01
市民体育館のコートでは公式ウォームアップが始まり、選手たちの声やバレーボールが沢山行き交っていた。
試合は3セットマッチ。ウォームアップは合同形式の六分間。鶫が選手たちに普段とは違う様子がないか目を光らせる中、同じくらいに影山の様子に目を光らせていた。
「タイミング遅えよ! 速攻はもっと速く入って来いっつってんダロ!」
「……悪い」
「影山、速さに拘り過ぎるなよ。大事なのはお前個人の技術じゃなく、スパイカーに如何に打たせるか――だからな」
「……分かってます!」
「……」
影山のブロックを振り切ることに特化したトスは、何時も通り選手たちを振り回していた。これを何時ものことにしてはいけないのだが、このようなトスになってしまったのは大きな理由がある。そしてその理由を知っている鶫は、トスを修正するタイミングを見計らい今に至っているが、既に気が付いた頃には大事になってしまっていたので彼にどうやって口を出すかどうか悩んでいた。
「……どうしたら良いんだろう」
鶫の呟きと共に審判のホイッスルが鳴り、整列するように号令がかけられる。それに合わせて北川第一と雪ヶ丘の選手たちは片付けをして整列をすると、ネットを挟んだ相手に向かって一礼した。
「お願いしあース!」
挨拶を交わすと早々にポジションにつき、サーブ権を取った北川第一から試合が始まる。コート外から見ても双方の平均身長差が歴然としているのでまるで小学生と高校生の試合にも見えるが、鶫の目には違う情報が映り込んでいた。
「……あの1番」
それは試合前に顔を合わせたオレンジ髪の少年。前情報では特に目立った経歴はないが、他とは“何か”が違う。沢山の選手たちを見てきた鶫は今までの経験で培った勘で、彼が他と違う何かがあることを感じ取っていた。
「……何が違うんだろう」
確証も根拠もない、ほぼ勘に近い差。だがその違いは確かにそこにある。鶫がその答えに辿り着く前に試合開始のホイッスルが鳴り、北川第一のサーブが打ち込まれた。
サーブを受けた雪ヶ丘は鈍い音を立てて危なげないながらもそのボールを上げ、セッター位置から僅かに外れた場所にボールが弧を描く。
「行けえ、翔ちゃん!」
レシーバーもセッターも素人。ボールの扱い以前に身のこなしからそれを察した北川第一のブロックは冷静にボールを目で追いタイミングを見計らったが、シューズのスキール音と共に躍り出た小柄な少年の跳躍は彼らの予想を大きく裏切って高く跳び上がった。
「――鳥みたい」
思わずそう呟いた鶫が目を丸くする中、ハッタリではなかったと口角を上げた影山は隣にいた金田一にクロス側を締めるように指示を出し、三枚ブロックで的確にそのスパイクを叩き落とした。冷静で的確な北川第一のブロックは何時も通りに機能していたものの、雪ヶ丘の1番のナンバーを背負う少年の跳躍力はその機能が霞んで見えてしまいそうなくらいの性能をしていた。
試合は滞りなく続き、北川第一が1セット先取した状態で2セット目に突入していた。現時点でのスコアは22‐07で、このセットを取れなければ雪ヶ丘は敗退することになる。かなりの点差が開き相手との実力差もあるなかでの逆転は難しいと誰もが思っていたが、1番の少年だけは諦めることなくコート内を縦横無尽に駆け回り試合を引っ掻き回す。
多少マシな選手もいるがそれも団栗の背比べ状態で、ほとんど初心者ばかりのメンバーの雪ヶ丘。そんな彼らがチームとしてそれなりに機能しているのは、1番の少年の気力によるものが大きかった。
「初心者ばかりのメンバーをよく支えてる。まとめる力も悪くない……」
彼自身も技術的に拙い部分ばかりだけど、あの身体能力は稀有な才能。もし雪ヶ丘に彼を生かせるようなセッターとチームメイトが仮にいたとしたら――相当化けていたはず。
