が影山のジャージの裾を引っ張ると、彼は言いかけていた言葉の続きを飲み込む。影山の言葉で気を悪くしていないかと少年の様子を見てみれば、彼はその言葉で心のどこかを刺激されたのか先程の弱々しそうな雰囲気とは一転して凛とした表情を浮かべていた。
「――勝ちに来たに決まってる!」
「……随分簡単に言うじゃねーか。バレーボールに必要なものが身長だって分かってて言ってんのか?」
「……確かにおれはデカくないけど――でも!」
おれは、とべる!
「負けが決まってる勝負なんかない。諦めさえしなきゃ――」
「――諦めないって、口で言うほど簡単なことじゃねえよ」
「!」
少年の言葉を否定するように放った影山の言葉に鶫は僅かに息を飲み、影山のジャージを摘まんでいた指先が一瞬だけ震えた。
「体格差も実力差も、気力だけで埋められるモンじゃない。試合で分かるだろうよ。――行くぞ、鶫」
「……やっと」
言うだけ言って踵を返そうとした影山の足を引き止めたのは静かに口を開いた少年の言葉で、彼は何かを堪えるように震える体と喉を抑え込みながら言葉を絞り出した。
「やっと、ちゃんとコートで六人で、バレーが出来るんだ……!」
「……?」
「一回戦も二回戦も、勝って勝って――いっぱい試合するんだ、おれたちのチームは!」
今までできなかった分も。
「……一回戦も二回戦も、決勝も、全国も」
勝ってコートに立つのは、この俺だ。
「飛雄くん……」
「行くぞ、鶫」
言いたいことはそれだけだと言うように影山は次こそ踵を返して会場の方へ足を向け、鶫は影山を追いかけるか少し迷ったものの少年の方へと歩み寄り、ポケットに入れていた未開封の使い捨てカイロを彼に差し出した。
「これ使って下さい。ユニフォームの上から当てれば腹痛が和らぐと思います」
「えっ! ……あ、ありがとう!」
「いいえ。では試合、宜しくお願いしますね」
ほんの些細なことだが受け取ってもらえて良かったと鶫は小さく会釈をしてから影山の背中を追いかけ、少し先の廊下で待っていた影山に待たせてごめんねと目尻を下げた。
「試合相手に気ィ遣うんじゃねえよ」
「飛雄くんはちょっと厳し過ぎるの」
「そんなことねえよ。それと走るな。響くだろ」
「大丈夫。ちょっと心配し過ぎだよ」
影山と肩を並べて会場に戻る頃には公式ウォームアップが始まる頃合いになっていて、問題だったドリンクケースもベンチ脇に置かれていた。色々と間に合って良かったと胸を撫で下ろす鶫に影山は脱いだジャージを手渡し、腕の緊張を解すように両腕を少しだけ伸ばした。
「無茶するようなら今度のバレーの約束はナシだからな」
「酷い!」
「無茶しなければ良いだけの話だ。ほらウォームアップ始まるぞ」
「……意地悪」
「言ってろ」
不服そうな鶫の頭を軽く叩くように撫でた影山はチームメイトと共にコートへ向かい、そんな彼の背中を見ていた鶫は受け取ったジャージを適当に畳んで彼のバッグの上へ置くと、自分の仕事を全うするためにジャージの袖をまくり上げた。