苦悩の日々、本番はこれから
翌日、七月十日。
放課後になると、夜久は真っ先にナマエのもとへ駆け寄った。
「どう!? マネージャーやる?」
「えっと……」
夜久の勢いに圧されているところに黒尾もやってきて、ナマエはそちらを窺う。
「黒尾も、マネージャーがいたら助かるんだよね?」
「そうだな。それがミョウジならもっと助かる」
「じゃあ、やる。今日からよろしくね」
「よっしゃ!」
夜久は喜びの声をあげた。また二人の微妙な関係を見せつけられてもやもやしたが、とりあえず、これで二人の仲が進展してくれるならば今は寛大になれるというものだ。
黒尾は黒尾で、これから部活でもナマエと一緒だと考えると体育館へ向かう足取りも軽かった。
「ということで、今日からミョウジが正式にマネージャーになってくれました」
黒尾がそう発表すると、体育館に集まったメンバーは歓喜に湧いた。山本なんかは天の神に感謝を捧げながら涙を流していた。
リエーフはにやにや顔で「よかったっすねぇ!」と黒尾に言って今日もレシー練習を三倍にされた。
そして部活が終わると全員が部室に集まり、ミーティングの場が設けられた。
マネージャーを迎えるにあたって、細かいルールなどを決める為だ。
「じゃあ、基本的に鍵はミョウジが管理して、朝はミョウジは10分くらい早めに来て着替えて、それが済んだら俺たちが入るって事でいいか? 部室は内側から鍵閉まるし」
「うん。それでいいよ」
黒尾の問いにナマエも笑顔で了承した。
「このむさくるしい部室にも女子の風が……!」
「山本うるさい。放課後はどうする? うちのクラスが早く終わるとは限らないしな……」
「クロ達のクラスが終わるのを待って、ミョウジさんが着替え終わったら俺たちが入れば?」
「それは申し訳ないよ! 放課後は女子更衣室で着替えて行くから大丈夫だよ」
「そうか? そうしてくれると助かるけど」
「じゃあ、練習が終わった後は俺たちが片付けてる間にミョウジには部室で着替えてもらうってことにしよう」
「そうだな」
「それでいいか?」
「うん。私はかまわないよ」
「じゃあこれ、部室の鍵な。明日からよろしく」
黒尾が鍵を手渡しながらそう言うと、部員も「しアーッス!」と続く。
ナマエはその声の大きさにびっくりしながらも、少し照れたように笑って鍵を受け取った。
「よし、じゃあミーティング終わり。帰るぞー」
部員たちがぞろぞろと外へ出ていく中、ナマエの「私もうちょっと残るね」という声に黒尾が足を止める。
「どうした?」
「今日は部室掃除してから帰るよ。思ったよりも、なんというか、その、汚かったし……」
そこは男所帯。マネージャー業を兼務する一年生がなんとなく整理整頓しているとはいえ、掃除のやり方や頻度はたかが知れていた。
「じゃあ俺も残る。遅い時間に女の子一人で帰せないでしょ」
「え、いいよ、黒尾だって疲れてるんだから早く帰りたいでしょ?」
「だーめ。危ないから。ここは言うこと聞きなさい」
部員たちはそのやり取りをにやにやと見守っていたが、黒尾の「お前たちは早く帰れ!」との一喝に退散したのだった。
部室は思ったよりも不用品が多く、あまり掃除も行き届いてなかった。
結局、片付けと掃除が終わったのは八時二十分頃だった。
すっかり日が沈んだ帰り道。
バス停の街灯が地面に映す影は二つ。
黒尾とナマエは、バスが来るのを待っていた。
電車通学の黒尾にナマエは「ここまででいいよ」と言ったが、黒尾は「もう暗いからバスが来るまで一緒に待ってる」と言った。
そして、何の話をしていただろうか、その会話が、ふっと途切れた。
もう、遠くの方にバスのライトが見えていた。
「……なあ」
黒尾の声が、静かな夏の夜に響く。
「俺たち、付き合おっか」
ついに、その想いを言葉にした。
平静を装ってはいたが、視線はナマエに向けられなかったし、その心臓は乱暴なくらいに黒尾の胸を叩いていた。
一瞬の沈黙が、何十秒にも感じられる。
そして、意を決して黒尾がその眼にナマエの姿を映す。
そこには、嬉しそうに微笑むナマエの顔が……なかった。
恥じらいに頬を染めるナマエの顔、でもない。
「えっ」
「えっ」
黒尾は驚いて、ナマエも驚いていた。
そしてナマエは遠慮がちに、言葉を選ぶようにして口を開いた。
「えっと、ごめん……私、黒尾と付き合うとか、考えたことなかった……」
これが、黒尾の身に起こった青天の霹靂の全貌である。
そこから、黒尾はどう家路についたのか定かではなかった。
しかし黒尾は今、自分の部屋でひとり、呆然と立ち尽くしていた。
鞄も下さず、扉の前でどれくらいそうしていただろう。
それからさらに暫くして、黒尾は鞄を重力のままドサリと落とすと、力なくベッドに倒れこんだ
――ミョウジにふられた。
黒尾の頭の中は、その信じ難い事実で埋め尽くされていた。
こんな事態は考えてもみなかったのだ。
黒尾は当然の事のようにナマエは自分の事が好きだと思っていたし、後は自分次第なのだと、そう思っていた。
それがどうだろう、この結果は。
――俺は、ずっと勘違いをしてたのか? まさかの勘違い野郎か?
