▼ 廻り出した歯車

「ギアッチョ、少しいいか?」


ラウンジにある冷蔵庫から炭酸入りのミネラルウォーターを正に取り出したところのギアッチョはリゾットに唐突に声を掛けられ、ボトルの蓋を落としそうになる。
目を配らせると、リゾットは神妙な面持ちだ。
普段から無表情なのだが、付き合いの長いギアッチョには些細な違いくらいは分かっていた。
そのままリゾットとラウンジを出て、彼の仕事部屋に場所を移す。

「少し八重の事を調べてみたら、面白い事がわかった。」

言いながら、リゾットは自身のデスクに腰掛けノートパソコンのキーボードをたんたんと叩く。
その様を少し離れた所で見ていたギアッチョは、何となく何に対する話題なのか検討が付いていただけあって少しばかり身構えた。
リゾットは、顔色一つ変えずにこう放つ。

「彼女の戸籍や情報は何一つない。」

それを聞いて、ギアッチョの眉根がピクリと動いた。
なんの事はないと言った感じに言い放つリゾット。最早彼らの生きる世界では珍しい事ではない故の反応である。
しかし、それは彼らにのみ当てはまる事で八重に当てはまる事なのかは定かではない。
少なくとも、壮絶な過去を送ってきたであろう事くらいしか想像が付かない。
彼女が堅気の人間かどうかすら分かるはずもないのだ。

「一応、念の為に聞いておくけどよォ〜〜、それってどう言う意味だ?」

ガシガシと面倒くさそうに頭を掻くギアッチョ。
どう言う意味かなど分かりきっている。
分かった上で彼はリゾットに質問を投げ掛けた。

「つまり、彼女はこの世界の何処にも存在していない事になる。」

リゾットもまた、理解した上で答えた。
理解した上でもう一度口に出す。

「この世に片桐 八重は存在しない。」

しかし、現に彼らと共に居るのは片桐 八重と名乗る女だ。
偽名…というのも考えにくい。
存在しない者の名を知っている事が、それを本人だと物語っている。
そして、何より問題なのは、普通の人間が普通に生活を送る中でこのような事態には陥らないという事。
という事は、大きな力が関与していると考えるのが妥当だ。
そもそも、彼女は追われている。
その大きな力というのは組織的なもので間違いないとリゾットは踏んでいる。また、ギアッチョも。

「色々と興味深い。故に危険な存在だ。」

彼がわざわざギアッチョだけに声を掛け、この事実を誰よりも先に告げたのは、八重をここまで連れてきた張本人だからであろう。

「それを踏まえた上で、お前は彼女をどうするべきだと思う?」
「死なねえ以上、始末もできねえ。それに、オレはアイツに関わる大きなものってのに賭けてもいいと思うぜ?」
「大体はオレと同じ考えの様だな。」

ギアッチョは、リゾット同様彼女には少なくとも大きな力が関与していることは間違いないと睨んでいる。
そして、このイタリア界隈で大きな力となると限られてくる。
彼女に絡む組織的な力に辿り着くことが出来たなら、このチームにとって大なり小なり手柄になると踏んでいた。

「じゃあ、決まりだな。後は他のメンバーがどう思うかだけだろ。」
「この事については、また夜にでも招集掛けるさ。その時はまたお前にも時間を作って貰うぞ。」
「了解。」
「それとこの事は、」
「言うべきだろ。八重に。」

間髪入れずにそう言ってのけたギアッチョに、リゾットは少々目を瞠った。
そして、その目は直ぐに細める事になった。

「そうだな。彼女の記憶を取り戻す機会に繋がるかもしれない。」
「ああ。」
「今晩、全員が任務から戻ったら話そう。」

リゾットのその言葉を聞いて、ギアッチョは彼の部屋を後にした。
部屋を出たところで丁度件の人物と鉢合わせたギアッチョは、べつに悪い事をしてるわけでもないのにバツの悪いに表情になる。