試合の様子を記録していた鶫の目にふと前方の応援席にいる人たちに目が留まった。其処には女子学生二人組の脇で観戦している黒いジャージ姿の男子生徒が三人並んでいて、その胸元にはicsのロゴが刻まれている。そのジャージに見覚えがあった鶫は彼らを注視するが、当然彼らはその視線に気づくことなく会話を続けた。
「あれで身長があればなああ!」
「うん。あとは……雪ヶ丘中にちゃんとしたセッターがいたら、あの1番ももっと活きるんだろうけどなあ」
「うん……。でも初心者寄せ集めみたいなメンバーをよく一人で支えてるよ、あの1番」
「逆に――影山は周りの恵まれた面子をイマイチ活かしきれてないよな。影山“個人”の力は申し分ないはずなのに」
まるで、独りで戦ってるみたいだ。
「……独りの、戦い」
その言葉が重く圧し掛かった気がした鶫が少し表情を曇らせた時、色素の薄い髪を揺らす男子が鶫の方へ顔を向けた。距離的にこちらの声は聞こえていないはずだけどと鶫は少しだけ目を丸くして数回まばたきをすると、目が合った彼は少しだけきょとんとした顔をして隣にいた短髪の男子の肩をちょんちょんと指先で叩いた。
「向かい側のベンチにいるの、北川第一のマネージャーじゃない?」
「えっ!?」
「コラ、あんまり邪魔するな」
その言葉に反応したのは短髪の男子よりも坊主頭の男子が早く、少しだけ身を乗り出して見てきたその男子に鶫は驚いて目を丸くした。坊主頭の男子の行動に口角を引き攣らせた短髪の男子が申し訳なさそうに軽く頭を下げてきたので鶫もそれに釣られて会釈を返し、彼らから意識を外した。
鶫の視線がコートへ戻ったことに坊主頭の男子は残念そうに表情を曇らせて頬杖をつき、マネージャー業をする彼女を見下ろしながら口を尖らせる。
「強豪校のマネージャーは可愛いんスねー。羨まし――いや俺には潔子さんが……!」
「田中煩い。なあ、北川第一のマネージャーってことは、あの有名な子じゃない?」
「ああ……話が本当なら多分そうだろうなあ。実際見たことないから確実とは言えないけど」
「話って何スか?」
色素が薄い髪の男子と短髪の男子が話している内容がイマイチ分かっていない坊主頭の男子がそう問いかけると、短髪の男子が鶫を指で指し示しながら多分だけどなと前置いて口を開いた。
「あそこにはマネージャーひとりしかいないって聞いてるから、多分本人だろうな」
「話通りならだけどなー」
「それでその話って何なんスか?」
「彼女、優秀な選手だったんだよ」
「え?」
影山の速攻――チームメイト曰く“ムチャブリトス”が徐々に目立ち始めてきた。
そのトスに鶫がハラハラとしながら様子を窺うが、そのトスは徐々にチームメイトを翻弄していく。北川第一側のサーブを雪ヶ丘の3番が受けきれずボールを後方へと弾く。それを見たサーバーがまたサービスエースだと口角を上げたが、影山は直ぐに眉根を寄せた。
「まだだ!」
「!」
影山の声が飛ぶとほぼ同時に駆け出した1番の少年。ボールを一点に見つめて追う姿に鶫は一瞬目を奪われ、思わず息を飲む。少年が追いかけたボールは惜しくもほんの僅かな差で床に落ち、少年は派手に滑り込む形で壁に激突した。
その得点により北川第一がマッチポイントに入り、1番の少年は悔しそうにその場から起き上がる。先程ボールを弾いた3番が駆け寄ってきたので次は取ると彼はフォローを入れたが、3番の彼は気まずそうに視線を逸らした。
「け、怪我しちゃってもアレだし。正直、勝てる相手じゃないし……。何でそこまで……」
「えっ!?」
「そりゃそうだ。後輩にあんなこと言われちゃって」
「でも確かに。何であそこまで……俺なら戦意喪失するなー」
「……」
雪ヶ丘の二人とチームメイトの会話両方を聞いていた鶫。当然ネットを挟んだ影山も雪ヶ丘の1番と3番の会話が聞こえていた。
しかし鶫は影山と違い、1番の彼の僅かな変化に気づいていた。
「えーっと、ええ……?」
「……」
「よくわかんないけど……でも」
まだ、負けてないよ?
