1.
むぎゅぅ、そんな音がしそう。俺の腹部には太い腕がガッチリと回ってるし、首元には男の頭。時折ちぅ、と首筋を吸う音が聞こえる。くすぐったくて身を捩るが全く動けない。
最初こそアキ兄が「事務所のど真ん中で公開プレイやめろよ…お前ほんとに止めろよ…ッ」とヘッドロックをかけていたのだが3分経っても5分経っても10分経っても微動だにしないソレにアキ兄は諦めて放置という手段に出た。ナツ姉は俺たちを二度見してから「あ、いつものですね」と慣れたようにスルーした。頼みの綱の薫子姐さんは仕事で不在。直兄はこうなる前にすでに帰った。
さてどうしようか。俺としては別にこのまま、気が済むまで好きにしていいと思っていた。けど、そうも言ってられなくなった。
…おなか、空いたな…。
かれこれ2時間ほど、俺は甚爾に背後から無言で抱きしめられていた。
事の発端は2時間前のこと。
「あ、買い忘れ。甚爾、俺もう一回買い物に行ってくる」
「………は?」
「は?ってなに」
「いや、おま、は?はぁ?」
「買い忘れ、そんなに駄目なの?」
「ちっげーよ!恵お前今自分のことなんつった?聞き間違いか?俺の耳が可笑しくなったか?」
自分のこと…ああ、そのことか。
この日、なんとなく自分のことを「俺」と呼ぶことにした。ちょっと、流石に自分のことを「めぐ」と呼ぶのが恥ずかしくなってきた。もう小学生だし、周りの子供だって「俺」とか「僕」とか言ってるのだ。流石に子供っぽすぎるよな、そう思ってのこと。俺か僕どっちにしようか考えて、多分血筋的に可愛い系ではないから俺のほうがいいかな、なんて。将来、格好良い系(甚爾)か美人系(直兄が俺は美人に育つって言った)だろうか。
そういえば美人といえば。前に直兄に見せてもらった禪院の双子の写真。自分と同じくらいの歳の子供。「呪力無くてほんま出来損ないなんやけど、将来はまぁ美人に育つんちゃう?」滲み出る呪術界御三家の人を人としてみない発言。『呪術師に非ずんば人に非ず』だっけ?控えめに言ってクソですね。「まぁ呪力も術式も完璧な恵君のほうが美人になるけどな!」と言葉が続いた。呪力と美人度はするのか?あとなんだその俺推し。最近滅法直兄が俺に甘い。「マジ家の連中クソやから。雑魚ばっか使えんヤツばっか。まだ小学生の恵君の方が全ッ然優秀やで。なのにクソは踏ん反り返って俺は強いんだ!俺は偉いんだー!ってアホか雑魚が。ハァー、恵君縛り解いて禪院おいで。俺の右腕として。甚爾君は炳の筆頭にしよ。天与呪縛がーっていうアホは全員ぶっ殺」なんか勝手に色々言ってるし。
「それ甚爾の前で言ったら殺される。甚爾は本気で禪院家嫌い」
「せやろなぁ。でもなぁ、術師じゃない甚爾君のほうが遥かに強いし、なんかもう禪院の術師要らんやろもう。あ!もういっそ俺と甚爾君と恵君の3人で呪術界の頂点立たん?」
「立たん」
「えー。どこぞの自称最強ズより、多分ずっと強いで?」
「興味無い」
「術師として訓練も受けとるんに?」
「組合にいるんだから、当然のこと」
「ふぅん」
「あと」
「うん?」
「あと、俺と甚爾の邪魔をするやつをぶちのめす為に。俺は、甚爾が居れば何もいらない。現状が一番居心地がいい。邪魔するなら」
そう、邪魔するなら誰であろうとも。
呪術師、非呪術師、組合の人間、誰であろうとも
「直兄でも殺すよ」
「…はぁー、マジのやつやん。小学生が出す殺気ちゃうで。冗談やジョーダン」
「半分本気だったくせに」
「ちょっとくらいええやん。ワンチャンあるかもやし」
「無い」
「勿体ないなァ」
「俺が自分のために使う力に、勿体ないもクソも無い」
