いつも通りを演じることは果たしていつも通りか

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 黒尾の告白から一夜明けた七月十一日の朝。黒尾とナマエの気まずさを除けば、部活は何の問題もなくいつも通りだった。
 それもそうだ。部活のメンバーは黒尾がナマエに告白したことも、まさか振られたことも知らないのだから。
 黒尾が恥ずかしさと気まずさで死にそうでも、時間はいつも通りに流れる。じりじりと心が炙られるような心地の中、なんとか練習をこなす。
「十分休憩!」
「うっす!」
「皆さん、ドリンクどうぞ!」
「あざっす!」
 ナマエも気まずさはあるだろうが、テキパキとマネージャーの仕事をこなしていた。
「黒尾さん! やっぱり女子がいると違いますね! 俺、まだ夢みたいっす! これも黒尾さんのおかげっす!」
「お、おう」
「あ、山本くん、ドリンクどうぞ」
「あっあじゃ、あざざっしゅ!」
「ふふ、なにそれ!」
 黒尾はため息をつきそうになって、慌ててそれを飲み込む。舞い上がる山本とは対照的な気持ちが、いつも心地よかったはずのナマエの笑顔も直視できなくさせる。
 この休憩時間も、こんな状況でなければ黒尾にとってもさぞ楽しい時間だっただろうに。
「えと、黒尾も、ドリンクどうぞ。お疲れ様」
「……サンキュ」
 ナマエはぎこちなく黒尾にドリンクを渡すと、すぐにその場を離れた。以前ならさっきのどのプレーがすごかっただとか、どのブロックがかっこ良かっただとかを話してくる場面だ。
 他の部員にもドリンクを配りに行くナマエの背中を見送りながら、今度こそ小さなため息が出た。そんな黒尾のもとにリエーフがやって来る。
「なんすかぁ黒尾さーん。ミョウジさんが他のヤツんとこ行っちゃって淋しいんすかぁ?」
 もう怒鳴る気力も湧かなかった。
 黒尾は静かに、リエーフのにやけた顔にレシー練習三倍を告げた。
 リエーフは泣いていた。

 そしてやっとのことで朝練が終わる。
 しかし、黒尾の苦悩は終わらない。
 黒尾とナマエは同じクラスで席も近い。その上、昼食はいつも黒尾と夜久とナマエの三人で食べるのが習慣だった。
 哀れ、傷心の黒尾に逃げ場はないのだ。
 そして、そのお昼休みがやって来た。
「お前ら、食わねぇの?」
 モゴモゴと焼きそばパンを頬張りながら夜久が小首を傾げる。
 昼休み、いつも通り三人で囲んだ昼食は、黒尾とナマエにとってはいつも通りではない。
 そして黒尾とナマエは、今日ここでいつも通りを貫いてしまえば明日以降もいつも通り一緒に昼食をとることになるだろうと感じていた。
 逃げだすなら最初が肝心、今じゃないのか、と様子を窺っていた二人だが、席に着いて五分経った今もそれを行動に移せてはいなかった。
 夜久の訝し気な視線に耐え兼ね、先に覚悟を決めたのはナマエだった。
「いや、食べるよ。ちょっとぼーっとしてただけ! いただきまーす」
「……俺も。いただきマス」
 黒尾もナマエも、ため息は飲み込む。
 夜久は少し不思議そうな顔をしていたが、すぐに目の前の焼きそばパンに興味を戻したようだった。
 これで見かけ上はいつも通りの平穏なお昼休みだ。
 しかし表面上は平穏を取り戻したかに見えた昼食の時間は、夜久の言葉でまたも揺れることになる。
「そういえば、再来週からはまた合宿だな! 今度は丸々一週間!」
 黒尾とナマエに電撃が走る。
 そうだ、また梟谷グループの合宿が迫っているのだ。
 今だって黒尾とナマエは気まずいながらも一日中一緒に過ごすことを余儀なくされているのに、合宿となれば本当に一日中一緒だ。
 それは困る、絶対に避けたい、ならば先手必勝と黒尾が口を開く。
「ま、まぁ、参加は強制じゃないけどな」
 言って、ナマエに視線を送る。
 合宿の参加は強制ではない。ナマエがこれに乗って「ちょっと都合がつかなくて」とでも言えば気まずい合宿は回避できる。
 黒尾とナマエの視線が交差する。
 そしてお互いに小さく頷く。
 この時、二人は確かに通じ合った。
 回避、あるのみ!
「あー、私、その週は」
「うちにも女マネが入ったし超楽しみだな!」
 嗚呼、ナマエの言葉があと一瞬早かったならば、ナマエの声が夜久よりも大きかったならば、しかしそれは考えてみても仕方がない。今目の前にあるのは、心底嬉しそうに、そして期待に満ちた顔で笑う夜久の顔。
 この笑顔を前にして、遮られた言葉をまた口にする勇気をナマエは持ち合わせていない。
「ずっと、梟谷グループで音駒だけマネージャーいなかったもんなー! ついにうちにもって感じ!」
 それは、駄目押しの一言だった。

 次の日の朝、黒尾はナマエと鉢合わせないようギリギリの時間に部室へ向かった。その背中はなんとも侘しい様だった。
 海に「黒尾がギリギリに来るなんて珍しいな」と言われたが、曖昧に返事をする。
 朝練が終わると次は一緒の教室で授業だ。英語の時間に「これから前後の席で英会話の練習をします」なんて教師が言い出した時には、黒尾は英語教師に禿げ上がる呪いをかけようと固く誓った。
 なんとか午前中の授業を乗り切ると、お昼休みの試練。夜久とナマエと三人で昼食をとる。黒尾もナマエもいつも通りを装っているが、やはりどこかぎこちない。
 午後の授業が無事に終わっても、部活の試練が待っている。記録、ビブスの用意、ドリンクの用意、これら全部をナマエがやるのだから接触は避けられない。
 そうした中で部活もこなし、やっと気まずさから解放される時が来た。
「おつかれっしたー」
「お先でーす」
「おー、明日遅れるなよー」
 皆がばらばらと帰路へつく。
 黒尾は一刻も早く家へ帰りたかった。早く一人きりで心を休めたかったし、存分にベッドでのたうち回りたかった。足早に駅に向かおうとするが、それはどうやら叶わないようだった。
「黒尾、ちょっとどっか寄っていかねぇ? 久しぶりに三人でさ」
 目の前の夜久と海の表情に、二人が何かを悟った事を知る。

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