天使はエースに助けられる





あ、やばい。

そう思う頃にはもうみすずは階段から落ちる感覚に陥っていた。


理由は至極単純、前から走ってきた生徒と肩がぶつかったのだ。手すりを掴もうと伸ばした手は空を掴む。死にはしない高さだが、打ちどころが悪ければどうなるか分からない。こういう時、意外と頭は冷静なんだな、と思いながらみすずは痛みを待った。



「っだ、大丈夫?!」

「へ…」



痛みの代わりに、誰かにふわりと優しく抱き止められた。

いくら女子とは言え勢い良く降って来たところを、こんなにも簡単に受け止められるものかと思ったが、その腕の中から相手を見上げて、ああ、と思った。



「東峰旭さん…!」

「えっ、なんで俺のこと…」



つい、最近のホットワードなので名前を呼んでしまった。

東峰旭さんは、伊達工との試合後、私が声を掛けた時には居なかったから私のことを知らないのだ。

でもその不振そうな顔は、すぐに眉を下げて心配そうな表情に変わる。



「いや、それより、怪我!怪我ない?!」

「あっ、ご、ごめんなさ、だいじょぶで、っ……!」

「うわ!どうしよう?!足?捻挫かな?歩ける?保健室、保健室行こう!!」



離れようとした時にずきんと足首に痛みが走った。

捻ってしまったらしい、どうしよう。部活行かなきゃなのに、自分からやりたいとコーチ代打を買って出たのに、みんなに迷惑をかけてしまう。



「歩けないなら背中、乗れる?」

「へっ、いや、いやいやそんな!申し訳ないです!!」

「遠慮しなくていいから!ね!」



すっと、広い背中を差し出してくれる。

いつか見たあの、絶望に打ちひしがれた背中じゃなくて、優しさに満ち溢れた背中だ。私は意を決してその背中に乗ると、楽々と持ち上げられた。

太ももを支える東峰旭さんの手が、くすぐったい。



「キミ、名前は?」

「あ…1年の神崎みすずです。男バレのマネージャーです」

「ああ、なるほど…でもよく俺が東峰旭だって分かったね」

「観てました、わたし。伊達工との試合」

「……そっか」



それきり何も話さないまま保健室に着いたものの、先生が不在だった。

私はと言うと、運ばれている間にだいぶ痛みが減ったので湿布さえ貼れば大丈夫だろうと思って、それらしい場所をきょろきょろ探してみる。



「どうしよう、俺…先生呼んでこようか?」

「あ、あの…湿布置いてある場所わかりますか?」

「あー…これじゃないかな」



近くにあった救急箱を恐る恐る開けて、中から湿布を取り出してくれた。

わたしは靴下を脱いで、もらった湿布を貼ってみる。うん、なんか大丈夫そう。コーチ代打はちょっとお休みしなきゃだけど。



「神崎さんは、戻って来て欲しいって…言わないんだね」



ベッドに腰掛けて、私の様子を伺ってくれていた東峰さんから、そんな言葉が飛び出した。

どう言う意味だろう?私が伊達工との試合を観ていたと言ったから、戻って来て欲しくないと思っている、とでも思ったのかな?ふーん、そんなわけないのに。心外だ。



「…言って欲しいんですか?戻って来てほしいって、」

「えっ…あ、いや…ごめん、そういうわけじゃ」

「みんな思ってますよ、東峰旭さんに戻ってきて欲しいって」

「ちょ、ちょっと…神崎さん?!」



足に負担をかけないように立ち上がって、ベッドにいる東峰さんにぐっと近付いてみる。


私は、東峰旭さんのことに関して、伊達工との試合をした時点では部外者だし、今だってただのマネージャーだから、深く関わるつもりなかった。選ぶのは東峰旭さんだし、貴方をコートに戻すのは私に出来ることじゃない、そう思っているから。

けど、荒療治はできる。
こんな私なんかに頼るような、へなちょこさんには、お仕置きだ。



「最後トスを呼ばなかったエースの背中、試合終了の音、悔しそうな皆さんの顔……全部全部、鮮明に覚えてます」

「ああ…俺もだよ」

「それでも私は、烏野高校はこれから強くなるチームだと思いました。試合開始前のやる気に満ちた、あのギラギラした感じ。あれは嘘じゃなかったはずです。試合中の声掛けとか、目線、東峰さんが何度もトスを呼ぶ姿、それに応える孝支センパイや、必死に繋ぐ夕センパイ、他のセンパイたちも。ああ、この人たち本当に仲が良くて、信頼し合ってて…繋ぐバレーボールをやっているって、そう思いました」

「だけど、それを、俺が…俺のせいで…」

「繋ぐバレーボールで、誰か1人のせいで負けることは無いし、誰か1人のおかげで勝つこともありません」

「それは…でも、」

「価値のある敗戦にするか、意味の無い敗戦にするかは、自分で決められますよ」

「! ちょ、ちょっと、神崎さん、ち、ちか……っ」



私が近づいたことによって、上体を反らしていた東峰さんがついぞ体を支えられなくなって、ベッドに両手を着いた。

先輩相手に生意気かも知れないけど、ちょっと腹が立ってしまった。でも、言いたいこと言えてスッキリ。

そのまま東峰さんの隣に座ると、大きなため息が頭上から降ってきた。



「あー俺、何やってんだろう。1年のマネージャーにこんなこと言わせて」

「そうですよ、何してるんですか」

「でも戻る勇気が、出なくて…」

「……旭センパイって、なんか、かわいいんですね」

「えっ…あ、そのかわいいは、バカにしてるやつだ」

「ハイ、ちょっと」



仕方ない、物理的に行くしかない。



「旭センパイ」

「はい、ナンデスカ」

「足痛いので体育館までおんぶしてください」

「えっ?!イ、イヤだ…心の準備が、」

「最後まで責任取ってください」

「結婚迫る彼女みたいなのヤメテ!」

「…私を理由にしたら良いですよ」

「えっ…?」

「体育館に行くのは、私を送り届けるから。ね?」



下から顔をのぞき込むと、面食らった顔をされた。

私だってここからおんぶで体育館なんて恥ずかしくて死にそうですし、本当は先輩におんぶしてもらうなんてことしたくない。でも仕方ない、へなちょこな旭センパイだから。



「ありがとう、神崎さん」

「みすずって呼んで欲しいです!」

「え?あー…ありがとな、みすず」

「どういたしまして、です!」




天使はエースに助けられる


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