真夜中の強制連行
コナーの言葉に戸惑っていると、静まり返ったラボに、もうひとつ足音が加わった。
「……なぁ」
低く、少し掠れた声。 腕を組んだハンクが、こちらを見ている。
「今の話、聞いてて思ったんだがな」
一歩、距離を詰められる。 威圧というより、逃げ道を塞ぐような立ち位置だった。
「お前、自分がどれだけ無茶してるか、分かってねぇだろ」
「無茶……?」
言って首を傾げる。 その様子を見て、ハンクは短く鼻で笑う。
「ほらな」
それだけ言って、ハンクはコナーに短く視線を投げ、肩をすくめる。 その仕草を合図にしたみたいに、二人の視線がこちらへ揃った。
咎めるでも、問い詰めるでもない。 けれど、どこか逃がさない種類の眼差しで、どちらも逸れない。 背筋に薄く緊張が走る。
何か言うべきな気がした。 けれど、その「何か」が見つからない。
一瞬遅れて、喉の奥が詰まった。
「……私、何かまずかった?」
ハンクが短く息を吐いた。
「自覚ねぇのが一番タチ悪い」
その言い方に、胸の奥がひっかかる。 責められているようで、でもそうとも言い切れない。
「えっと……もしかして、怒ってる?」
「怒ってねぇよ」
即座に返ってきた声。
「心配してんだ。二人ともな」
一拍置いて、コナーが続ける。
「怒ってはいません。ただ──これ以上は、危険だと判断しました」
言葉は淡々としているのに、妙に譲らない響きがあった。
「叱る必要があるなら、とっくに怒鳴ってる」
「……なる、ほど?」
首を傾げたまま、曖昧に相槌を打つ。
理解したというより、話の流れに押された形だった。
「主任。あなたは、ひとりで抱え込みすぎです」
責める調子ではない。
諭すというより、もっと静かな――寄り添う声音。
「今は、僕たちに任せてください」
その言葉に、視線が揺れた。
次の瞬間、肩から力が抜ける。
ハンクがそんな私の様子を見て、小さく頷いた。
「よし、話は終わりだ。帰るぞ」
有無を言わせない調子で、ハンクが顎で出口を示す。
「続きは後日──いや、ちゃんと寝てからだ」
「後日……」
その言葉を口にした瞬間、妙な違和感が残った。
(後日……?)
でも、深く考える前に、コナーが一歩横に並ぶ。
「荷物はこちらで管理します」
そう言って、手元の端末やツールを手早くまとめ始める。
手際が良すぎて、反論の余地がない。
「ちょ、ちょっと待って。そこ、まだ──」
「未保存のデータはありません。作業ログは全てバックアップ済みです。再開に支障はありません」
……抜け目がなさすぎる。
「……さすが、用意周到だね」
「想定範囲です」
微笑したコナーの声音が、ほんのわずかに柔らかい。
ラボを出ると、廊下の空気が思った以上に冷たかった。
身体がそれをはっきりと感じ取って、思わず身震いする。
「おい」
顔を上げると、足を止めたハンクにジャケットを投げるように差し出された。
「着ろ。倒れられたら面倒だ」
「……言い方」
そう言いながらも、ありがたく受け取る。
布の重みと、かすかな体温の残り香に、一瞬、呼吸が詰まった。
なんとなく落ち着かなくて、視線を落としながら上着を羽織ると、袖が余って指先が出てこない。
裾も思った以上に長くて、ハンクが着れば腰下丈のはずなのに、私だと膝下まで来てしまう。
……大きい。
そう思いながら顔を上げると、なぜか二人とも動きを止めていた。
ハンクは一瞬だけ視線を逸らし、コナーは何か言いかけたまま、言葉を飲み込んだように口を閉じている。
「……どうしたの?」
問いかけても、返事はなかった。
ハンクは視線をそらしたまま、さっきまで止まっていた空気を振り払うようにわざとらしく咳払いをする。
「……で」
短く区切ってから、ぶっきらぼうに続けた。
「家はどこなんだ?」
その問いに、私は特に深く考えることもなく答える。
「……家、ないけど?」
──その瞬間。 ぴしっ、と見えないスイッチが同時に落ちたみたいに、ハンクとコナーが揃って固まる。
瞬きすら忘れたような静止。
空気だけが、置き去りにされたまま、行き場を失っていた。
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