「超ド正論!っていうか恵君クソって言った?」
「直兄のマネ」
「わぁ、ボク口悪ぅ!クソしかおらん家が悪い」
「がんばれ直兄」
「そういやって労ってくれるの恵君しかおらん…」
だってこういうと直兄ちょろいからすぐ絆されるんだもん。頭を撫でてやれば「うう、恵君だけが癒やしや…」なんて頭を撫で返される。うん、ちょろい。
ちょろいついでにもうひとつ。
「癒やしなら妹がいるじゃん」
「…真希と真依のことか?妹とちゃうで」
「でも俺は直兄の弟なんだろ?」
「そうや、俺が恵君のお兄ちゃんや!」
いや、違うけど。
「じゃあその双子も妹で良くない?」
「えー、恵君は可愛いけど双子はなぁ」
「それは双子の事をよく知らないから。直兄だって最初俺を殺そうとした」
「んんッゲホッ!せやなぁ!ちょっと妹(仮)と交流深めるのもええかもしれんなぁ!ところで恵君その記憶消す気あらへん⁉」
「今となっては良い思い出ってことで」
「…や、恵君がそう思ってるんならそれでええけど…」
気まずそうに俺を見る直兄。俺は本当に気にしてないし、ちょろい手駒…仲間もできて万々歳なのだが。
「ま、恵君の言う通り双子の事よく知らんしなぁ。帰ったらちょっと話でもしてみるかぁ」やはりちょろい直兄。俺を相手にしてるんだ、同い年くらいの子供にはそんなにキツくあたらないだろう。
因みに恵の予想は的中する。
ほんの少し、未来の話。
今まで傍若無人に振る舞っていた直哉。ムカつくことがあれば適当な人間をサンドバッグにしてストレス発散、それが当たり前だった。くだらない事でオッサン共にグチグチ言われ、不機嫌に家を歩いていたら出くわした双子。良いストレス発散みーっけ。振り上げる拳、振り下ろそうとした瞬間恵の顔が思い浮かぶ。ぴたりと止まる腕。…うん、女子供に手を出すのはあかんな。真依を庇い一歩前に出ていた真希の頭に、ゆっくりと開いた手を乗せた。きょとんとする真希、そして頭を撫でる直哉。恵君つんつん髪の毛にしては柔らかい髪質してるんよね。なんかこの子も似とるなぁ、髪質が。いや顔も結構似とるな。ストレスによる弟(恵)不足。直哉も大概染まっている。
これを期に、会うたび何故か直哉に撫でられる双子は宇宙猫になりながらも「アイツは割とまとも」という評価を受け懐くようになる。「なおやー頭撫でていいぜー」と真希、おずおずと無言で頭を差し出す真依。どうしてこうなった。あと呼び捨てやめい年上やぞお兄ちゃんと呼べ、と思いながらも双子の頭を撫でる直哉。妹も良いもんかもしれん。ちょろい直哉。
「直哉様は幼児趣味」と直哉を良く思わない連中がそんな噂を流し「やっぱ禪院クソだから甚爾君と恵君引き込んでぶっ壊そうかなぁ」なんて呟きに「直哉禪院ぶっ潰すのか?私もやる!」と乗っかる真希。うんうん、妹ってやっぱり良いかもしれないなぁ。ちょろいぞ直哉。
脱線した話は閑話休題。
「ところで恵君、いつから自分のこと俺って言ってたん?」
「今日から。めぐは卒業する」
「そぉかー。男の子の成長は早いなぁ…あんのペド野郎には手ェだされとらん?」
「出されてない」
でっかくなるまでは、我慢しねぇとな。なんて甚爾はキスしたり触ったりしてくるだけだ。世間はそれを「手を出してる」というのだが、恵の中では手を出したうちには入っていないのだ。キスだって、舌入れてぐっちゃぐちゃに口内かき回され、息も絶え絶えクタクタにされるえげつないディープなキスなのだが、これだって手を出したうちには入らない。服の中に手を入れてあっちこっち触られたって、吸われたって手を出したうちには入らない。判定ガバガバの恵と元凶の甚爾。それを知らない直哉は「そっかー、手ェ出されたら今度こそあのペド去勢したるからな」と血管を浮き上がらせて言った。
