021 迷子の花々
少年は腕をさすり、天井を見上げた。
彼が目覚めた時、彼は黒い部屋の中で蹲っていたのを覚えている。水滴がついた髪からは、この部屋とは相反する白い毛がさらりと揺れた。彼は目が覚めた時から、たった一つの言葉だけを知っていた。他は何も知らない。うつろに開かれた黒い瞳は、ただ一つの言葉のみを求めていた。
「もりびと」
ふわり、と心に光が差した気がした。少年は誰に習うわけでもなく、優しく微笑んだ。
★ ★ ★
おもちゃの町をあとにした一向は、行く宛もなくただ山道を歩いていた。熱い陽射しを背に受けるよりかは歩きやすいのだが、山に近づくにつれ次第に寒くなっていく。変わりやすい気候に、子供たちはうんざりしていた。ちょうど向こうが夏だったので、半袖を着用している子供たちは自分の身体を抱きしめてさするしかできなかった。
栞はといえば、暖かそうなイヴモンを抱きしめていた。暑いのは苦手だと豪語していただけあって寒さの中では元気いっぱいのイヴモンは、栞に抱きしめられるのが嬉しいらしい。自分からすり寄って、暖かさを半分こしていた。
「うう、寒いよう…」
ぽろりと口から漏れた言葉から、『寒い』と認識せざるを得ない。やけに元気がいい約三匹以外は、全員のテンションが下がっていた。
「…ま、でも、寒いのも悪かないよな?」
「えーっ!」
「そんな!勘弁してください!」
太一の軽率な発言は、子供たちからも、デジモンたちからも非難を浴びた。
「…でも暑いのよりは、いいよね…」
もふり。
イヴモンのふわふわの毛に顔を埋めた栞が言うと、今まで反対していた面々は、はた、と暴言をとめた。口に手をあてて、そうだ、と同意する。それに拗ねたのは非難を浴びていた太一だった。
「なんだよ、俺の時は何だかんだって言ったくせに」
「だって太一と栞じゃ、説得力が違うのよ」
「そ、空まで…!」
「太一苦手だもんね、国語。これを機会に勉強したら?」
「うるせえ!」
口調は荒荒しいけれど、太一の顔は次第に笑みで溢れていく。改めて2人はお似合いのカップルだと思った。…ずきん、と心が痛む。どろどろとした嫌な感情が、浮かんでは、消えていく。
(…もやもやする)
まるで、初めて一馬から結人や英士を紹介してもらったときのようだ。反射的に一馬をとられる、と思った。彼らの笑顔を見て、悪い人だとは思わなかった。今だってそうだ。太一は良い人だと思う。何度も助けてもらった。 けれど、空を、とられてしまう。それが、不安で、仕方がない。
「…栞さん」
「…っ、な、なに?」
「大丈夫ですよ」
俯いた顔を上げれば、光子郎は真っ直ぐ前を見ながら言った。横顔は少しだけ柔らかくて、やっぱり心が痛んだ。
「空さんは何だかんだで栞さんが一番ですから」
心でもみられたのではないだろうか、と恥ずかしくなった。的を射た答えに、栞は俯く。隠したはずの感情が、光子郎によってむき出しにされたような変な感覚だった。
「だから、そんなに落ち込まないでください」
「え、あ…、うん、」
それでもやっぱり、栞は俯いたままだった。
「そういやさ、雪降ったら雪合戦できるよな!」
「雪合戦いいね!」
「おまえ今思いついただろ?」
そういうヤマトの顔も、心なしか嬉しそうだった。『雪合戦』という言葉に、顔を輝かせる子供たち。都心ではあまり雪が降ることがないから、したこともない子供が多い。ただデジモンたちだけが、何のことだか分からないと首を傾げた。
「ユキ…ガ、ッセン?なあニ、ソレ?」
「食べモンかいな?」
「違いますよ。雪合戦というのは雪をぶつけ合う遊びの一種です」
光子郎はそう簡単に説明したあと、少しだけ理論を交えて説明をしたため、二匹は余計に分からないと言った顔をした。栞はそれを見て、少しだけ笑った。
「久し振りに勝負できるな!」
「負けないぜ!」
わいわいとはしゃぐ中、ただ一人だけが浮かない表情をしていた。最年長の丈だ。一歩外れた場所から、みんなを見ていた。栞は光子郎に一言断りを入れ、そっと丈に近寄った。
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