僕の心の謀反と真っ赤なチェリー

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「ミョウジさん!」
 朝、廊下を歩く背中を呼び止めると、まあるい眼がおれの方を向く。そしておれを捉えるとその顔はふんわりと綻ぶ。
「日向くん。おはよう」
 やわらかな声で紡がれた自分の名前はおれの心をくすぐったいような、喉の奥がきゅっと詰まるような感覚にする。それに気づかないフリをしながら挨拶を返す。いつも通りの大きな声で。
「おはよう! 昨日は差し入れありがとう! みんなすっごく喜んでたよ。それに、なんかやる気が増したっていうか、前よりもっと“やるぞー!”って気になった!」
 一緒に教室に向かいながらイメージするのは“いつもの自分”、イズミンやコージーといる時みたいな。
「そう言ってもらえると作り手としては嬉しいなぁ。些細なお裾分けだけど、喜んでもらえたなら良かった」
「そりゃあもう! でも、部室にミョウジさんが現れた時にはビックリしたよー」
「私も、先輩にいきなり“やっぱり恥ずかしいからナマエが差し入れ渡してきて!”って言われた時にはビックリしたよー。すっごく緊張した!」
 確かに、あの男所帯に女の子一人で来るのは緊張するかもしれない。
「誰かに一緒に来てもらうとかしなかったんだね」
「ほんとは一緒に来てほしかったんだけど……」
「けど?」
「うちの部、部活全体でバレー部を応援してるのはもちろんなんだけど、それ以外にも個人的に特定の人を応援してる子が多くて……」
「え、それって……」
 ミョウジさんを見ると、返ってきたのは悪戯っぽい笑顔と「秘密ね」という甘い声。心臓が跳ねる。
「みんな恥ずかしがっちゃってね。私だってほんとは恥ずかしかったのにさ……」
「た、大変だったね」
「でもね、知ってる人がいるなら大丈夫かなって思って。バレー部には日向くんもいるしね、そう思ったら平気かなって」
 その言葉に特別な意味は無いってわかっているけれど、心が勝手に“特別”を探す。
――いや探さないから! 特に意味は無いから!
 おれの意思に反して勝手をする心を叱る。
「日向くん、どうかした? なんか難しい顔してるけど……」
「いや、なんでもないよ!」
「そう? あの、迷惑じゃなかったらなんだけど、また家庭科部からお裾分けしてもいいかな?」
「ホントに!? おれは嬉しい! 部活終わりってめっちゃ腹減るし、家庭科部のお菓子どれも美味しいし!」
 思いがけない申し出にテンションが上がる。またミョウジさんが届けに来てくれるのだろうか。他の人かもしれない。けれど、それでも嬉しい。
「じゃあ、またお裾分けに行くね。今日はご飯の日だから、来週の水曜日と木曜日に」
「ご飯の日?」
「毎週金曜日の活動はご飯の日なの。一日の部活動時間の半分が手芸とかお裁縫で半分がお料理なんだけど、水曜日と木曜日がお菓子作りで、金曜日は夕食作りなの」
「そうなんだ! いいなーごはん!」
「時間が合えば招待したいけど、六時に食べて七時に片付けが終わるくらいなんだよね。六時じゃバレー部はまだ練習中だよね?」
「う、ぬー……七時くらいまでは練習中です……!」
「だよねー……残念」
 招待されてみたかったけど、練習があるから仕方ない。おれの優先順位はどうしたってバレーボールなのだから。
「でも、お菓子も嬉しいから大丈夫! すごく美味しいし!」
「ありがとう! あ、でも甘いの嫌いって人とか、他人の手作りは苦手だからいらないっていう人いるかな?」
「いない、と思うけど、一応聞いてみるよ!」
「助かる! じゃあ、月曜日に教えて」
「りょーかい!」
 来週もミョウジさんと話す機会ができた。もしかしたら、これからもっと話す機会は増えるのかもしれない。それを嬉しく感じるのは、きっと友達が増えるからだ。それ以外に理由なんて無い筈だ。

「というわけで、甘いの嫌いだからいらないとか、手作りの物は苦手だからいらないって人いますか?」
 部活終わりのミーティング後、朝にミョウジさんとした話を説明して部活メンバーに問いかける。一瞬しんとしたあと、田中さんとノヤさんがおれの肩をポンと叩いた。
「日向よ……この世に大和撫子の手作りお菓子が嫌いなヤツがいると思うか!?」
「え!? は、はい! いいえ!」
「翔陽! お前は大和撫子の手作りお菓子を食べたくないのか!?」
「た、食べたいっす!」
「そうだろう!」
 両側からバシバシと背中を叩かれてよろけながら、早くも部室へ向かおうとする月島が目に留まる。
「あ、そういえば月島は甘いの平気なのか? なんかそんなイメージ無いんだけど。どちらかというと甘いの嫌いそうというか……」
「ツッキーは甘いもの大好きだよ! 特にショートケーキが大好物で、よくこの近くの」
「うるさい山口」
「ごめんツッキー!」
 月島とショートケーキとか、なんだか想像がつかない。けれど否定もせずにさっさと部室へ引き上げてしまったところを見ると、甘いものは好きなんだろう。
――そういえば、前回と前々回の差し入れも普通に食べてたなー。
 とりあえず、月曜日にミョウジさんにする報告は「全員大喜びだった!」ってことだ。
 良い報告ができると思うと心が弾んで、この後に控える月島のスパルタ勉強会も乗り切れそうな気がした。

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