そして「ほな、俺はこの後任務やから」と伏黒家を出ていく直哉に「途中まで、買い物行くから」とついていく。スーパーの前で直哉と別れ、一人買い物をする。「あらぁ、めぐ君今日もおつかい偉いわねぇ」近所のおばちゃん達に声を掛けられながら、買い物を済ませる。そして家に帰ったら、昨晩から仕事に行っていた甚爾が家に帰ってきていた。互いにおかえりと言い合って、いつも通りにただいまのちゅーをして、そして、そして。
「恵が、恵がグレた」
グレてはいない。
そして冒頭に戻る。
甚爾に「今日から自分のこと、俺って呼ぶことにした」と言うと甚爾は呆然として、そのまま俺を抱きかかえて組合の事務所まで飛んだ。マジの瞬間移動だった。なんで組織に?と思ったが、多分自分と同じようにショックを受けてもらいたかったんだろう。残念ながらそんなことでショックを受ける人間は甚爾以外居ないわけで。
「あ、ようやく甚爾が動き出した。結局どういうことなんだ?」
「恵がグレた」
「グレてない」
「盗んだバイクで走り出した?恵君バイクは流石に乗れないだろ」
「盗んでない乗ってない」
「そんな生易しいもんじゃねぇ」
「何したの恵君」
「何もしてない」
「恵が自分の事、俺って言った」
…はぁん?アキ兄が変な顔をした。そりゃそうだと思った。「…聞き間違え?なんだって?」首を傾げて、でもなんとなく聞き間違いではないんだろうななんて察しながらも、もう一度聞き直す。
「耳にクソでも詰まってんじゃねぇのアキラ」
「そりゃお前の頭だ」
「恵が俺って言ったんだよ!」
「…く、くだらねぇーッ!嘘だろお前嘘だろ⁉」
「嘘じゃねぇよ…恵は確かに…自分の事を」
「そっちじゃねえよ」
巻き込まれないように部屋の隅で本を読んでいたナツ姉も呆れ顔で甚爾を見ていた。
いやはや、まさかこんな事になるとは。これは一度自分を「めぐ」呼びに戻したほうが良いだろうか。ううん、でもなぁ。言いくるめる言葉は、割と用意してあったりする。でも甚爾がどうしても「めぐ」と呼ぶ自分が良いのであれば…しょうがないかな。そんなことを考えていたのを察してか、アキ兄が声を上げる。
「いや恵君、甚爾の性癖に合わせる必要ないんだわ。小学校のみんなが自分をそう呼んでるんだろ?」
「うん」
「私的には恵君は僕って言ってほしかったです」
「いやいや、やっぱり男は俺って言うのが良いよ」
「…めぐみ…」
「アキ兄も直兄も、甚爾も自分の事俺って言ってるから、同じが良かった」
「弟分がこんなにも可愛い」
「やらしい目で恵見るんじゃねぇよ」
「お前じゃねぇんだから見てねぇわ!」
ゴッ!と鈍い音がした。痛そうな音。なおダメージを食らうのは殴られた甚爾ではなく殴ったほうのアキ兄である。「このクソ石頭め…」手を擦るアキ兄。頭どころか全身石のように、俺を抱きしめて離さない甚爾。
基本的に恵は甚爾に何をされてもいいと思っている。身体も思考も、すべて甚爾のために。恵は甚爾のものであり、甚爾は恵のものである。でもこの時は、ほんのちょっとだけいい加減にして欲しいと思ってしまった。ぐぅーとお腹がなる。人間は食欲には抗えないのだ。
はぁ、と溜息を吐く。
「とーじ」
「……」
「めぐ、お腹すいたから家帰ってごはん作って食べたい」
「……」
「おい甚爾、いい加減に」
「ぐぅーーー」
「…いい加減にしてやれよ本当にさぁ…」
