「…部屋、行ってます」
さすがに二人に止められてまで行きたいわけではない。控えめにそう告げれば、おばは安心したように小さく頷いた。
そのうち濃霧は晴れる。そうしたら電話だって可能だし、太一から昨日のことについて連絡が入るかもしれない。家で、大人しく待っていないと――果たして本当に霧は晴れるのだろうか。
「え…?」
黒いモヤが脳みそに覆いかぶさった。脳内に、低い声が響く。それは、どこかで聞いたことのあるような、甘い響きによく似ていた。ケーキのように、あるいはアイスクリームのように、そんな甘さを持っていた。
―――…オイデ
「なに、?」
―――… オ イデ 。
「―――!」
「…栞、どうかしたのか?」
リビングを出る間際で立ち止まった栞を不思議に思ったのか、おじは、その小さな背に問いかけた。彼女は立ち止まったまま、返事をしない。様子がおかしい栞に近づこうとした、その時、「キャア!!」―というおばの悲鳴が響いた。
「どうした?」おじは慌てて注意を栞から逸らし、おばの視線の方へと目をやる。
「あ、あああ、あれ!」
「一体どうし、っ、な、なんだ、あれは―」
二人して窓の向こう側を見て、目をひん剥いていた。栞はゆっくりとそちらを振り返り、ゆっくりとした動作で窓際に近寄る。―なんとなく、理解していたような気がする。
濃霧により視界ははっきりとしないが、うっすらと見えるそれは―おそらくこの世界に存在してはならぬもの―すなわち、デジモンだった。
「バケ、モン」
ぺたりと窓に手をついて、移動を続けるバケモンたちの大群を目で追った。外からも、悲鳴があがっている。まるでテレビの中の話のように、外は慌ただしく流れていく。
「化物、か―?…まさか、俺たちは夢でも――」
「そんな、そんなわけないでしょう!ッ、ああ、お隣さんが!」
「っ、!」
三人の目に映ったのは、バケモンによって連れ去られていくお隣の姿だった。まだ小さな子供を抱きかかえ、恐怖に滲んだ表情で、泣き叫んでいる。「助けてぇー!!」まるで地獄絵図のようだ。―いきなり訳もわからない存在に連れ去られたら、当たり前の光景だ。もし自分たちであったのならと想像を絶する。
「行動、始めたんだ…」
「栞…?」
「ヴァンデモン…っ」
寄せられた眉は、くっきりと憎しみを表していた。―あいつは、お台場全体を霧で覆い尽くし、八人目を是が非にも捕まえる気だろう。そしてゆくゆくは、栞自身も。
あのデジモンにとって、他の人間など見せしめにすぎない。連れていくだけ連れて行き、八人目と栞が捕まえたら定跡。捕まらなくても、二人という存在を誘き出す、人質にはなるといったところだ。二人が、捕まった人たちを見捨てられないのを見越して。―目の前がうっすらと赤く染まるのを感じる。心が少しだけ憎しみに染まり、怒りで体が大きく震えた。
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