そう思い至った途端、羞恥が電撃のように迸り、黒尾は枕に顔をうずめて声にならない叫びを上げたのだった。
一通りベッドの上をのたうち回ったあと、それでも黒尾は枕に顔を埋めていた。
――ミョウジは明らかに黒尾が好きだろ。
――それ完全に黒尾さんにベタ惚れじゃないっすか!
――ミョウジの方は黒尾を待ってるんじゃないのか?
周りから言われた言葉が頭の中でリフレインする。
みんな言っていたのだ、部活メンバーだけじゃなくクラスメイトからだって「早く付き合っちゃえよ」と言われることはしょっちゅうだった。
なのにどうして、と思ってしまう。
そして、黒尾は気づいてしまった。
――あいつらみんな恋愛経験ゼロのDT野郎共じゃないか!!
そんな奴らに恋愛の何が分かると言うのだ。黒尾は自分を棚に上げてそんな事を思った。大変に失礼な事だが、今の黒尾はそれどころではなかった。
思い返せば、ナマエはいつもはっきり言っていた。黒尾の“プレー”が好き、“バレーをしている黒尾のファン”だと。いつだってナマエはバレー選手黒尾のファンに過ぎなかったし、一度として恋愛という意味で黒尾鉄朗が好きだと言ったことはなかったのだ。
――あんなにハッキリ言ってたのに……!
ナマエは黒尾の事が好きに違いないと言ったクラスメイトや部活メンバーを呪いつつ、恥ずかしさでのたうち回る黒尾の夜は更けていった。
翌日、七月十一日。
朝、いつもの時間に部室にやって来た黒尾の前には、ちょうど着替えを終えて部室から出てきたナマエが立っていた。
黒尾は動揺からピシりと固まったまま、当たり前の事に思い至った。
ナマエは昨日からマネージャーになったのだ。
それは、これからは朝も放課後も、学校が休みの日だって部活があれば顔を合わせるということだ。
――俺は、なんてタイミングで告白を……!
黒尾はベッドの上よろしくのたうち回りたい気分だった。
告白があと一日早ければ、ナマエはマネージャーを引き受けなかっただろう。そうだったなら、これから毎日こんなにも気まずい思いをするなんて未来はなかった筈だ。
――いや、むしろ告白なんてしなければそもそもこんな事には……。
しかし、いくら考えたところで後の祭りだ。
黒尾は精神的ボディーブローに挫けそうになりながらもなんとか平静を装い、「おはよ」と短く挨拶した。
実際その姿は全く平静を装えてはいなかったが、気まずさから俯いていたナマエが黒尾の引き攣った顔に気が付くことはなく、それは幸いと言っていいのかどうか。
ナマエも小さく「おはよう」と返したところで、複数の足音が近づいてきた。
「おーっす」
「おはよう、ミョウジ、黒尾」
「あ、夜久、海。おはよう」
「おす……」
黒尾はなんとか挨拶を返す。
「おー! 部室綺麗になってる!」
部室に入るなり、夜久は歓声を上げた。
海も「やっぱり女子はちがうなぁ」と嬉しそうだ。
「ミョウジがマネージャーになってくれて良かったな! 黒尾!」
屈託ない笑顔を向ける夜久に、黒尾は渇いた笑みで応えるのが精いっぱいだった。
黒尾の苦悩の日々は、まだ始まったばかり。
続
―――――
あとがき
どんどん情けなさとヘタレ感が増すうちの黒尾さん。
等身大の高校生の青さということでここはひとつ……。
これからヘタレで情けないうちの黒尾さんも成長していく予定です。
しばし見守っていてください。
2017.03.19
みつ