「あ、ギアッチョ!」
「どうした?リーダーに何か用か?」
「あ、うん。ちょっと気になる事があって、リーダーに報告した方がいいかなって…」

ギアッチョは頭上に疑問符を浮かべたが、素直に扉の前から退いて道を開けた。

「今夜、全員揃ったら話あるからよ、お前も来いよ」
「わかった」

自分も呼ばれるという事の意味を、八重は理解していた。つまり、自分の処遇に関することなのだと。
しかし、“全員揃ったら”。彼女はそこに不安を抱いていた。
何故なら彼女が今からリーダーに報告する事が、今晩“全員揃わない”事を指し示しているからだ。
そのまま、ギアッチョと別れ、リゾットの部屋の扉をノックする。
すぐに中から返事が返ってきたので、ノブに手を掛け捻った。

「…八重か。どうした?」
「あのね、もしかしたら報告する様な事ではないのかもしれないけれど…」

八重は先日でのジェラートとのやり取りと、ソルベとジェラートが暫くアジトを空けると言った事をリゾットに告げた。

「なるほど。」

リゾットは顎に手を当てて考える仕草をした。

「確かに長期の休暇の申し出はあったな。」
「気のせいで済むならそれでいいのだけど、なんだか…胸騒ぎがするの」
「わかった。メンバーに言って、行方を調べさせる。俺も調べてみる…それでいいか?」
「ありがとう…」

確かに、ソルベとジェラートから長期の休暇の申し出はあった。
“調べ物があるから、仕事を入れてくれるな”と。
八重が重く捉えすぎなのも確か。リゾット自身も気になる所があるのも確かだった。

「今日は、あの二人は抜きで話を進める。いいな?」
「うん。」

そして、八重は、リゾットの部屋を後にする。

(何でもないならそれでいいのだけど…)

妙な胸騒ぎを感じながら、皆が集まる夜まで八重は自室に篭った。
ソルベとジェラートを抜いたメンバーが全員揃ったのは、翌日の明け方頃。
リゾットに呼ばれた八重を含むメンバーは、ラウンジに集まっていた。

「今日集まってもらった理由は大きく分けて二つ。」

集まったメンバーに向かって、リゾットが指を二本立ててみせた。

「一つ目、八重についての事だ。」
「へぇ?何か分かったのか?」

イルーゾォが、リゾットに問う。
八重に一瞬目配せをしたリゾットは一度深く目を閉じ、口を開いた。

「彼女の戸籍情報は何処にもない。」
「んじゃあ、何か?こいつはこの世には存在していねぇって事になんのか?」

続いて、プロシュートが口を開く。
彼らのようなカタギの人間でないものであるならば、こういったことは珍しくもない。
しかし、わざわざプロシュートが確認を取るのは、彼女が他所から来た人物だからだ。
し、それが本当だとしたら何を意味するのかは、この場にいるメンバー全員が理解していた。

「なるほど。粗方うちの秘密を知ってしまった手前、放り出すこともスタンドのせいで始末する事もできないから覚悟しろって事ね。」
「メローネ、言葉に気を付けろ。」
「あぁ、これは失敬。」

リゾットの静止に、おどけた仕草を見せるメローネ。
そこで、八重が口を開いた。

「正直、わたしの身に何が起こったのか。自分が何者なのか。知るのが怖いし、みんなに迷惑掛けたくもないと思ってる。」

静かなラウンジに重く沈む声。
メンバーの誰一人、彼女の言葉を遮ろうとせずに次の言葉を待っていた。

「でも、何もわからない事が一番怖い。だから…」

ぐっと言い淀む八重。
今の今まで、黙って口を閉ざしていたギアッチョが口を開いた。

「迷惑掛けるだぁ〜?勘違いすんなよ。オレ達はお前を利用すんだ。お前に関わるもん暴いたら、オレ達チームの手柄になんだからよぉ」

そしたら、今より楽になるんだからな。そう言ったギアッチョに対して、八重は微笑んだ。

「その考えについて、別段異議もないな。」

リゾットがメンバーに向けて確認を取る。が、異論を唱える者は居ない。
大方、ギアッチョと似たような考えのようだった。

「二つ目。ソルベとジェラートの行方を各々調べてくれ。」

これがどういう事を指すのか、まだ誰も…、発したリゾットですら知らない。

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