083 コール・コール・コール




 無事にお台場に降り立ったのは、夕日が傾き、漆黒の闇が連なり始めたころだった。他の子供たちはこの場所に己の帰る場所があるため、表情は嬉々としていたが――ただ一人だけ、そう、栞だけが少しだけ浮かない表情をしていた。
 時刻はもう遅くなっていた。何分、キャンプ場から光が丘を経由し、そこで一事件解決、さらにもう一つの事件を解決してきたのだ。それは時だって経つものだ。
 何より、子供たちは早いところ帰路に着きたかった。諸々の理由をつけて、八人目の捜索を明日以降に、と口頭で交わし、各々の方向へと足を向けたのだが――「栞…どうしたの?イヴモンを抱きしめたままの栞は、その場所から動けず、立ち止まったままだった。空の言葉を聞き、歩きだしていた子供たちの足が止まり、彼女たちを振り返る。


「どうしたんだよ?」
「急に立ち止まっちゃって…。家に帰りましょうよ」


 空は俯く栞と視線が合うように屈みこみ、その手を握りしめた。家へ帰れるというのだから、もう少し笑えればいい。空は、栞の家の事情までは知らないので、素直にそう思った。


「栞、」
「――、うん、」


 イヴモンが促がすように名を呼べば、栞は、空の言葉に対しても小さく頷く。もとから口数が少ない子だが、もっと減ってしまったように感じた――その時だった。


「栞…?」
「――……、!」


 不意に、誰かが栞の名を呼んだ。栞の肩は跳ね上がり、俯く。子供たちは一斉に振り返った。


「ああ、やはり。栞じゃないか」


 スーツ姿の男性が、一歩、また一歩と子供たち、もっといえば栞に近づいてきていた。にっこりと笑っている。彼女の名を呼んでいたのは間違いないだろう。穏やかな風貌とは言い難いが、纏う空気は優しいものだった。
 きょとんとした子供たち。知り合いなのかと空が尋ねる前に、栞がイヴモンをぎゅっと抱きしめた。彼女の表情が、まるで石のようにかたまる。視線は地面へと向けられ、口は閉ざされたままだった。まるでキャンプに来る前の――空に話しかけられる前の栞だった。
 戸惑う子供たちをよそに、その男性は優しく微笑み、栞と目が合うように屈んだ。気づかれない程度に、栞の肩が揺れる。


「キャンプは終わったのか?」
「…はい。天気が、悪くて、…」
「そうだったのか。折角のキャンプだったのに残念だったなぁ」
「…は、い…」
「今から帰りなのか?」


 その言葉に無造作にこくりと頷いた。表情は、怯えに近かった。目の前の男性に気付かれないよう、白い塊の中から二つの青い瞳が栞を見上げる。しかし栞の視線と出会うことはなかった。


「この子たちは、友達か?」


 そこでその男性は始めて子供たちに目を向けた。優しい瞳に、太一たちの警戒心が薄れていく。いや、しかし何故こんなに栞は怯えているのだろうか。害のある人間だからではないのか。危ぶむ子供たちに、男性はふ、と微笑んだが、何も言わない。先ほどの問いに対しての、栞からの答えを持っているようだった。


「――…はい」


 少しの間の後、栞は頷いた。「友達、です」相変わらず視線は下に向けられていたけれど、途切れの言葉だったけれど、しっかりと告げられた言葉に、知らずうちに空に笑みが浮かんだ。当たり前の言葉だったというのに、すなおに、嬉しいと思えた。
 男性は驚いたように、それでも、空と同じように嬉しそうな笑みを浮かべた。「そうか…友達か…」何度も頷き、感慨深く呟いた。


「おじさん、は、仕事、途中ですか?」
「いや、今日はもう終わったよ。今から一馬を迎えに行くところだ」
「……!」


 そこでようやく栞は顔を持ち上げる。少しだけ輝いた瞳に、男性―栞曰く、おじさん、は苦笑した。一馬のことになると、こうして目を合わせてくれるというのに。「一緒に行くか?」柔らかく問いかければ、栞の視線は後ろを振り返り、空を見て、俯いた。


「…わ、たし、の、おじさん、なの。だから、…その」
「―そうね。じゃあ、今日はここでバイバイ」
「…うん、」


 迎えに来てもらうはずだった人物が、タイミングよく向こうからやってきてくれたのだ。どうしてここまで栞がかたまるのかは分からないが、元来あまり人に寄れない性格をしているのだ。大人のひとは、たとえ血が繋がっていようとも苦手なのかもしれない。空が小さく微笑めば、栞は背中を押されたような気持ちになった。


「またあとで、連絡するわね」
「うん、」
「―じゃあな、栞。また明日!」
「うん、また、――明日」


 その時、おじは、目を見張った。
 息子―一馬と同じで、栞も友達のいない子であった。この子を纏う境遇がそうさせたのだと思っていた。だから先ほど友達かと尋ね、肯定の返事をもらった時、とても嬉しかったのが記憶に新しい。それだけで、嬉しかったのに――栞が、笑った。自分たちでは引き出せない、栞の笑み。 涙が出るほど、嬉しかった。心の中で小さく、子供たちに感謝を述べる。栞と友達になってくれて、ありがとう、と。
 子供たちは帰路につく。個々の背中が夕闇に照らされていくのを、栞は見ていた。不思議と離れることに不安がなくなっていた。『また明日』―その言葉のおかげなのだろうか。ちょっとだけ、照れくさくなって、イヴモンを抱きしめる腕に力を込めた。

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