「降りられないの!?」
空が断崖の下を見た。それにつられて栞もおそるおそる覗いてみる。
絶句した。
そこにはアマゾンのジャングルを思わせる暗い密林と、その中をうねうねと蛇行して流れる川があった。栞たちはおろか、大人たちにとっても絶望的な高さだろう。
「もう、だめーっ!」
ミミがぺたん、と膝を地面について泣き出してしまった。栞は不安気に全員を振り返る――一人ひとりの顔に、絶望という文字が刻みこまれていた。
もう直ぐそこまで、クワガーモンが迫っているというのに。
ハァ、と荒い息が漏れた気すらした。怖いという感情が、栞の中を支配する。あふれ出そうになる涙は、ぐっとこらえた。胸をまさぐり、ぎゅとたぐりよせる。兄がくれた陰陽の模様がついたペンダントを掴んだ。――どうすればいいのだろうか。さっきフワモンはなんて言った。栞なら出来る。栞が願えば、それは叶う。
近づいてくる羽音に、唇をかみしめる。それは、無謀なことだと思った。
「来るーっ!」
トコモンの声に上空を見た。また、クワガーモンは羽音を立てながら、栞たちの方に向かってきている。
それまでべったりと子供たちにくっついていたデジモンたちが、まるで示し会わせたかのように、ぴょんぴょん、ずるずる、ぷかぷか、ざざざとそれぞれのスタイルできた道を引き返し始めた。フワモン以外は、例外なく。
「ど、どうしたんだ、コロモン!」
訳が分からず太一が叫ぶ。
「俺たちを置いていくのか?」
「どこにも行かない!」
コロモンが振り返って言った。その顔は悲壮な決意に満ちていた。
コロモンたちは子供たちの最後列を過ぎたところで立ち止まると、サッカーの試合、ゴール前のフリーキックで壁を作る選手たちのように、横一列に整列した。
「タイチたちは僕らが守る!」
コロモンはきっぱりそう言うと、クワガーモン怪獣をキッとねめつけた。襲ってくるなら、受けて立つという気概のこめた目で。
「やめろ!よせ!」
再び、太一は叫んだ。
巨大なクワガーモン相手に、小さなデジモンたちが適うはずない戦いを挑んでいる。最初、コロモンたちは口からシャボン玉のような泡を吹いた。その泡は強力な酸で、不意を突かれたクワガタ怪獣はバランスを失い、そのハサミが地面にぐさりと刺さった。すかさずコロモンたちは攻撃をたたみかける。しかし、立ち直ったクワガーモンは、その六本の手足と固い羽根、それ尖ったハサミで、二倍三倍ではすまない手痛いカウンターをコロモンたちに与えた。
ペンダントをつかむ力を、強めた。見ていて、いたたまれない。すぐにでも目をそらしたかったが、それもできなかった。
「どうしてだ!どうして、俺たちのためにそこまで!」
クワガタ怪獣の攻撃で大木の幹に激しく叩きつけられたコロモンは、うめき声をあげる間すら惜しみ、すぐさま的に飛びかかっていく。
ふ、と栞の脳裏に浮かんだのは、大好きだった兄の姿だ。
―――…たとえ、誰が敵になろうとも。世界で一番大切なお前は、俺が守るから。
そう言って頭を撫でてくれた兄の優しさを、栞はコロモンの姿に重ねた。きっと、今のコロモンの闘争心を支えているものは、かつて兄を支えていたものでもある。
「…みんなを、守る、一念で、」
「え?」
「…私たちが知らないほど永い間、みんなは待っていたんだと思う、よ。一緒にああしたい、こうしたい、いろんなこと夢見て。…その、夢を叶えるためには戦わなくてはいけない。そして勝たなきゃ。守らなきゃいけない。こんなところで夢を壊されてたまるもんか、って、」
自分の口ではないかのごとく、言葉は流暢に流れた。
―ああ。兄も、そう思ってくれていたのだろうか、とぼんやり考えた。
「…だけど自分たちの非力さは身に染みてわかった。圧倒的なパワーの差。体力が、攻撃力が、みなぎる気力に追いつかない――力が欲しい、強く、強く、強くなりたい。その願いは、強く祈る心があれば、きっとそれは叶うの」
かつて、誰もがそう願い、そうして生きていたかのように。
世界に降り立つ光が、そうしてすべてに降り注いでいたかのように。
「だから、ね。呼んであげるんだ、その名前を。強くなるために必要なものは、みんなの、″心″だから」
太一は。ヤマトは。空は。
ミミは、光子郎は、丈は、タケルは。
強く、強く。
その光を、受け止める、築く礎となる。
「コロモーン!!」
「ツノモーン!」
「ピョコモーン!」
「モチモーン!」
「タネモーン!」
「トコモーン!」
「プ、プカモーン!」
―――…しゃらん。しゃらん。
鈴の音が、遠くで聞こえた。
「栞、」
フワモンが、強く栞の名を呼んだ。
不安に揺れていた空色の瞳が、力強い瞳をしている。
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