017 記憶に咲いた花




「モリ、ビト…」


 迫りくるアンドロモンの襲撃から逃れようと必死に走る子供たちの中で、太一は立ち止まった。『モリビト』、今確かにアンドロモンの口からその言葉が発せられた。モリビト――いつも聞いているものよりも少しばかりアクセントが違ったが、それでもきっと同じものなのだろう。だからきっと『モリビト』は『守人』なのだ。


(栞が、関係してる?)


 その時太一の頭に浮かんだのは、控え目に笑う栞の顔だった。栞は光子郎と一緒にいる、と先ほど空から聞いた。ということは、進化することができないデジモンと共にいるということか。
愕然としながら、足を止めるわけにも行かず走り続ける。
 もしかしたら、アンドロモンの狙いは栞なのだろうか。


★ ★ ★




「ここここ工場中の機械が止まってまっせ!」
「プログラムを間違って消したせいかな」
「たぶン、そうだろうネ」
「も、もういちど、書き直したらどうかな…」


 消された箇所を二人と二匹で眺めながら、絞り出した答えに、そうかもしれない、と光子郎は油性ペンを取りだした。この際、何で光子郎が油性ペンを持っているのかは置いておくことにしよう。
 消された箇所にペン入れする。ふ、と消えていた電気が一瞬にしてついた。


「やっぱり…」
「この壁に書かれているプログラム。それ自体が電気を起こしているようです」
「不思議だね。…電池は金属と溶液の化学変化によって電気を起こすのに…」
「詳しいんですね、栞さん」
「えっと…理科、けっこう好きだから…」


 光子郎の言葉に曖昧に笑みを浮かべて、もう一度プログラムを見つめた。光子郎も一緒に眺める。は、と目を見開く。それからもう一度プログラムを見つめ、小さな笑みを浮かべた。彼は勢いよく座り込み、パソコンを開いたので、テントモンが首を傾げるように光子郎に近づいた。


「今度は何しはるんです?」
「このプログラムを分析してみるのさ!やっと僕のパソコンの出番ってわけだよ」


 キラキラと輝く瞳を見てから、栞も同じように座り込むと足を両腕で抱えた。所謂体育座りをしてから、顔を埋める。心身ともに、少しだけ疲れてしまった。――わけが分からない世界、危険な世界、家族が誰もいない世界。暖かかった場所を思い浮かべると、今でも涙がこぼれそうになる。


―――……すぐに戻るよ。
―――……栞、俺がお前に嘘ついたことあったか?


 兄は、笑って、本当に消えた。その年、東京に初めて雪が降った日だった。
 目の前が、酷く歪んで見えたのは、目を開けた先が真っ暗だったからだろうか。それとも少しだけ零れた涙のせいだろうか。どちらにせよ、胸が苦しいことには変わりなかった。


「うそ、つき」


 ぽつり、と一つの言葉が漏れた。
 ぐすりと鼻をすすると、ぽふぽふ、と頭を撫でる感触が分かった。ここにいるはずもない一馬に重ねて、栞は顔をあげる。姿は見えなかった。暖かさが止まり、ふわりとした毛が頭から落ちてくる。イヴモンだった。


「大丈夫だヨ、僕が傍にいるかラ」


 ね。にこり、と笑ってイヴモンはそう言った。栞の瞳から、一粒だけ涙が落ちた。


「栞さん、」


 鼻をすする音が聞こえたのだろうか。光子郎はパソコン画面から視線をそらし、まっすぐに栞を見て、眉を寄せていた。急いで涙をぬぐい、小さな笑顔を向ける。


「ご、ごめんね、泉くん…。感傷に浸っちゃっ、た」
「いえ、僕は別に…。そ、それより、『光子郎』でいいですよ」
「え?」
「名前、でいいです。僕も名前で呼ばせてもらっていますし…仲間、ですし」


 つ、と視線を画面へと戻す光子郎の頬は少しばかり紅く染まっていた。『仲間』。その言葉はまだ栞には難しくもあった。色々考えたけれど、結局は、うん、と頷いた。光子郎はやっぱり照れくさそうに、画面に集中していた。何となく、栞も視線をそらした。


「栞、栞」
「え…?」


 名前をイヴモンに呼ばれ、ふ、と視線を戻した。「うわっ!」ドアップで瞳に映し出されたイヴモンに目を見開いたが、彼はそのままそそくさと栞の横を行き、小さい身体で腰につけられたデジヴァイスをタッチした。

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