016 メッセージ・フロムヘル




右手は、愛するためにあった。
左手は、守るためにあった。

両手は、抱きしめるためにあった。

唇を、一度だけ噛みしめたことがあった。
拳を、一度だけ握り締めたことがあった。

世界が、一度だけ憎いと思ったことがあった。
守るためには、すべてを切り捨てなければいけないのだろうか。



 ピョコモンの村をあとにした子供たちは、あてもなく歩き続けた。果てない日照りが続く。元気な子供たちもデジモンも暑い日照りによって少しずつ体力を削られていった。服の袖だけでは汗を拭くのに間に合わない。栞はバックの中から母が用意してくれた青色の触り心地が抜群に良いタオルを取り出すと、汗を丁寧に拭いた。


「もう日焼けしちゃう…暑いー…」
「はぁ…もうダメェ…」


 ミミとパルモンの二人がまず最初にバテた。もう一歩も歩けないとその場に膝をついた。ミミちゃん、と窘めるように空が名前を呼ぶも、ミミはただ首を横にふるだけだった。言葉をあげる気力すら残されていない。


「僕もー…」


 へたり、と音を立ててタケルは座り込んだ。その頭の上のパタモンも、目を回していた。


「ここらが限界かな…」
「ずーっと歩きっぱなしだもん!」


 口を尖らせ休憩しようと言わんばかりのミミを見て、太一はみんなを見回した。五年生である太一たちや、最年長で六年生の丈は、必死に疲労を隠しているように見えた。栞以外は。太一はふぅ、と一つため息をついて、高らかに言った。


「よし!ここで休憩しよう!」


 太一の声を聞き、子供たちはわぁ、と木の下に座り込んだ。ちょうど大きな木が二本、その場に生えていたのだ。誰かに女神さまでもついているのかもしれない。
 栞は襟元をぱたぱたと仰いだ。それくらいで熱が逃げていくなんて思わなかったが、それでも少しは首元が涼しくなった気がした。必死に汗を拭きながら、その行為をくり返す。鞄の中で沈んでいるイヴモンは、どうやら本気で暑いものが苦手らしく、もはや外に出てこようとすらしない。


「大丈夫?」


 苦笑しながら栞が問うと、イヴモンはゆっくりと顔を起こした。丸まっているため、どこが顔なのか身体なのか区別はつかなかった。空色の瞳が真っ白の中から浮き出てきたので、そこが顔だろうと認識する。彼は、顔を起こした速度と同じくらいのっそりとため息をついた。


「…ボク、暑いノは得意ジゃなイ」
「私も、夏はあんまり好きじゃないな」
「ふフ、ボクたち、お揃イだネ」


 やっとイヴモンの顔に笑顔が漏れた。
 いつもと変わらない屈託のない笑みに、栞も小さく笑む。


「栞さん、隣いいですか?」


 声が聞こえ、上を見上げるとパソコンを片手に持った光子郎がいた。ここは栞だけの場所ではないので、了承を取らなくてもよいはずだが、とても丁寧だと思った。肯定の意味をもって頷くと、やはり丁寧にありがとうございます、と言って栞の隣に腰をおろした。


「やっぱり動かないよな…」


 光子郎は膝の上に置いたパソコンを開ける。何度かクリックする音が聞こえたが、どうやらうんともすんとも言わないらしい。「動かない」と言う声が聞こえ、栞は顔を光子郎の方へと向けた。


「パソコン、動かないの…?」
「…はい、」


 ため息とともに返される返事は、とても重たいものだった。光子郎にとってパソコンというものは、とても大切なものだと感じられる。そもそもキャンプにすら持ってくるという時点で、片時も放せないといった状態だろう。栞も物に対する執着心は大きいが、ここまでとなると相当なものだと思う。しかし分からないでもない。おそらくは光子郎のパソコンへの執着の仕方は、己と同じだろうから。
 そんな光子郎の眼前に、にやりと笑った太一が現れ、パソコンを奪いとった。


「わっ!」
「こういう時は叩くと直るって!」
「わーっ!や、やめてくださいよっ!」


 何度かパソコンのキーボードを叩いたが、辛くもヤマトによってパソコンは光子郎のもとへと返された。光子郎は急いでパソコンに外傷がついていないか確認していた。その横で、じとり、としたヤマトの視線が突き刺さり、太一は焦ったように眉をさげた。


「俺はお前のためを思って…」
「それは分かるけど、誰だって大切にしているものを、他人に触られたくないでしょ?」


 空の窘める声には、太一も適わないらしく「ちぇ」と言いながら、立ち上がる。辺りをきょろきょろと見まわし始めたのは、居心地が悪くなったからだろう。その際、「ん?」と小さく呟き、とある一点を見つめる。イヴモンの柔らかいふわふわした毛をさわりながら、栞も自然と視線をそちらへ向けた。うっすらとだが、煙があがっているのが見える。まるで工場でもあるような感じだ。
 もっとよく見ようと、立ち上がった。その際、光子郎のパソコンに肘がぶつかる。


「わ、ご、ごめ、!」


 栞は慌てて腕を引っ込める。

 たった今、このパソコンが光子郎にとってどれほど大切なものなのか再認識したばかりだというのに――!

 栞は顔面が蒼白になったかと思うほど、心臓がバクバクしていた。ごめんね、そう続けられるはずだった言葉は、パソコンから発せられる機械音に消された。ピピピピ、と起動するような音が聞こえ、思わずぎょっとする。さっと光子郎の顔を見る。彼も驚いたように目を瞬かせていた。え、え…とあわてる栞だが、光子郎は黙り込んでいる。まずいことになってしまったのだろうか。栞は更にあわてた。

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