自分の腹がすごい音立てた。そもそも買い物から帰って来た時間が普段より遅く、さらに今の状況が2時間以上続いているのだ。いい加減何か食わせろと腹が怒鳴る。見兼ねたナツ姉が「飴くらいしかありませんけど…はい恵君。苺味大丈夫ですよね?」こくん、と頷きナツ姉から飴を受け取ろうとして、甚爾に腕を拘束される。
「…甚爾さんは何がしたいんですか。もう、恵君直接口に入れちゃいますね。はい、あーん」
「あー」
ぱくり、その飴は何故か甚爾の口の中に。「…うわ、甚爾さんに指食われました。うわっ」「ナツメちゃん、手をよーく洗ってから消毒だ」「勿論です」甚爾はばい菌かなにかだと思われてるんだろうか。というか、いい加減怒るぞ。
「とーじ、いい加減に」
あぐ、今度は俺の口が甚爾に食われた。甘い唾液が流れ込んできて、思わず自分から舌を絡めてしまう。からん、ころん。飴玉が歯に当たりながら口に入ってきた。ん、あま。
口を離すと、じいっと無表情で俺を見る甚爾の顔が目に入る。どんな感情だ、それ。
「普通にギルティ」
「お巡りさんこの人です」
「うるせぇわ」
帰る。と言って俺を抱きしめたまま立ち上がる。え、帰るんだ。「…お前何しに来たの?」ごもっともな疑問。特に何も答えず、甚爾は事務所の窓から飛んだ。
そして秒で家に着く。但し俺を抱きしめる腕は緩めない甚爾。「…ごはん」と呟くと甚爾は腕に俺を乗せ台所へ向かった。
「ラーメンでいいよな」
「返事する前からもう作り始めてるし」
「ちゃっちゃと作れるからな」
もう色々面倒なのか、沸騰した鍋にすべてをぶち込んでいた。まさか、とは思ったが鍋のまま机に持っていく。鍋敷きの上にドンと鍋を置く。
「ほれ食え」
「適当がすぎる…というか甚爾は?」
「後で食う」
一緒に食べれば良くない…?という疑問に「流石に膝にお前乗せながらは食いづらい」なんて言う。いや、俺自分の椅子に座るから…と膝から退こうとしても腕が腹に回り抜け出せなかった。諦めて、一人でラーメンを鍋から直に啜る。あっつ。ちゅるる、麺を啜る音だけが響く。ん、おいしい。
食べ終わって、鍋を流しにでもと思ったところで甚爾に鍋を奪われる。そのまま机の端へ。無言が続き、さてどうしたものかと口を開く。
「…甚爾が嫌なら、やめるけど」
「んー…嫌ではない」
「これだけ引っ付いて?」
「あー、あれだ、ちょっとびっくりしただけだ」
ちょっと?あれちょっとだったか?と甚爾の顔を見上げると、バツの悪そうな顔をした。
「なんつーか、子供の成長って早いんだなって」
「…?」
「子供だったら、お前は俺から離れたりしないだろ」
俺から恵を手放すことは決して無い。心の底から恵を愛している。だからこそ、恵が大人になって、俺から離れる時がくればその時は送り出してやろうと考えている。甚爾の幸せは恵が幸せであること、それを願っている。その時が来て、本当に手放せるかわかんねぇけどな。力無く、甚爾が笑う。
子供が、大人になるのが怖い。と甚爾は言った。馬鹿じゃないのか、と俺は思った。そしていつか恵が俺から離れていくだろう、なんて考えている甚爾に心の底から怒りを覚えた。…なんだ、俺、信用ないのか。あれだけ俺を愛しておいて、あれだけ俺が愛しておいて、俺の幸せは甚爾以外の場所にあると、本当にそう思っているのか。むかつく、むかつくむかつくむかつく!
俺は早く、大人になりたいと思っているのに。「でっかくなるまでは、我慢しねぇとな」甚爾はそう言ったのだ。子供の俺じゃあ、だめ。本当の意味で手を出してくれない。自分は甚爾と幸せになりたいのだ。だから、はやく大人になるのだと。子供っぽい望みだ。それを、それをこの男は勝手なことばっかり!!
