「だめよ、」
震えた声に、おじもハッとし、栞を見やった。
「でも、行かなきゃ」
幼さを残した、優しい声。この子たちが、前の夫妻に見限られた時から、ずっと面倒を見てきた。息子の一馬と同じくらい大切な『娘』。時には抱きしめてあげることも、時には叱ったこともあった。けれど、わがままを言われたことは、一度だってなかった。
「私が、行かなきゃいけないんです」
蝉がその一生涯だけで、一番輝く一週間。まるでその輝きに似た儚さを秘めた少女の瞳は、どこか大人びていた。
「みんなを、守らなきゃいけないんです」
りん、と強く、強く。風に運ばれた風鈴のように、すずやかな音を立て、栞はそこに立っていた。あの時の、彼女の兄と同じだ。志貴も、凛とした強さを秘めて、どこかへ行ってしまった。
おじは視線を落とす。キャンプに行く前と、帰ってきてからと。この子の変化に気づかないわけがなかった。大人を否定しながらも、大人に守られていくだけしかなくて、精一杯の抵抗として笑顔というものを見せてはくれなかった。それが、キャンプから帰ってきたらどうだろうか。たくさんの友達ができた、たくさんの大切なことに気づいた。そう、笑顔で言ってくれた。花も恥じらうような、愛らしい笑顔。少しだけ、離れていた距離が、縮まったと思った。
「栞、」
「…はい」
「俺たちには、今何が起こっているのか分かりはしない。けれど、栞には何が起こっているのか、分かるんだな」
「はい、」
「栞にしか、できないことなんだね」
「あなた!」
「黙っていなさい。…そうだね、栞」
すがるように手を掴んだおばの手を、おじはやんわりと握りしめる。その穏やかな視線は、遠い記憶の中にある父に似ていた。
栞はややあって、大きく頷いた。言葉なんて、いらなかったのかもしれない。
「…そうか」
「はい」
「でも、外にはバケモノがいるのよ!捕まったら…!」
「おばサん。栞は高貴だカら、アイツらハ手出シはでキないンだ。そコらへンは心配いらなイ」
「え!?」
「え、と、―私なら大丈夫です。イヴモン…この子も一緒にいてくれるし、それに―あれは私を待っている、から」
栞は、後ろを向いて、遥か彼方に目を向ける。霧の中にたたずむ、悪の根源。まるで己を誘うように、霧がぐるぐると渦を巻いた。
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