15
掌一枚、厚さ約2センチ。
おそらく同年代の連中と比べてもひと回り小さな手。
このボールと床の間の“2センチ”が、エースの命を繋ぐ。
「カバー!」
「オーライ!」
西谷の声とほぼ同時に駆け出していた菅原はボールの落下地点へ回り込んだが、その様子を見ていた鶫はこれから彼がどのような采配をするのかと静かに目を細めた。
「……菅原先輩」
日向くんと飛雄くんでなければあの場所からの速攻はできない。レフトからのオープンが一番確実だけど、そこにいるのは東峰先輩……他にコースがあるとすれば嶋田さんのバックアタック。東峰先輩にトスを上げるかどうか迷っているみたいだけど、ボールは空中で待っていてくれない。
「菅原さん!」
「!」
さてどうするのかと鶫がコートを見ていた時、ネットの反対側から影山が菅原を呼び、菅原は意識だけを影山の方へ向けた。
「もう一回! 決まるまで!」
「ドSだね、王様」
「あ!?」
「……」
もう一回。でも――。
「自分のせいとか言い出すなよ」
「……」
「 ……確かに旭には負担かけちまったし、もっと出来ることがあったと思う。でもやっぱりエースに託すしかない場面がこれからも沢山あるんだ」
旭だけじゃなく、旭と同じポジションの田中にもこれからもっと頑張ってもらわなくちゃいけない。
「速攻が使えなくてブロックに完全マークされて止められるかもしれなくても、ブロックと真っ向勝負しなきゃいけない場面でラストボールを託されるのがエースだ」
「……」
「俺たちは個人もチームもすごく未熟でへたくそで、それを今すぐどうこうできる策なんかない。エースに頼りすぎないための攻撃もフォローするためのレシーブもただ繰り返し練習していくしかない」
「……そうだな」
「……」
苦しい時やレシーブが乱れた時、ラストボールを託されるのがエース。
分かってる、分かってるけど。
またここでトスを待っていないトスを上げて、三枚ブロックと勝負させるなんて。
東峰にトスを上げるか迷った菅原は鶫の分析と同じように嶋田へチラリと視線を向けると、彼は片手を上げて助走を始めていた。迷っている間にもボールは確実に落下してきていて、菅原が嶋田の助走に合わせてトスを上げようとした時、東峰が僅かに唇を噛んで息を大きく吸い込んだ。
「嶋田さ――」
「スガァ――ッ!」
「!」
「もう一本!」
菅原の声を掻き消した東峰はトスを呼び、思わず菅原が振り返った先には助走を始めた東峰の姿が確かにそこにあった。
「――……」
エースが待ってる。
トスを呼んでる。
「旭!」
ネットから少し離した高めのトス。何本も上げてきた、旭の得意なトス。
単純なこのトスでも精一杯、丁寧に。
「君、向こうのチームに肩入れしてんの? 悪いけどまた止めるよ?」
「当然だ。手なんか抜いたら何の意味もねえよ!」
「うおおおおお!」
頼もしい背中の守り、俺の為の一番打ちやすいトス。
不足なんてない。
単純で当たり前のことを何時の間にか忘れていた。
俺は独りで戦っているのではない。
託されたラストボール。何度壁にブチ当たろうとも――打ち切る。
「っ!」
打ち切ってこそ、エース!
東峰のスパイクは影山と月島と田中の三枚ブロックを重い音と共に吹き飛ばし、それを見た武田は興奮で思わず声を上げた。菅原はすかさず西谷と東峰に駆け寄り、東峰は少し顔を上げて恥ずかしげに笑った。
「ナイス! ナイス旭! 西谷も!」
「お前らも……」
「?」
「ナイストス、スガ。西谷も……ナイスレシーブ」
東峰の照れた笑顔に菅原と西谷は満面の笑みを返し、それを見ていた鶫はほっと胸を撫で下ろす。その脇では武田がやや興奮ぎみに今のプレーを語っていて、それを聞いていた鶫と烏養は顔を見合わせた。
「ブロックされたボールが拾えるなら怖いものナシですねっ!」
「何言ってんだ。あんなもん拾うつもりでいても毎回拾えるわけねえだろ」
「えっ」
「百キロかそれ以上のボールがほんの二、三メートルの近距離から予測不能の方向に落ちて来るんだ。そんなモン全部拾えるわけねえ」
「おお……」
「ただ」
“ブロックされたらそこでおしまい”ってわけじゃないと分かってることが大事なんだ。
「?」
「後ろにはちゃんと仲間がいるのだと“分かってるかどうか”で気持ちは全然違うモンさ」
「……なるほど」
コート内の雰囲気が落ち着いた頃には点数は07-05に動き、僅かに町内会チームが優勢で試合が進んでいる。町内会チームのサーブを縁下が拾いあげたがレシーブはやや乱れ、ボールの落下地点を見極めた影山がそのボールを追う。その判断力と落下地点の見極めの速さに烏養が内心で感心していたが、影山の脇から飛び出す日向の影には気付いていないようだった。
「こっちのセッターは確か一年か。こっから誰を使――」
烏養がボールやコート内の面々を目で追うより早く影山の手からボールが離れ、既にスパイクのために跳んでいた日向の元へと運ばれる。その速攻に目を丸くした頃には町内会チームのコートにボールが沈んでいて、その速攻を初めて目の当たりにした面々は唖然として言葉を失っていた。
「……」
“今は影山のトスがあるからどんなブロックも躱せます!”