手を組み印を結ぶ。直兄に教えてもらった。甚爾が居ない時に、こっそりと。
本当に、恵はブチ切れていた。勝手な甚爾に、恵のことを全然わかっていない甚爾に。――もう知らない、甚爾なんて知らない。俺は、俺の為だけに生きることにする。
「脱兎ッ」
ぶわっと大量のうさぎが恵の影から発生する。「な、はっ?」見えていない甚爾は気配だけを察しながら、しかし殺気を一切持たない大量のうさぎに押し流される。するり、恵の身体から腕がすり抜ける。タンッ、甚爾の膝から下り床に足を着け、甚爾と対峙する。
「めぐ、」
「甚爾のばーか!」
「うぐっ」
子供みたいな(というか子供)の罵倒に大ダメージ!ぼろぼろと恵の口から「分からず屋とーじなんかきらいだ!」と甚爾にのみ殺傷能力が高い言葉が吐き出される。甚爾は床に膝をついた。恵はそんな甚爾の頭をぼかぼかと殴る。ぼろぼろと涙が出る。
「おれだって、とーじとずっと一緒に、居たいのに、なんで、とーじは俺を信じてくれないんだよぉ…っ」
「し、んじてないわけじゃ」
「うっさい!アホ!クソクズ!ドブカス!」
「おま、その罵倒のレパートリー直哉だな⁉そんな汚い言葉真似すんじゃねぇ!」
「今どーでもいいだろッ!」
かなしい、哀しい。
あいしてる、何度だって言われたし何度だって言った言葉。ずーっと、いっしょ。赤ん坊のときからそう言ってきたじゃないか。手放すことも、手放されることも赦さない。
「とーじがめぐを捨てたくなったって、しがみついて離れてやんないんだからな!」
「俺が!俺が恵を捨てるわけねぇだろ!」
「甚爾が!俺に同じこと言ってんだよ!めぐがとーじを捨てるって!アンタがそう言ってるんだ!」
「…あ、ちが」
「誰が捨てるもんか!誰が捨てられるもんか!俺の幸せは甚爾とずっとずっと、しんでも一緒に居ることで、甚爾の幸せも俺と死んでも一緒に居ることだろ!」
「め…ぐみ」
「ゆ、ゆるさないからな…めぐを、おれを信じないとーじなんか、きらい。きらいだいっきらい!」
あいしてる。
とーじだけを愛してる。
「…ぅ、だ、だいきらい」
「ごめん、恵。悪かった」
とーじが俺を抱きしめた。きらい、嫌いと甚爾の腕の中で何度も言う俺に「…めぐみに、嫌われたら生きていけねぇな」と泣きそうな顔でとーじが言った。うう、そのまましんじゃえ。後追いしておれもしんでやる。とーじを睨む。
「ごめん、ごめんなめぐみ」
「…ッううぅ、とーじのドブカスぅ…」
「罵倒は良いけどその言葉遣いはマジやめろ」
「きんしんそーかんペドへんたいやろー」
「そーだよ。恵が好きだ大好きだ、愛してる。近親相姦変態野郎で結構。でっかくなっても恵を愛してるから、ペドは外しとけ」
「お、おれもとーじあいしてる」
「ん。ありがとな」
ちぅ、と目元を吸われる。あっちこっちに唇を落とされて、ぱくりと俺の唇が食われる。ん、あ。口の中を、ぐちゃぐちゃにされる。どろりと口端から唾液が溢れる。
すき、だいすき、あいしてる。
「は…ぅ、ん」
「恵、ごめんな。馬鹿なこと言った俺を、許してくれ」
「…ゆるさない」
「え」
「とーじは、もっと痛い目みろ!」
恵は今までに無いくらい、怒っていたのだ。そんな簡単に許せるわけない。
――もうちょっと、甚爾は反省して。
