苦悩の日々、本番はこれから

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 黒尾にとって青天の霹靂という他無い事件が起きた七月十日から遡ること一日。
 七月九日、朝。

 いつも通りの朝だった。
 黒尾はいつも通りに起きて、いつも通りに寝癖に悩まされ、いつも通りに朝練に行き、いつも通りに教室へ向かった。
 夜久と連れ立って教室に向かう途中「あ!」という声に振り返ると、階段からナマエが手を振ってやって来るのが見えた。
「黒尾、やっくん、おはよ!」
「おー」
「おっす!」
「合宿、どうだった?」
「いつも通り、ひたすらぐるぐる試合だった」
「烏野ってチームが面白くてさ!」
「いーないーなぁ。私も黒尾の活躍見たかったー」
 しょんぼりとするナマエに夜久はまたかと顔を顰めて黒尾を見る。その眼は黒尾に“早くなんとかしろ”と言っていた。黒尾は“俺にどうしろと”と視線で語るが、夜久は“知るか”と視線を外した。
「……まぁ、近いうちにまた練習試合もあるでしょ。そしたらまた見に来てよ」
「行く! 楽しみにしてる!」
 なんとかそれだけ言った黒尾に、ナマエは満面の笑みで返した。

 午前の授業が終わってお昼休み、三人で昼食をとっていると「あ、そうだ!」と夜久がまんまるな目をさらにぱっちり開いて言った。
「ミョウジ、マネージャーやれば? うち、マネージャーいないしさ! それに、マネージャーやればいつでも黒尾がバレーしてるとこ見られるじゃん!」
 夜久は名案を思い付いたとばかりに得意げだったが、ナマエは浮かない顔だ。
「それはね、私も二年の時に思ったよ」
「え、じゃあ何でやらなかったんだよ?」
「だって、バレー部ってマネージャーいないんだもん」
 その答えに、夜久は訝しげに首を傾げる。マネージャーがいないからマネージャーをやってくれとお願いしたのに、いないからやらないとは、これ如何に。
「マネージャーがいないってことは、マネージャーの仕事を教えてくれる人もいないってことでしょう? 一年生が兼任してるとはいえ、練習の合間に教えてもらう事になるだろうし、そうなったらもし分からない事があっても声かけづらいなって……」
 その返答に、黒尾も夜久も「まぁ、確かに……」と頷く。
「あと何より、バレーしてる黒尾のファンになったのは二年の始めだったけど、試合を毎回見に行くようになったのって二年生の半ばだったから……。そんな中途半端な時期に入るのも迷惑かなって思って」
「「それはない!」」
 その答えには、黒尾も夜久も異を唱えた。中途半端な時期だろうがなんだろうが、念願の女子マネージャーが入って来て迷惑な筈がない。
「でも、今から入るとしたらあと一年もないんだよ? それってどうなの?」
「いや、それでも助かる!」
 夜久にとっては黒尾とナマエの関係を進展させるためにもマネージャーをやってもらわねばという思いがあるため、その返答も力強くなる。二人の微妙な関係に挟まれつつ惚気を聞かされるなんて面倒なポジションから早く抜け出したいのだ。それはもう必死である。
「な? どう? ミョウジが嫌じゃなかったらだけどさ。俺たちもすっげえ助かるし、週末の合宿から後輩がうるさいんだよ、うちにだけマネージャーがいないって」
「山本な。確かに今日の朝練の時もうるさかったな」
「そうそう! だからどう?」
「うーん……。まあ、受験生だけど成績は今のところ問題ないし……」
「じゃあ、今日見学だけでも! な、黒尾!」
「まぁそうだな……。今日、用事とか無いならどうだ?」
 夜久の勢いに黒尾も肯定する。それに、ナマエといられる時間が増えるのは黒尾にとっても嬉しいことだ。否定するはずがない。
「じゃあ、行こっかな。見学」
「決まりな!」
 話がまとまり、夜久は上機嫌で残りのパンをかじった。

 放課後、黒尾はナマエに女子更衣室でジャージに着替えてから教室で待っているように言った。
「一人で体育館入って来るのは気まずいだろうし、俺が着替え終わったら迎えに行くからさ」
 そうは言ったが、半分は時間稼ぎだった。
 先週の部室での騒ぎが頭をよぎる。
 なんの根回しもせずにいきなりナマエを連れて行ったりしたら、一年や二年が何を口走るか分かったものじゃないのは明白だった。
 実際、部室で着替え終わってから体育館にメンバーを集め、ナマエがマネージャー候補として見学に来ると言ったら大騒ぎになった。主に、山本とリエーフが。
「マネージャー……!! 女子……!!」
「まじっすか! 黒尾さんの彼女候補の!」
「リエーフ、余計なこと言ったらぶっ飛ばす。レシーブ練も三倍に増やす」
 黒尾の本気の声にリエーフは「えぇー!」と渋々ながらも黙った。
「いいか、今からマネージャー候補を連れて来るが普通にしろよ、お前ら。普通に、いつも通り。騒いで念願のマネージャーが逃げても嫌だろ?」
 その言葉に一同頷く。マネージャーがいてくれれば助かると思っているのは皆同じだった。
「じゃ、連れて来るから。海、夜久、その間頼むな」
「おう」
「行ってらっしゃい」
 斯くして、ナマエが見学にやってきた。
 ナマエが体育館に入ってくると部員は「おぉ……!」と色めき立ったが、それは黒尾が笑顔で黙らせた。もちろん、その眼は笑ってはいなかった。
 一通り挨拶と自己紹介を済ませると、黒尾は芝山を呼び「ミョウジにマネージャーの仕事を教えてやってくれ」と頼んだ。マネージャー業を兼務している一年生のラインナップを考えれば、選択肢は芝山一択と言ってよかった。
 休憩時間に「ミョウジサン、かわいいっすね!」とにやにやしながら言ってきたリエーフを見て、その選択は正しかったと黒尾は改めて強く思った。と同時に、リエーフのレシーブ練習を三倍に増やした。リエーフは涙目だった。

「よし! じゃあ今日はここまで!」
 黒尾の号令と共に今日の部活が終わる。
「ミョウジ! お疲れ」
「黒尾。お疲れ様」
「マネージャー業どうだった? つか、部員が迷惑かけなかったか?」
「全然! 芝山くん教え方丁寧だし、他の部員さんも優しいし、海とか夜久も気にかけてくれたしね」
「そっか。んじゃ、本格的にマネージャーやるかどうか考えてみて。返事は明日の放課後聞かせてもらうってことでいいか?」
「わかった。今日は黒尾のバレーする姿が間近で見れて得した気分だった!」
 ナマエは嬉しそうに笑って言い、黒尾はその笑顔にドキリとしながら「それは良かった」とナマエの頭をポンと撫でた。

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