僕の心臓ときらきらオレンジ

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 翌日、朝。
 一度足を止めて、小さく深呼吸をしてから教室に入る。
 いつもより少しだけ、心臓が忙しく動いている気がする。
 窓際の後ろの方の席に、ちょうど鞄をおろした彼女を見つけた。
「あの、ミョウジさん!」
「あ、おはよう日向くん。昨日、大丈夫だった? やっぱり怒られちゃったかな……?」
「おはよう! 大丈夫! あと、バレー部のみんなからも差し入れのお礼言っておいてほしいって頼まれたんだ。ほんとありがとう!」
 おれがぺこりと頭を下げると、ミョウジさんも「いえいえ、お粗末様でした」とぺこりと頭を下げる。
――なんていうか、こういう仕草が、こう……。
「じゃ、じゃあ、ほんとにご馳走様!」
 おれは慌ててそう言うと、そそくさとミョウジさんの席を離れる。
 いつもより少しだけ忙しく動いていた心臓は、さらに忙しく動いていた。
――き、昨日から変だ、おれ!
 自分の席に座り、机に突っ伏する。結構な勢いで額が机にぶつかり、ゴンっと派手な音がした。
「……だめだ……。なんかだめだ、おれ……」
 近くを通った友人が「日向、お前どうかしたのか?」と声をかけてくれたが、おれは火照った顔を上げられなかった。

 昼休みになると、急いでお弁当を口に詰め込む。
 時間がない。テストは来月の頭だ。
 お弁当箱を綺麗に空にすると、先生に質問に行くため英語のノートを取り出す。
――わかんない事は、わかんないままにしない!
 大地さんの言葉を頭の中で繰り返して勢いよく立ち上がったところで、窓際の方の会話が耳に入った。
「わぁ、これ美味しい!」
「ほんと? ありがとう。この卵焼きも美味しいよ!」
――ミョウジさんと、家庭科部の子だ
 おかずを交換して盛り上がっている様子が目に入る。
――お弁当も、自分で作ったりするのかな? それともお弁当はお母さん作かな?
 ついそんなことを考えてしまって、教室を出る足を速めた。
――いやいや! おれに関係ないから!
「あ」
「あ、影山」
 廊下を速足で進んで行くと影山とばったり会い、手元を見ればおれと同じくノートが握られていた。
「お前もか……」
「……おう」
 とりあえず、今は勉強に集中しなくては。
 そう意気込んで、職員室の扉を開ける。
「失礼します!」
――遠征合宿がかかってるんだ!
 しかし意気込んで乗り込んだ職員室に英語の吉田先生はいなくて、仕方なく訪ねた月島は取り合ってくれず、先行きは思いやられた。

