眼鏡越しの鋭い視線によって身を貫かれる思いをした少女は意味の成さない言葉をつまりつまり発して肩を震わせた。

「……俺の顔はそんなに怖いか」
「怖い。だからしばらく動くな」

 彼女に怯えられた男は少し気を落とす。その様子に構うことをせず、女は彼女に近寄る。当然、近寄られた本人は身体を強張らせた。イーブイはすかさず二人の間に割り込み、尻尾をたて、牙を剥き出しにして ふーっ。 と唸る。女は「ふうん。なるほどなるほど」と納得した素振りを見せ、鞄や紅白のボールがついたベルトを地面に置き、両手をあげて柔らかく微笑んだ。

「これであたしは丸腰だ。お前を傷つけることはないよ」
「えっと……」
「大丈夫、安心して。あたしもこいつも、お前を虐めたりしない。むやみに危害を加えることもしない。ただ、その膝の傷を手当したい。だから近付いてもいい?」

 敵意も悪意もない。優しい笑みを浮かべたまま伝える。彼女はその笑みをしばらく見つめた後、恐る恐るとだが縦に頷く。了承を得てから降ろした鞄から消毒液とガーゼと包帯を取り出し、警戒を弛めないイーブイに気遣いながら彼女に近寄る。

「ちょっとしみるけど我慢してね」
「は、はい……っ」
「この間にいくつか質問していい?」
「……」

 小さく頷く。女は彼女の反応に「そんなに緊張しないで。答えられなかったら首を横に振ってくれればいいから」と優しく声をかける。

「最初の質問。あのこっわい顔した男、シグレって言うんだけど。あいつが持ってる鞄、お前の?」
「あ……わたしの、です」
「学校帰りにここにきたの?」
「…………」
「帰り道は分かる? 分かるならこの後送るけど」
「……わか、りません」

 彼女はあまり物を知っているタイプではなかった。どちらかというと無知な面が目立つ方。しかし決して馬鹿だというわけではない。見たことのない生き物、そんな生き物から謎の光線が放たれる瞬間。今自分の鞄を持っている男の傍に立つ四足歩行をするタテガミが黒い生き物と、二足歩行をする垂れた黒耳をもつ青い生き物。これらを目にして、ここが自分がよく知る場所ではないことは察していた。

「じゃあ迷子かー」
「ごめんなさい」
「……じゃあ、次の質問。お前の好きな科目は?」
「へ」

 帰り道が分からない。そう言ってしまったら次に聞かれるのは住所とばかり思っていた彼女は、予想の斜め上をいく質問にきょとんとする。どうしてそんなことを聞くのだろうか。首を傾げて、自分の膝に包帯を巻く女を見つめる。

「科目だよ。学校で勉強する内容。好きなのある?」
「え、えっと……理科が、すきです」
「ふうん。例えば?」
「しょ、植物のこととか。天体とか」
「へえ、それは意外。なんか見るからに文学系少女って感じなのに」

 人は見かけによらないな。笑う女にすかさず男・シグレが「その台詞は誰よりもお前に言われたくないな」とつっこみをいれる。男が喋ると彼女は途端に黙り込んだため、女は「あたしがいいって言うまで喋るな」と男を睨む。そしてすぐに彼女に向かって「あれは空気だと思えばいいから」と優しい声で酷いことを言った。どういった反応を返せば良いのか分からず、彼女は困った表情を浮かべる。

「植物が好きってことは花言葉とかも?」
「……詳しい、とまでは。でも、そういうのを見ているのは好き、です」
「女の子らしい趣味だな。いいと思う」

 見た目と同じくらい可愛い趣味だ。そう言われて彼女は「えっとえっと」と狼狽える。こうして人から丁寧な手当を受けて、その上そんな風に褒められるという体験をほとんどしてこなかったからだ。この場合はお礼を言えばいいのだろか。それとも迷惑をかけてしまったことに謝ればいいのか。判断できず、困惑する。
 その困惑が伝わってきて、女は「ところで」と話題を変え、視線をイーブイに向けた。

「さっきから気になってたんだけど、このイーブイはお前の?」
「いー、ぶい……。えっと、ちがいます」
「ふうん。あたしが触る度に警戒するからてっきり手持ちのポケモンだとばかり」
「手持ちのぽけもん……?」
「でもそうじゃないってことは随分と懐かれているんだな。ポケモンに好かれやすいタイプか。それは結構結構」

 一人で納得をする。話しについていけず、分からない単語ばかりが飛ぶものだから、彼女は首を傾げて、どうしようと悩む。助けを求めるようにイーブイに目を向けると、察して彼女の足元まで近寄る。犬にすぐ噛まれる彼女はいつもならこの距離まで近寄られたら怖くてたまらないはずなのに、今はイーブイが傍にいてくれることにほっとした。

「ああ、そうだ。肝心なことを話してないな」
「……?」
「あたしはライム。お前の名前は?」
「あ……セツナ、です」
「うん、やっぱりいい名前だな」
「いい、名前?」

 この会話にシグレが顔をしかめる。それを背中で感じた女・ライムは立ち上がり、手を伸ばす。彼女は「えっ、と」とその手とライムの顔を見比べる。そういう反応が返ってくると予想していたライムは、彼女の手をとって立ち上がらせた。

「自分の居場所へ帰る道が分からないなら、見つかるまであたしたちの助けを受けるといい」

 ぎゅっと握られた手から伝わる温もり。丁寧な手当を受けたばかりだが、まだ少しじくりと痛む膝小僧。下から送られるイーブイの心配そうな視線。慣れた痛みから、慣れない温もり。それらを一度に感じながら少女・セツナは「……迷惑かけてごめんなさい」と消え入るような声で呟いた。


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