ぴょん、とうさぎが跳ねる。「脱兎!」恵の声に反応して何十匹ものうさぎが甚爾の身体目掛け走り出す。ダメージはほぼ入らない。ただ恵と甚爾の距離が少しだけ離れた。恵は、脱兎とは別の印を結びだす。「いや、この歳でこんなぽんぽん式神調伏して、恵君天才やな…?」少し引き気味に直哉にそう言わせた子供。
「満象!」
過去、禪院家で十種影法術を持った術師も、満象の扱いには苦労したという。玉犬や鵺のように小回りが効くタイプではない、ゴリゴリのパワータイプの式神。その力強さに比例して呪力を大量に消費するそれを、使いこなすのに過去の術師はどれほどの時間が掛かったか。パワーのコントロールが重要。式神に流す呪力を冷静に判断する。そう、冷静に。
――言わずもがな、今の恵は冷静ではなかった。
ズドン、地震のような地鳴り。続いて、めきめきめきと天井が上に押し上げられる。甚爾に式神の姿は見えない。見えるようになる眼鏡は所持しているが、今は何処だったかな…多分どっかの引き出しにしまってある。見えない甚爾に分かること。なんかやべぇデカイのか部屋に居る。バキッ!床が沈んだ。部屋のあちこちからバキバキと音が響く。…ヤバいな?満象とはなんだったか、確か…そう、ゾウみたいな式神だったような…ゾウ?バキンッ!太い柱にヒビが入った。
「め、恵ちょっと落ち着け。家が、家がヤバ」
「とーじを吹っ飛ばせ満象!」
ぱおーん!と聞こえるはずのないゾウの鳴き声が聞こえた気がした。空耳である。瞬間とんでもない水圧が甚爾を襲った。
その日、伏黒家の住むアパートは全壊した。狭くて安いボロアパートで、住んでいたのは伏黒親子のみだった。なので被害を受けたのは伏黒家のみ。…被害者じゃなくて加害者なのだが。
原因不明の水道管破裂(山さんが呆れながら情報偽装)により、行き場を失った伏黒親子は暫く組合所属の人間が多く住むアパートに暫く身を寄せることになるのだが「今日はアキ兄と寝るからとーじは一人ね」このところずっと反抗期のような恵に甚爾は項垂れる。
「…流石に、恵不足が。恵、頼むから今日は」
「しーらなーい!」
んべーッ!と舌を出して拒否する恵。崩れ落ちる甚爾。ここ数日ですっかり見慣れた組合員。笑顔で親指立てるアキラ。アイツ後でぶっ飛ばす。ああ、今日も寂しく一人で寝るのか。「抱くもんがねぇと不安すぎて、適当にぬいぐるみ買ってきた」という甚爾の発言に、うっかり話を聞いてしまったナツメはドン引きした。
「早く仲直りしてくださいよ」
「…仲直りっつーかご機嫌取りっつーか…なぁ」
「もう、何がどうしてこうなったのか…」
「それより嬢ちゃんよ」
「なんですか」
「べーって舌出す恵めちゃくちゃ可愛いよな」
この人もうしばらく一人でいいんじゃないかな、と思ったナツメであった。
なお、この後1週間ほど甚爾と恵の別居生活は続く。その間、恵はナツメとも薫子とも、そしていつも通り遊びに来た直哉とも一緒に寝る(健全)ことになる。ぷち旅行気分で割と楽しんだ恵。
「浮気だ…」と眠れてないのか、目の下に隈を拵えた甚爾が限界突破し、恵を抱きしめて数時間梃子でも動かない状況になり、別居生活は終わりを迎えた。
恵が6歳の頃の出来事である。
[newpage]
2.
