★ ★ ★




「ククク…やはり子供だな…」


 地を這うくらいの低い声が広間に響いた。明るかった電気は消え、今は静寂なる闇が果てなく続いている。


「こんな単純な手に引っかかってくるとは…」


 太一が言った栞に似ている天使の絵、そこから闇の化身が姿を現した。黒い身体は闇に溶け、光を全て消し去ってしまうくらいだ。


「…まさか『あいつ』がここにいるとは思わなかったが」


 忌々しそうに目を細め、それから口角をあげた。く、ともう一度喉を噛みしめ笑うと、目の前に現れた手下を見た。


「光が失われた今、力はあるまい…」


 そうしてもう一度天使の絵を振り返り、ゆっくりと輪郭をなぞるよう触れた。


「…守人」


 ふわりと花々が舞い散る草原の中で、1人の少女が微笑んだ。


―――…世界が私を必要とする限り、私はここにいるよ。


 フラッシュバックする記憶は、なんだか暖かいもので、自分の中で必要としていないものだ。闇と光が交わることはない、そう信じていた。だから欲した――この世界の秩序を。


―――…忘れないで。たとえ誰が何と言おうとも、私はあなたの味方だから。


 記憶の中の彼女はいつでも優しく、それでも空虚に満ちていた。揺れる草花の奥で、彼女は空を見上げる。ふわりとなびく漆黒に似た髪に、頭をふった。やめろ。そんなものを見せるな。何度か頭を振れば、次第に思考は覚醒していく。す、と息を吸い、眼前を見据える。


「私は、―――闇の使者、デビモンだ…」


★ ★ ★




 栞は朝よりも早く目が覚めた。早く寝たせいもあるが、なんだか夢の中で、早く起きろと急かされた気がしていた。ふ、と起き上がると、他の子供たちが個々のベッドで寝ていた。その中で1つだけ空いているベッドがある。一人一人確認していないのが太一だと悟ると、イヴモンを起こさないようそっとベッドを抜け出して、部屋から出た。
 あたりは暗く、電気を点けたら迷惑になりかねないので、手探りで渡り歩くしかないようだった。栞は暗闇を1人で歩くことに、自然とこわくはなかった。叫べばみんなに届く距離だし、何よりこわいものはここにはないのだという奇妙な核心があったからだ。
 階段を降りきったところで、冷たい空気が傾れ込んできた。


「…大人しく寝ていればいいものを」


 冷たい空気に負けないくらいの、ひんやりとした声だった。栞はさっと振り返った。何かがいる、暗闇に紛れて何かがいる。ペンダントを掴み、必死にその相手を見極めようと目を凝らす。鬱蒼とだが、栞にはその存在が感じられた。黒い身体を持った―――それがデジモンだと直感的に分かった。


「だ、だれ…?」
「お前を欲するものだ」
「わ、たし、を?」
「守人の奇異なる力、私に授けよ」


 す、と軽やかに、そのデジモンは栞のもとに舞い降りた。赤い瞳がぎんぎんにきらめき、鋭い声は栞の頭を刺激する。こわい――直感的にそう思った。一歩、後ろへと下がれば、目の前のデジモンは、栞にゆっくりと手を伸ばす。


「夢はもう、失われたのだ…」


 (え…?)一瞬見間違えかと思った。にやりと口の端をあげたデジモンが、なんだか悲しげに見えた。淋しそうに見えた。
 栞は震えながら、後ずさる。得体の知れないデジモンが、とてもこわかった。声が、出ない。助けを呼ぼうと、声を張り上げようと、口を開くも、声なき声は闇に消えていく。
 だめだ。やられてしまう。だれか、たすけて。だれか。 だれか――!


「栞っ、!」
「や…がみ、く、」


 腕を引っぱられ、栞は一粒涙を零した。もう泣かないと決めていたのに、まだ涙腺は緩いままのようだ。
 太一はたくましい瞳で、相手を見据えていた。


「もう大丈夫だ!」
「う、…ん、」


 ぎこちない手ではなく、慣れたような手で撫でてくれる温かい手が、とても嬉しかった。安心できる温もりを感じて、栞は服の裾で涙を拭った。


「選ばれし子供、か…」
「栞に何の用だ!?」
「ふん、野暮なことを…。守人を奪い、貴様ら選ばれし子供たちを抹殺するだけだ」
「なん、だと!?栞は、お前等なんかには渡さないからな!!」
「…そうだよ。この子には、指一本触れさせない――デビモン」


 ふわり、と白い毛の塊が栞の目の前に現れた。それは、隣で気持ちよさそうに寝ていたはずのイヴモンだった。驚愕に開かれる瞳からの視線を受けて、イヴモンは苦笑した。

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