単純で明確、しかしそこに含まれるのは純粋な闘争心。
その闘争心に気づいた鶫と影山は顔色を変える。コートから離れている鶫が感じた闘争心は彼女の背筋を撫で、思わずペンを取り落としそうになったが慌てて握り直した。闘争心に中てられた精神を落ち着かせるように息を整え、誰に言うでもなく唇を静かに開く。
「――そうね、単純なこと」
どんなに難しいボールでも、追う理由はたったひとつ。
まだコートにボールは落ちていないから。
北川第一側のサーブが入り、1番がそれを寸前のところで拾い上げる。乱れたボールは5番の少年が足で拾い上げ、体育館の宙に舞い上がった。
「翔陽!」
「翔ちゃん!」
――そうだ、単純なことだ。
どんな劣勢だろうが、戦い続ける理由はひとつ。
「っ!」
まだ、負けていないから。
影山がブロックに飛んだ1番の闘志に寒気を覚えた瞬間、そのスパイクは金田一の手を弾いて後方へとボールが飛ばされる。カバーだと影山が声を張るが、ボールの軌道を見て取ることを諦めた国見が小走りで落ちるボールを追うと、影山は今まで以上に眉根を寄せた。
「最後まで追えよ!」
「!?」
「わ、悪い……」
「勝負がついてないのに気ィ抜いてんじゃねえよ!」
「分かってるけどさ……この点差がひっくり返るような奇跡は無い――」
「今の一点は奇跡じゃない、“獲られたんだ”。アイツに点を! 獲られたんだよ!」
「いや、まあ……そりゃそうなんだけどさ……」
声を荒げる影山の心境は分からなくもないけどと言いたげな国見が曖昧に笑うが、コート外でそれを見ていた鶫は試合前に彼が宣言していた言葉を思い出す。少しだけ息が詰まるような感覚に、バインダーを持つ手が少しだけ震えた。
「……あの時言っていたこと、本気だったんだ」
でもこちらがセットポイントなのは変わらないし、あと一点で勝負が決まる。このギリギリの状況で、彼はどう動くのかしら。
鶫が静かに見つめる先で雪ヶ丘からのサーブがネットに触れるようにしてコートに入り、金田一が寸前のところでボールを拾い上げる。拾い上げられたボールは雪ヶ丘の方へ返りそのまま3番のレシーブでセッター位置へ運ばれたが、ボールは6番のセッターの手からすり抜けた。
「!」
初歩的なトスミス。しかし反則は取られていない。――でも、そちらには誰も居ない。
鶫と影山がこれで終わりかとボールを目で追った刹那。1番の少年が空間を裂くようにレフト側からライト側へと、とんだ。
「!?」
それはほんの一瞬き。
今左にいたはずなのに、マークしていたはずなのに。なんで。
「っ――!」
なんで、右にいる!?
影山のマークを一瞬で振り切った1番のスパイクは影山の手に触れることなく打ち込まれ、サイドラインギリギリの場所に沈み込む。1番の少年がスパイクと共にコートへと派手に倒れ込み直ぐに体を起こしたと同時に、審判の両腕が上がった。
「あ……」
北川第一側に沈んだボールは僅かにサイドラインを外れてアウト。
点数表がめくり上がると同時に試合終了のホイッスルが響き渡り、セットカウント2-0で北一の勝利で幕を閉じた。
「うわーっ! 最後のは惜しかったなーっ!」
「ああ……。でも見てみろよ」
北川第一の連中、大差で勝った奴らの顔じゃないよなあ。
「……」
無理な体勢から片足で踏み切ってあのジャンプ。目で追うだけで精一杯だった。
「一本くらいマグレだろ……」
「……」
――そうだ。今のはセッターのミスだった。バックトスなんて予測してたわけがない。
「……それにも拘らず、“あのトス”に反応できる」
影山と同じく先程の流れと1番の動きに呆然としていた鶫だが、エンドラインへ駆けて行くチームメイトのなかで影山がその流れに逆らいネット際へつま先を向け雪ヶ丘の1番の前で足を止めたことに目を向けた。
「飛雄くん……?」
「……」
高い運動能力、反射、自分の体を操るセンス――そして勝利への執着。
それらを持っていながら。
「お前は三年間、何やってたんだ!?」
「!」
影山がかけた言葉に鶫は目を見開き、息を飲んだ。それは雪ヶ丘の1番も同様だが何も言い返すことはなく、彼のチームメイトが声を上げるなかで静かに拳を握りしめて悔し気に俯くだけに留まった。
影山がチームメイトに合流し雪ヶ丘の彼らもエンドラインに並び挨拶を交わすなか、鶫は試合終了のホイッスルと共に止めていたストップウォッチに視線を落とす。
「……総試合時間、31分」
一番短かった公式戦の試合時間。でも一番長く感じられた、不思議な時間だった。