恵はセンスが良い。身体の肉付きはちと悪いが、動きは滑らか。肉弾戦になったら多少不利ではあるが、それでもそこらへんの雑魚に負けるような柔な鍛え方はしていない。2級くらいの術師なら、体術だけでもいけるんじゃねえかな。式神使いがここまで動けるんだから、優秀な方だろう。まぁこれは肉弾戦に限っての話だ。これが術式を交えた戦いになると、恵は化け物と化す。
「玉犬」
左右から玉犬が飛び出す。式神2体を相手にするのも大変だろうが、攻撃のメインは恵だ。大振りのナイフを容赦なく敵に振りかざす。相手は刀でそれを受け止めるが恵の力に押し負けている。受け止めるだけで精一杯の相手に、恵は思い切り相手の腹に脚を撃ち込んだ。後方に吹っ飛んで、そのまま木に激突する。追撃するように玉犬が食らいつく。…決着付いたな。恵に力技で負けてるようなら、雑魚も雑魚だな。「雑魚では無いだろ…」隣で一緒に恵の様子を観察していたアキラが呆れ顔で言う。
「そりゃあ甚爾に比べたら身体薄いけどよ、成長期来てからめっちゃデカくなって身体付きも良くなったし。体術の訓練はお前直々に手解きしてるし。つえーって」
「そぉか?俺から一本も取れねぇし、まだまだだろ」
「俺も甚爾から一本取れなくね?ていうかお前から一本取れるのって薫子くらいだろ…ゴリラはゴリラでしか相手にならん」
「だァれがゴリラよぉ!」
「間違いなくお前だろ」
いつも通りの軽口。違うとすれば、じぃっと全員が恵を遠くから見ていることだ。
ふぅ、薫子が息を吐く。「ねぇ」次いで口を開く。
「恵ちゃんは、本当に」
「組合に入るってよ。今度中学生になるし、キリも良いだろうって」
「そう…組合としては恵ちゃんが任務に当たってくれるようになるととっても助かるけど、でも小さい頃からあの子を見てきたし…このまま普通に生活してほしい気持ちもあるのよねぇ」
わからんでもない。呪霊や術師を相手にする、それも殺しの仕事が主だ。簡単な仕事ばかりではない。いつ死ぬかもわからない危険な仕事。しかも呪術界から「呪詛師」と認定を受けている。呪術師に捕まれば即処刑。
普通だったら止める。でもそれをしないのは恵がそれを良しとしているからだ。
本当だったら恵を危険から遠ざけた、安全な場所に置いておきたい。でも恵はそれを望まない。恵は、俺の隣に立つことを選ぶ。俺も、そんな恵の隣に居ることを望む。
「ま、恵ちゃんがちゃんと自分で決めたことだものね!恵ちゃんの組合加入を認めるわ」
「まぁ恵君、もうすでに組合員みたいなところはあったよな。あっちこっちヘルプ来てくれて」
「颯爽と現れて仲間の危機を救う、クールビューティー王子!って一部から呼ばれてるわねぇ」
「恵がそれ小っ恥ずかしいからやめてくれって言ってたぞ」
クールビューティーは何となく分かる。いつの間にやら物静かで大人しめな性格に、かと思いきゃ不良みたいに大暴れすることもあって「変なところ甚爾に似たよな」なんて言われる。…似てるか?因みに二人きりの時の恵は相変わらず可愛い。「もう可愛いは無いだろ…」なんて恵は言うが可愛いものは可愛い。しかし、王子はわからん。そんなキャラじゃないだろ。
「何人か若い子たちが何人か保護されたじゃない?その子達がキャーキャー言ってて、ウフフ若いわねぇ」
「ああん?乳臭いガキがなに恵に色目使って見てやがる」
「心が狭すぎる…」
「徹頭徹尾恵は俺ンだ」
「でもその後、美女(恵)と野獣(甚爾)に呼び方変えられてたわよ。察しが良いわね」
「察しも何も距離感が可笑しすぎるから誰でも気づくって…」
美女(恵)で爆笑した。
ばさり、鵺に乗った美女(笑)が俺の隣に降りた。
「ククッ、おかえり恵」
「ああ…なに爆笑してんだ甚爾」
「なんでもねぇ」
ぐしゃり、頭を撫でてやる。「こういう空気感よねぇ」「わかりやす、ゲロ甘」今更だろ。そのまま恵の額に唇を押し付ける。
「…何」
「見せびらかすのも良いなってことだ」
「意味がわからない」
「今更見せびらかさなくても、嫌っつーほど見えてるっつーの…。はぁー、とりあえず恵君お疲れ様!どうよ、初めて一人で仕事出るの」
