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「異常気象なんかじゃなかったんだ…。みんなみんな、デジタルワールドの歪みが影響してるんだ…」
空のカーテンが風に乗って揺れ、太一は唇を噛みしめた。
「何かが起こってるんだ…。どっちも夢なんかじゃない。こっちもあっちも、本当なんだ…」
心の奥では、もしかしたらデジタルワールドに行ったこと自体が夢なのではないかと思っていた。コロモンはもしかしたら生まれた時から一緒にいる存在で、この世界では全員がデジモンと共に暮らしているのではないかとさえ思った。そのくらい、現実に戻ってきたことが嬉しかった。けれど、デジタルワールドでの日々は夢ではない。かといって、この現実世界も夢などではない。二つとも、れっきとして存在する世界なのだ―しかし、それでも太一の顔はくしゃりと歪む。
「夏休みなんだ。今、夏休みなんだよ!」
本来ならば、大いにはしゃいで過ごすだけの楽しい夏休みだった。基より、デジタルワールドでの日々が苦だけであったとは言わないが、命の危険も伴う旅だった。行かずに済めば、それが一番、ということだ。ぐるぐると目まぐるしく起伏する感情に太一の脳内は追いついていないらしく、彼は抜けた力を支えようとソファの背に手をついた。
「けど。やんなきゃいけないんだよな」
その時、ちくりと胸を何かが刺激し、太一は自ずとそう呟いた。脳内を、凛とした姿の友人たちが、駆けて行ったからだ。どんなに辛いことがあっても、誰ひとりとしてめげようとしない。どんな時だって、8人で乗り越えた。
ドスン、という地響きが聞こえた。太一はもはや迷ってなどいられなかった。コロモンを抱きかかえ、戸惑うように自分を見上げるヒカリを置いて、マンションを飛び出た。
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あの時は見えなかった全てが、栞の目の中に映し出されていた。異常気象なんかではない。異常現象などではない。全ては、デジモンが引き起こしていたことなのだ。たった――いや、栞たちが『デジタルワールドに行っていた』という事実を踏まえればたったという三文字では片づけられないが――これだけの日数で多くのことを理解できるようになるとは、思いもよらなかった。デジタルワールドでの旅で身に付けた体力を駆使し、栞はとりあえず胸騒ぎのする方へと足を向ける。サッカー場を出て直ぐの曲がり角から見えた波止場から、一つの頭がむき出しになっていた。
「トリモゲモン…だ!」
一度だけ会い見えたことのあるトリモゲモンの姿を見間違えることなどない。栞が荒い息を吐きながら叫べば、イヴモンは同じように苦しい息を吐いた。肩を揺らした栞は、助けを求めるようにイヴモンを見上げる。彼は、頼りにされている、そう思って、少しだけうれしくなった。
「ど、どうしよう」
「送り返スしかナいヨ。ここハ彼らノ居場所じゃなイ。向こウに、送り返さなきャ」
「そんなこと、できるの…?」
「『栞』だカら、出来るノ!行くヨ!」
ひゅん、と出てきた小さな手に掴まれ――どこに隠されていたのか不明だが――栞は直ぐに足を進めた。体力を身に付けたと言ってもミジンコ程度のものだった。さすがに足が笑っているし、心臓も爆発するのではないかというくらい早打ちしている。
「ご、ごめん…っ。ちょ、っと…タイ、ム…!」
「ちょッと、だからネ?」
「っう、うん…」
『ただいま入ってきたニュースです。港区で地震発生。港区で地震発生。震度、またマグニチュードは分かっておりません。繰り返します。港区で――』
「…地震、て」
「…これにより津波の心配はありません」と続けられた、街頭テレビから流れてくるキャスターの声を聞いて、栞は振りかえる。あのキャスターやカメラマンには、後ろに見えるティラノモンの姿が見えていないのだろうか。
大きな瞳からは不安が滲み出ていた。それは全て、デジモンが起こしている事件に該当する。
しかし、いくらデジモンの出所を抑えたとて、止める術が栞とイヴモンにはない。
「もウ、ダイジョウブだネ?」
「…うん」
「僕たチは2人揃えばジューブン強いヨ。自信を持っテ、栞」
「でも、」
「『カズマ』。守ろうヨ」
不意に、告げられた名前に、栞は虚をつかれたように顔をあげる。イヴモンの鋭い瞳は、丸みを帯びていて、何だか微笑んでいるかのようだった。栞は頷きはしなかった。けれど、重たい使命を心に宿した。
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