 部活終わりの勉強会、目の前で月島が苛立ちをあらわに舌打ちする。
「なにこれ。全然できてないんだけど。ほんとに昼休みに復習したの?」
「なっ……! したよ!」
「へぇ、これで?」
 嘲笑を浮かべる月島を恨めしく見上げる。
――くっそー、昼休みに全然取り合ってくれなかったくせに……。結局、谷地さんが教えてくれたけど、もうちょっとくらい優しく教えてくれたって……。
「なに? なんか文句? こうして部活終わりにわざわざ貴重な時間を割いてるのに?」
「ぐっ……いえ……」
 確かにその通りなので何も言い返せない。
――もう、早く終われテスト期間!
 一刻も早く、このいいことなんて何一つ無い期間から抜け出したかった。
 しかし、いくら願ったところで時間はいつもの速さでしか進んでくれない。今は耐えるしかないのだ。
 そう自分に言い聞かせて、月島にダメ出しされた問題を解きなおす。
 そして本日何度目かわからない月島の舌打ちが出たところで、ノックの音が響いた。
 コンコンコン、という丁寧なノックに、みんなが扉を見やる。
「誰だ?」
「まさか、潔子さん!?」
 言うや否や、田中さんとノヤさんがドアノブに飛び掛かる。
「潔子さ……! ん?」
 勢いよく開かれた扉に、ノックした人物は驚いて短く悲鳴をあげた。
「び、びっくりした……。あ、すみません、突然」
 驚きに胸を押さえながらもぺこりと頭を下げた人物は、ミョウジさんだった。
「えっミョウジさ……」
「こらっ田中! 西谷!」
 おれの驚きの声は大地さんの怒声にかき消される。
「女の子を怯えさせるんじゃない!」
「すっすんません!」
「てっきり潔子さんかと……」
「例え清水でもダメだ! まったく……。えぇと、ごめんね。うちのバカが」
「いえ、大丈夫です。私、日向くんと同じクラスのミョウジと申します。家庭科部の」
「あぁ! 昨日の!」
「昨日はすみませんでした。勉強会をしてるとは知らず、日向くんを引き留めてしまって……」
 ミョウジさんは綺麗な動作でお辞儀した。
「いえいえ! こちらこそ差し入れもらっちゃって悪かったね。ご馳走様でした。ありがとう」
 大地さんに続いてみんなが「あザーッス!」と声を揃えると、ミョウジさんはまたびっくりしたみたいだったが、嬉しそうに笑った。
 おれはなんだか出ていくタイミングを逃してしまって、畳に正座したままその様子を見ていた。
「あの、主将の澤村先輩ですよね? なっちゃん先輩……夏富先輩からお話窺ってます」
「あ、夏富の後輩か! そういえばあいつ、家庭科部だったか」
「はい。夏富先輩に誘われて、家庭科部何人かで六月のIH見に行きました」
「ありがとう。せっかく応援に来てくれたのに、情けない結果で申し訳ない……」
 大地さんの言葉に、苦いものが広がる。きっと、みんなもそうだ。
 あの、ボールが落ちた時の、悔しくて、まるで絶望の穴に突き落とされたみたいな感覚。
 ぎゅうっと眉根に力が入った時、ミョウジさんの「いいえ」という強く澄んだ声が通った。
「かっこよかったです。すごく」
 ミョウジさんの声は、決して慰めで言っているようには聞こえなかった。
「私たち、試合中何度も感動して、でも、だから悔しくて、自分たちがプレーしてた訳じゃないのにおこがましいですけど……。帰り道、みんな言ってました。かっこよかったねって。きっと、次はもっと強くなるねって」
――次は、もっと。
 みんな、黙ってミョウジさんの言葉を聞いていた。
「だから、情けなくなんかないです」
「そうか……ありがとう」
 大地さんの言葉は、ここにいる全員の言葉だ。
 ちゃんと、見ていてくれる人がいる。応援してくれている人がいる。
「そ、そんな、お礼を言われるようなことじゃ! というか、私ばっかりぺらぺら喋ってすみません!」
 集まっていたみんなの視線に気づいて、ミョウジさんは急に照れたようだった。頬を染めて、慌てたように手を振る。
「いや、なんかやる気がでたよ」
「あの、それで、私たちそれ以来バレー部に期待してる……っていうとなんだか上から目線ですけど、えぇと、応援してるんです! だからこれ! ささやかですが家庭科部一同からお裾分けです!」
「ありがとう、みんなで頂くよ。明日、夏富にもお礼言わなきゃなぁ」
「ふふ、なっちゃん先輩、きっとすごく照れますよ。このお裾分けも、照れくさいから私に渡して来いって」
「はは、なんか想像できるなぁ」
「じゃあ、私はこれで。みなさん、どうぞ無理はなさらずに。失礼します」
 そう言ってミョウジさんが丁寧にお辞儀をして帰る時、目が合った。
 ミョウジさんは、はにかんだように微笑んでおれに小さく手を振る。
――わ……!
 咄嗟の事に反応できないまま、部室の扉が閉まる。
――今の、なんかすっごく……かわいかった……。
 今日、俺の心臓は大忙しみたいだ。

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