「まぁ、楽勝でした」
「だよなぁ。んで、試験の結果だけど」
「文句なしの合格よ。まぁ分かりきってたことよねぇ。今更感は確かにあるけど、メリハリは大事だもの。――伏黒恵、組合へようこそ。歓迎するわ」
薫子が手を出す。恵は、少し口端を上げた。
「はい、よろしくお願いします」
中学に上がる直前、恵は正式に組合に所属した。
◇ ◇ ◇
「そういえばさ、恵君ちっちゃい時にはもう既に何体か式神調伏してたけど、今何体調伏してるの?全部で十体だったよな」
「えーっと…秘密です。たとえ仲間でも、手の内は明かしません」
「…すーっごく口端が上がってますよ恵さんや」
「えっ」
アキラの指摘に咄嗟に口を押さえる恵、バ可愛いヤツである。
式神の調伏には一切手を出せないので、専らそっちの面倒は直哉に任せている。と言っても、アイツも調伏自体には手を出せない。禪院の蔵に保管されてた資料読み漁っては恵に助言を与えている。あいつも大概恵好きだよな。1ミリたりともやらねーけどな。
調伏の儀とやらは、恵+調伏済みの式神で未調伏の式神をぶちのめさないといけないらしい。そりゃあ誰も手を貸せねぇわ。
直哉から詳細は聞いてないが「恵君マジ化け物」とだけは聞いている。まぁ、つまりそういうことなんだろう。
「随分大人っぽくなったと思ったけど、恵君もまだまだ子供だなぁ」
「それはちょっと傷つくんですけど」
「中学生なんてまだまだ子供よぉ。ねぇ?」
「そうそう、子供のくせに背伸びしてなんか敬語にまでなっちゃって…兄ちゃん寂しい。めぐはねーって言ってたあの頃が懐かしい」
「ちょっとやめてもらえませんか!」
いじるいじる。こういう反応が可愛いから、組合の連中も恵をいじるんだよなぁ。
ぐいっと恵の肩を掴み抱き寄せる。恵の肩に顎を乗せてにやりと笑うと「うっわ」とアキラが嫌そうな顔をした。ふん、これは俺のだから遊ぶのも大概にしろ。
「恵だってもう十分大人だよなぁ?」
もう色々経験もしたし?耳元で囁やけば恵はカッと顔を赤くした。手が飛んできたが難なく掴む。そのまま恵の細い指を甘噛みする。
「やめろ、お前ら本当にやめろ」
「それ事務所でやったら出禁にするわよぉ」
「おまえらって…俺、好きで人前でこういうことやらされてるわけじゃないんですけど…ッ」
「でも嫌じゃないだろ?」
「甚爾は黙ってろ!」
必死で俺の腕の中で藻掻く恵に、まぁいつもの光景だと「さー、帰るかー」「恵ちゃん加入記念で美味しいもの食べに行こうかしらねぇ」「肉!」「アンタの食べたいものは聞いてないわよ!」と背を向け歩き出した。
「歩きづれえ、放せ」
「俺には口悪いよなお前」
「甚爾に敬語は可笑しいだろ。口の悪さはとーじに似た」
「返す言葉もないわ」
べしべしと叩かれる腕を放してやる。ようやく二人の後を追いかけるように歩き出し、「あ」と恵は小さく声を上げた。一度前を向いた顔が、此方を向く。
「どうし」
乱暴に胸ぐらを掴まれたと思ったら、ぐいっと引き寄せられた。
かぷりと唇を食われる。そしてちぅ、と吸われた感覚。
「…後でゴホービちゃんと貰うから、今はこれだけ」
と顔を綻ばせ恵は二人を追って走り去った。唇に指を当てる。恵の唾液で微かに湿っている。
…あー、あー?ぐしゃぐしゃと自分の頭を掻く。ほんッとうに恵はこれだから、可愛くて可愛くて仕方がない。
お望み通り後でご褒美沢山やらねぇとなァ、クツクツと笑いながら俺も歩き出した。.
第三章
…のはずなんだけど、一個前の幕間のほうがよっぽど本編で、こっちのほうが幕間な気がする。
ほのぼの回。1はショタめぐ、2は飛んで中学生めぐです。やっぱり幕間か番外な気がしてきた。
当初出す予定はなかったのに直哉書くの楽しくて出張ってしまった。死亡フラグはへし折るもの。
津美紀ちゃんねじ込める場所がどこにもない。ごめんね、あなたの出番作れそうに無いの。
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