「その格好は…」
「これは私たちの隊服」
「隊服?」
「…」
櫻子はそれ以上、何も言わなかった。
周りはそれを記憶喪失だからだと思ったが、それもあながち間違いではなかった。櫻子はここ数日の間に本来の目的を忘れそうになっていた。それ程に、ここでの暮らしは平和だった。
「これを使うといい」
「お借りします」
「櫻子ちゃんさっきは悪かった。同じ剣を極める者同士、手抜きは駄目だよな」
「…お願いします」
櫻子は渡された木刀を構えながら、呼吸を整える。無限列車の記憶は薄れつつあるが、幼い頃から鍛錬していた記憶はしっかりと残っている。
少しずつこの場に馴染んで来た櫻子の剣術が見られると、外には見物人が集まって来ていた。
「始め!」
言葉と同時に櫻子は床を蹴った。
その素早さを予想していなかった近藤は、かろうじてその木刀を受け止めたが、想像よりも力強い重みに、トシが言っていた通りだと、改めて思った。
「速いな…!」
「勲さんも、」
振り払って櫻子と距離を置く。
恐らく斬り掛かって来ただけで、彼女が学んで来た流派の型は使っていないと見た近藤は、この小柄で華奢な体躯から繰り出されるであろう剣術の予測が立たなかった。
「近藤さんが受けるまで見えなかった、だと…」
「…ますます気に食わねェ」
「次はこちらの番だ!」
近藤の叫びに、櫻子は木刀を握り直した。
相手から向かって来る、これは櫻子にとっては好機であった。1対1の場面では、眼前に敵がいるだけで背後の警戒が少し薄れる。そして、相手が全力の速さで駆けて来た時、櫻子にはその速さを利用出来るのだ。
すう、と息を吸いながら軽い足取りで身を翻し、その勢いで腕を降る。
「っな…」
「近藤さんが、負けた…?」
櫻子の木刀は近藤の項のすんでのところで、ぴたりと止まっていた。
刻の呼吸 肆の型 夕月夜
気付かぬ間にゆっくりと昼から夜に移りゆく様に、相手の速さを正確に等倍した動きで繰り出すこの技は、周囲からはもちろん見えないが相対している者には動きがとても遅く見えるのだ。
だから近藤はなぜ、いやいつ自分が背後を取られ、なお項に木刀が優しく触れたのか分かっていなかった。
「ありがとうございました」
「今のは、いったい…」
「私が扱うのは、刻の呼吸の型です。と言っても、馴染みが無いと思いますが」
「…呼吸か」
剣術は気組み、呼吸を練って一振りに全てを込める。
その教えをまさに体現した様な型、だったのだろう。それを極めればこうも洗練された剣術になるのか。もちろん、呼吸や型だけではない、恐らくあれは瞬間の加速や減速…敏捷性を最大限に利用した彼女ならではの武。近藤は若いのに、そして女子であるのに、と感心した。
悔しいという思いはあまり浮かばなかった、それほど櫻子の動きは洗練されていたからだ。
「うおおお!櫻子さん!俺に指導してください!」
「え?!」
「俺も俺も!」
「えぇえー!ここ一応、俺の道場なんだけどォ?!」
「でも櫻子ちゃん凄く強いみたいだから、先生でも良いんじゃない?私と料理もして欲しいけれど」
不貞腐れる総悟の隣で見学していたミツバが微笑む。
確かに柱である櫻子は、誰かに習うよりもすでに指導する方が多かったが、まさかこんな展開になるとも思っていなかったため、困惑しきっていた。
ふと最近もこんな場面に出会した様な、とも。
「ま、まぁ…俺だけじゃ見切れねぇ時もあるから?!その時は手伝い頼もうかな?ねぇ!櫻子ちゃんも体動かしたいだろうし!ねぇ!?」
「お世話になっている身ですので、手が足りないと言うなら、是非」
櫻子の剣技に魅せられた門下生たちは、嬉しそうに声を上げた。