ブルーノイズパラドクス

昔から、楓は何かと世話焼きだった。
内気な奏の手を引くように行き場所を導いて…
奏の記憶の中の姉は、いつも背中ばかりだ。

今回も…、全部そう…

好きな人が出来たと相談した時楓は笑って、お姉ちゃんに任せな!と言った。
奏が、亮介となかなか距離が縮められずにいた時、きっかけを与えたのも
体育館倉庫で、クラスメートに絡まれていた時、助けたのも
…全部全部、奏は姉の背中ばかりで追いつけない。

「奏ちゃんって、兄貴の事が好きなんだね。」

パキ…と、奏の手元のシャープペンシルの芯が音を立てて折れた。
本鈴にかき消された春市の突然の発言は、隣の席に座る奏の耳にはしっかり届いた。
唐突な春市の発言により震える喉。何故だか、顔を上げられない。
黙ったままノートに視線を落としている奏に向かって、春市はまた口を開く。

「ねぇ…、奏ちゃんが兄貴を好きなのは、楓さんが兄貴を好きだからでしょ?」

瞬間、奏は息が詰まった。
ゆっくり顔を上げて、隣の春市に顔を向ける。
目元こそ前髪で隠れて見えないが、口元は固く結ばれていた。

「なんで…?」

まず、奏の頭に浮かんだものは疑問。
それは、そもそも何故奏が亮介の事が好きだと思ったのか。
そして、どうして楓もそうなるのか。
なんで、そう思ったの?なんで、このタイミング?なんで?そんな事聞いてどうするの?
様々な“なんで”が奏の頭を駆け巡った。

「見てたらわかるよ…。」

抽象的な奏の問いかけには、抽象的な回答しか返って来なかった。
それ以上は春市の一限目、移動教室だよの一言で遮断されてしまう。

そうだ。
奏は知っていた。
春市が言ったことは、間違いでは無かった。
奏は、入学当初入る部活をどうしようか決めかねている時期に一度だけ野球部のマネージャーを見学している。
その時、一目で理解した。
理解した上で酷く惹かれてしまったのだ。
姉が、クラスメートの小湊 亮介の事が好きなのだと。

「同じ人を好きになっちゃったんだもの…。しょうがないじゃない。」

独り言のように放たれたそれは、空中を彷徨うばかりで誰にも受け止められる事もなくそのまま消えてしまった。






「初戦勝利おめでとう!」

朝のHR前、教室に姿を現した亮介に元気よく駆け寄り、掌を掲げる楓。
そんな彼女を前に、大袈裟…と、一言零すも口元には薄っすらと笑みが浮かんでいた。
そして、パァンと子気味好い音とともにハイタッチが交わされる。
満足そうにする楓は、窓際の自分の席に着いた。
亮介も楓の前の席に腰を下ろす。
昨日の試合で青道は、無事白星を獲得した。
こんな所ではまだまだ満足しない。勝って当然なのだ。
何せ、今年こそは、甲子園に行くと決めているのだから…。
楓は、前の席に腰かけ机の横に吊るした鞄から教科書を取り出す亮介の背中をぼんやり眺めていた。

「亮介ってさ…」

不意に名を呼ばれ、振り返る亮介。
何気なく振り返ったが、楓の表情を見て嫌な予感を感じる。

「奏の事…どう思ってる…?」

突拍子もクソもない楓の問い掛けに、亮介は眉を顰める。
突拍子もないものだが、亮介の予感は的を射ていた。

「落ち着いてていい子だと思うけど…?」
「でしょ!?でしょ!?奏可愛いし大人っぽいし、勉強も出来て料理も上手くてさぁ!」

これまでに楓による妹自慢は散々聞かされている。
その度にまた始まった…と言わんばかりだが彼は、呆れながらも毎度付き合っていた。
しかし、今日の亮介は険しく眉を寄せている。
そして、楓はそんな彼に気付く事はなく、そのまま話は進んでいった。

「小動物って言うの…?うさぎさんみたいで守ってあげなきゃって思うんだよね!その癖無理する所あるし、余計に!」
「…まぁ、わかる気がするけどさ。」
「だよね!?じゃあさ…」

わたしは…?わたしの事はどう思う?そう聞きかけて口を閉ざす。
彼女は、妹に亮介の事を相談されてから自分の恋心には蓋をした。
その事を思い出してその言葉は喉の奥深くに飲み込む。
代わりに取り繕ったように別の言葉を紡ぐ。

「亮介が、…奏の事守ってあげてよ!あの子も年頃で最近あんまりお姉ちゃん頼ってくれなくなっちゃってさー!寂しいっちゃ寂しいけど、そーゆーの姉より男の人の方が断然いいだろうし」
「楓」
「付き合っちゃえば!?」
「楓!」

普段亮介は、静かに怒る事はあっても声を荒らげる事は、滅多に無い。
そんな彼からは想像がつかない程の怒鳴り声にも似た強い口調。
眉間には皺が寄せられ、彼は怒っているようだった。
まるでそれ以上言うなと言わんばかりの表情に、楓は訳もわからず冷や汗をかく。

「お前、それ本気で言ってんの?」
「え、いや…あの…」
「妹妹って…、俺の気持ちは無視な訳?」
「あ、いや…」
「それに…」

こっち向いて言えよ。
そこまで言われて楓は、初めて気付いた。
着席してから彼の目を一度も見れていない事に。
何も言わない…いや、言えない彼女を目の前にして、亮介は遂に楓から身体ごと視線を逸らしてしまう。
そうなった後、楓の脳内はやってしまったの七文字がぐるぐる回りながら占めていた。
どうしようどうしようと考えながら、今も尚楓の目線は机の木目をなぞっている。

(わたし…、ホント馬鹿だ…。)

妹と拗れてしまって焦るあまり、亮介の心まで意識が回ってなかった事を悔やむ。
そして、それと同時に間接的ではあるが、亮介は奏を振った事になってしまった。
余計な詮索を入れなければ、まだ知らずに済んだものを…。
しかし、心の奥底で確かにホッと息を吐く自分が居る事に、楓は気付かぬ振りをしたのだった。






あの後、気まずい雰囲気になってしまい、楓は妹との距離が元に戻らないまま亮介とも微妙な距離が空いてしまった。
学校での授業を全て終えると、お互い会話もないまま部活動に専念。
一心に練習に専念する選手と淡々と仕事をこなすマネージャー、二人は正にそんな感じだ。
そうしていくうちにすっかり日も落ちて、本日の部活は終了する。
楓は、そそくさと身支度を済ませ監督に挨拶をしてから学校を後にした。
その後ろ姿を、亮介が見つめていた事など、彼女は知らない。

「亮介さん。」

不意に後ろから声を掛けられ、振り返る。
そこには、奏が立っていた。

「少しだけ、お時間頂けますか…?」
「いいよ。ここじゃ何だから少し場所を移そうか。」

奏が頷いたのを確認すると、亮介は歩を進めた。
その背中を距離を空けて追う奏は、その背中に姉の背中を重ねていた。




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