002 可能性のはなし




 石田ヤマトからの真田栞への第一印象は、とても苦手な女の子だった。


「真田さん、これもお願いしていいー?」


 猛暑の中、彼らはサマーキャンプにやってきた。今は班員で昼飯の支度に取りかかっているのだが、先ほどから女子は一人しか動いていなかった。同じクラスの真田栞――どちらかといえば大人しくて、あまり目立たない女子だった。だからこういう時は恰好の的にされるのだろう。嫌だったら嫌だとはっきり言えばいいのに、とため息をついた。それが出来たら苦労はしないだろうが、見ている方が苛立ってくる。だから、ヤマトは栞のことが苦手だった。
 戸惑ったように、泣きそうな顔をしている。恐らく慣れていないだろう危なっかしい手つきで野菜を切ろうとしているのに、見ているこっちがハラハラしてくる。


「……っ」


 あれなら俺の方がうまいな、と独り言ちた。おそらく彼女は包丁を使ったことがあまりないのだろう。手がふるえてるし、何よりとても危なっかしい。再び溜息をついて、自分の作業に取り掛かろうとした瞬間。


「!…真田」
「え…っ?」


 包丁の刃が彼女の指めがけ振り落とされる―――前に、その腕をとる。危なかった。栞の指をマジマジと見つめ、怪我をしていないことを確認し、今度は安堵の息をはいた。腕を伝って彼女の顔を見れば、羞恥ゆえか顔を赤く染めて、眉をさげて泣きそうな顔をしている。なんとなくバツが悪くなって、彼女の手から包丁をひったくった。


「俺がやるから、お前は野菜の皮でも剥いててくれ」
「で、でも…」
「見てるとハラハラするんだよ」
「…ご、ごめんなさい」


 語調が強まってしまったのか、おびえたようにびくりと肩を揺らし、俯いてしまった。やはり、ヤマトは栞のことが苦手だと思った。


「…天気、悪いな」
「…え…?」
「さっきまで、天気よかったのに」


 それでも自分が泣かしたと思われるのは嫌だし、何よりそんな顔をしていられたら、余計に気まずい。話題を変えれば、彼女は顔をあげ、ヤマトと同じように空を見上げた。
 遠くで聞こえるざわざわとした声は、この空間では適応しないように、ヤマトと栞のこの場所だけは静かだった。
 実際、栞と話したのはこれが殆ど初めてだった。クラスメイトとはいえ、挨拶する程度の関係だった。どう見ても彼女は人と接することが苦手だし、共通の話題なんてものもあるわけでもなし、わざわざ話をすることもなかったからだ。だから、こうして一緒に作業していても、何を話すわけでもない。ただ、同じ空間にいて、その存在だけが確かにあると言うことだけをお互いが認知している―そんな感じだった。


「わあ、きれい…」
「え?」


 不意に、ヤマトのの野菜を切るのをじっと見つめていた栞が、ぽつりと言葉を漏らした。まさかそんなに見つめられているとは思いもせず、目を見開いて彼女を見やった。そんなヤマトの声色に不安を感じたのか、すぐに俯いて、「ご、めんなさい」、そうつぶやき自分の服の裾をぎゅ、と握りしめているのが見えたので、ヤマトは更に居心地が悪くなった。


「いや、べつに…。これくらい、普通だろ」
「…ううん、すごい、と思う」


 そう、小さくつぶやく彼女に、忘れていた記憶がよみがえった。
 少しだけ。そう、ほんの少しだけ。初恋の女の子に、似ていると思った。

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