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 一馬は随時モヤモヤした思いを隠せなかったが、それをプレイに出すわけにはいかない。だからこそ、ピーッと今日の練習の終了を知らせる笛の音に、心の底からほっとした。ベンチにかけてあったタオルをひったくるように持ち上げ、汗にしたたる髪を拭いた。一馬の漆黒の髪が、夕凪の少しだけ冷えた空気によって運ばれていく。


「お疲れ」


 ふ、と、静けさを含んだ声が聞こえ、一馬は振り返る。彼の切れ長の瞳が丸くなり、再びタオルで頬を拭いた。


「おつかれ、英士、ついでに結人」
「おいおい俺はついでかよ!」
「あんま疲れてないような顔してるし」
「すっげえ疲れたっつーの!」


 そう言いながらも、結人の顔は元気いっぱいだった。
 いつものような明るい笑顔を振りまきながら、一馬と同じようにタオルで汗をふく。横目でそれを見ながら小さく笑い――、更にため息が漏れた。


「お?どーしたんだよ、一馬」
「…や、べつに」
「…さっきの、栞ちゃんのこと?」
「っ…」
「図星、でしょ」


 英士の心を見透かすような瞳でじっと見られてはたまらない。慌ててさっと視線をそらせば、逆にため息をつかれた。――なんだよ、ため息つくなよ。


「――さっき、爆破テロみたいなのがあったらしいよ」
「テロ?昼間の、か?」


 栞の様子がおかしくなった時のことを言っているのだろうか。彼女はその後、行かなければならない、と己の腕を振り払い、いなくなってしまったのだが。心臓が早鐘を打つ。


「いいや、本当にさっき。――象と大きな鳥が現れて…らしいけど。さっきコーチが話してたの聞いたんだ」
「っ、けど、それと栞とは何の関係も――!」


 そこで、ハッと我に返った。先ほど、栞とともにいたぬいぐるみのような存在。喋っていた。動いていた。栞はそれを、『でじたるもんすたー』と言った。


「関わりがない、とは言いきれないでしょ」
「……っ」
「さっきの栞ちゃんの様子からして、最初の爆発事件にも、今回の爆破テロにも、もしかしたら関与している可能性が高い。だからお前だってそんなに心配しているんじゃないの?」
「それ、は…」
「――ごめん、一馬。別に俺はお前を責めてるわけじゃない。ただ、もし栞ちゃんが目の前にいて、お前がそんな顔をしていたらあの子は哀しがるんじゃないの?」


 相変わらず、涼しげな顔をして汗を拭く仕草は無駄のない動きだった。自分の手は止まっている。それほど、酷い顔をしていたんだろうか。――でも、ならざるを得ないだろう。
 栞が関係しているんだとしたら、もしかしたら怪我をしているかもしれない。もしかしたら泣いているかも、もしかしたら最悪の場合死に直結する場合だって―――「お?おい、一馬、あれ―」意識を中断させられ、苛立たしげに声をかけた結人を見た。


「なんだよ」
「いやいや、あれあれ。あっち」
「は?」


 驚いたように目を見開いている結人の指先を追って、彼の示す方向へ視線を向けた。―どうせ、猿がいるとかなんかだろうが。
 彼の元来より鋭い視線が、結人の指先へと向けられ、「…っ!?」、息を飲んだ。背の高い男性と、その横には一人の少女。男性の方は、一馬と同じように黒い髪を散らし、少しばかり目付きが悪かった。一馬とは血縁関係を窺わせるくらい、似ていた。もちろん、それは父であるし、その隣にいる少女というのは――。


「栞、」


 ぽつり、と名が漏れ、思い出すのは先ほどの少し変貌したあの子の姿だった。――目が赤く染まり、自分のことなど見えていないように、先へと行ってしまった。それを思うと、また表情が沈んでいたようで、「一馬、顔」と英士に指摘される。
 父がくることは知っていた。今日は父の仕事が早く終わるようだから、迎えに行くのは父であると母に言われていたからだ。けれど栞は――先ほどのことを除けば――キャンプではなかったのだろうか。
 ぼんやりと考えていると、不意に俯いていた彼女が顔をあげる。 思わずほっとしたのは、栞の目の色がいつものように灰色だったからだ。わずかに開かれる目は、いつもと同じように、嬉しそうだった。自惚れなんかじゃない。彼女は、自分以外にはあまり心を開かないから。

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