「大袈裟なこと言ってるわけじゃなかったんだ……」
「スゲーじゃねえか翔陽! なんだなんだ! うっかり見入っちゃったぞ!」
「えへへ」
西谷の褒め言葉に日向は嬉しそうに笑い、隣の影山は特に気にした様子もなく背中を向ける。そのまま試合が再開されるかと思ったが我に返った烏養が日向を呼び止め、日向とその傍にいた影山が彼の方へ顔を向けた。
「今何でそこに跳んでた!? ちんちくりん!」
「ちんっ……!?」
ちんちくりんと言われてショックを受けた日向だったが、どう言ったら良いのかという様子ながらもどこにいてもトスが来るからですと素直に答えた。それを聞いた烏養はあり得ないと言うように息を飲み、日向の後ろに居る影山へ目を向ける。
「何なんだお前ら! 変人か!?」
「変人……?」
「ププ」
「何で?」
「知るか」
当事者の日向と影山は何故そう言われるのかと不思議そうにしていたが、一般的にはこの反応が正しいことをよく分かっている鶫は苦笑いをする。試合が再開された様子を烏養は眺めながら、なるほどなと静かに呟いてその視界に影山を映す。
「……あの一年セッターは、まあ天才ってやつなんだろう。それと比べられたら凡人はたまったモンじゃない――が」
菅原が平行に上げたトスを東峰が綺麗に決め、一ヶ月ぶりのコンビネーションでもタイミングが完璧だと田中が喜びの声を上げる。それを近くで見ていた嶋田も舌を巻き、ハイタッチをする菅原と東峰の信頼関係の深さを改めて実感していた。
「トスとスパイクの一瞬の呼吸、そりゃあ沢山の練習と積み重ねた時間があるからできること。あの信頼関係は一朝一夕で築けるものじゃない」
「……」
私もそう思う。飛雄くんにあるのが“圧倒的才能”だとしたら、菅原先輩にあるのは積み重ねた“信頼と安定”。
「……でもそれを考えても、選ばないといけない」
どちらが正しいとかどちらが劣っているとかの話じゃない、もっと別の場所で。
試合は既に中盤に差しかかり、24-19で町内会優勢のまま続いている。ローテーションが変わり日向が前に出ると目の前にいる東峰をじっと見つめ、東峰は当然その視線に気が付いて少々気まずそうにその視線から目を逸らした。
「そういえばこの試合……」
「あっ、そうですよね!」
「あ?」
あることに気が付いた鶫がふいに声を漏らすと武田もそういえばと言うように目を輝かせ、烏養は何かあるのかと首を傾げる。武田は嬉しそうに目元を緩めると、その昔、日向と同じ背番号を背負っていた選手を思い浮かべながら話を始めた。
「日向くんは烏野が強かった頃の“小さな巨人”って呼ばれてたエースに憧れて、この烏野に来たらしいんですよ」
「へえーっ! アイツにか」
「だから“エースになる!”って言って何時も頑張ってるんですよ。そんな日向くんが烏野の現エースと直接対決ってわけです!」
「ほおー面白えじゃんか。社会人対中学生みたいだけどな!」
社会人対中学生というワードは確かに的を射ているが、当本人の日向がそれを聞けば微妙な表情をしてしまうに違いないと鶫は苦笑いを浮かべ、ボールが飛び交うコートへ再び目を向ける。日向の視線の先には東峰の姿、そして何時の日か見た小さな巨人の姿を重ねていた。
「――……」
おれ、今エースをマークしてる。
烏野のエースと戦ってる。
「ナイッサァー!」
「頼んだ!」
「ナイスレシーブ!」
西谷のレシーブは綺麗にセッター位置へ返り、菅原のトスはネットと平行に上げられる。東峰がレフト側から助走をして床を踏み切った時には既に目の前に日向の姿があり、ブロックにかかったボールは体育館の壁まで弾き飛ばされ町内会チームの方に得点が入り第1セットが終了した。
「すごい……! 一ヶ月ぶりのはずなのに……!」
手の平に確かに残る東峰のスパイクの重さと威力に日向が目を輝かせるなか、先程の日向のブロックに言いたいことがあるらしい影山が彼の脇からジェスチャーを交えながら声をかけたものの、日向は東峰の方に意識が行っていて話が頭に入っていない。
「……」
汗いっぱいで苦しそうで……でも小さな巨人は何回でも跳んでいた。
あの時はよく分かんなかったけど、きっとあれが仲間からの“信頼”というやつなんだ。
この人なら決めてくれるとチームの皆が思ってたから、皆があの小さなエースに繋いだんだ。
そんできっと、アサヒさんもそれと同じだ。
「……おい」
「エースすげえな! ブロックいてもいなくてもあんな風にブチ抜けるなら関係ないもんな!」
「……」
「なんだよ……」
「別に」
「?」
「時間押してるからすぐ2セット目始めよう!」
「オース!」
時刻は既に七時を回り、水分補給だけの休憩を挟んで直ぐに第2セットが開始された。第1セットとは空気が変わった第2セットはお互いに点の取り合いになり大きく点差が開くことはなかったが、鶫は先程から日向の様子が違うことに気が付いていた。
「……なんだろう、この感じ」
コンディションとかそういう風なものじゃなくて、もっと別の精神的なもの。でも目立って顕著に出ているわけではないし必要以上に心配する必要もなさそうだけど……。ちょっとした変化が別の何かに繋がることもあるから、ちょっと気を付けてあげないと。
第1セットとは違う日向の些細な変化に気付いた鶫が東峰の助走やスパイクコースと日向の様子を脳内で算出した瞬間、目を見開いて声を張り上げた。
「日向くん!」
「えっ」
珍しく焦った様子の鶫の声で我に返ったが時はすでに遅く、影山と月島のブロックを抜けた東峰のスパイクが日向の顔面に直撃した。その衝撃で日向は後方に吹き飛んで床に転がり、彼が顔面で受けたボールは後方へ転がっていく。
「うわあああああ!?」
「ギャーッ!」
「日向!」