028 全てを知るには早すぎた




――…守人、そろそろ孵るぞ。


 花畑で冠を紡ぐ彼女の手は止まり、俺を振り返って嬉しそうに笑った。周りにいる子たちの手を取って駆けてくる足取りは軽かった。


―――…新しい命が生まれるんだよ。


 腕に抱いた幼年期のデジモンを見て、彼女はまた笑った。守人があなたもそうやって生まれたんだよと言うと、きょとんと首を傾げてから、デジモンも無邪気に笑う。
 そんな空間が広がる世界が、確かにあったのだ。


★ ★ ★




 ずきずきと痛む頭を抑えながら、栞は起き上がった。


「イヴモン…?」


 いつも傍にいる存在も見当たらなかった。風が冷たく彼女の頬を吹きつけるため、栞は反射的に目を瞑った。


「イヴモン…」


 再び彼の名を呼ぶ。手探りで辺りをぽんぽん叩いてみるが、柔らかい草の感触が手に触れた。草むらか、草原か。栞はゆるゆると目を開け、辺りを見回した。
 そこは、風に乗り花々や木々が揺れる、理想的な草原だった。ゆらゆら揺れる葉にのり、花々も散っていた。ドクン、と今まで以上に大きく心臓が鳴った。ドクン、ドクン。血液が沸騰しそうなくらい、熱い思いが栞の中を駆け抜ける。


―――……私は知っている。


 立ち上がって、一歩踏み出した。草を踏む音が、ずいぶん遠くに聞こえる。


―――……私は、ここを知っている。


 いつもよりもはっきりとそう思えた。栞は、随分前にここにいたのだ。ここで、暮らしていたのだ。ふわりと浮かんだ記憶は、栞という水の上で溶けることなく、留まり続ける。
 栞は歩き出した。自分の中にある記憶だけを頼りに、ただその果てない草原を歩き出す。


「あ…、」


 どれくらい歩いたかはいざ知らず。栞はそこで、1つ瞬きをした。やはり、栞はここにきたことがある。
 ふ、と空を見上げた。憂鬱になりそうなくらい鮮やかな蒼が、くっきりと瞼に灼き付けられる。栞は、この青空も知っていた。 
 そして、ここに住む、自由を求めるものたちのことを、誰よりも愛していた。

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