095 不自由を盾にして
「『玲』が行こうって言ったんだからな。なのに寝坊するってどういうつもりなわけ?」
「はいはい、ごめんなさいって」
その日の出来事は、たとえ何年の月日が流れようとも、彼らの心から離れることはないだろう。
「いい加減機嫌直してよ、『翼』。あとでソフトクリームでもおごってあげるから」
「そんなのでつられるほど子供じゃない。馬鹿にしないでくれる?」
「小6はまだまだ子供よ、全く…」
日常から切り離された、 これから先、本当だったら関わることのない世界なのだから。
「あ、母さん?――靄がかかってるから早めに帰りなさいって言われて。でも、電車、止まっちゃってるんだ」
それでも時間は動き続ける。
止まることは決してない。
「そうねぇ。車も規制かかってて、迎えにも行けないのよ。『竹巳』、しばらくそこでじっとしてて。そのうち収まるだろうから」
「うん。わかった。あ、何か買って食べていい?お腹空いたんだ」
「ええ、無駄遣いだけはしないでね。じゃあ気をつけなさいよ」
いつもと変わらぬ朝なのに。
いつもとは違ったにおいがした。
「んー…もうこんなジカンかー…」
「『ユン』、そろそろ起きないと試合見に行けなくなっちゃうわよ」
「わかってるよ、おばさん」
いつもと変わらぬはずなのに。
いつもとは違った音がした。
「みんな少しは上達したかな。タノシミ。あと…早く会いたいな、 『栞』」
喧騒があたりで響き渡る。
何かが始まる音たちが すぐそばで。
★ ★ ★
「おっせーよ一馬!」
「悪い、霧で道が見えなくってさ」
「…確かに凄い霧だったね。早めに来て正解だったよ」
練習試合は午前10時からだった。お台場にある練習場で行うので、一馬としては別段早くいかなくても良かったのだが、英士と結人と考えた『技』の最終調整をしたかったから集合時間よりも早い時間帯に集まることにした。彼ら以外、人はいなかった。
「そーいえば英士、ユン帰ってきたのか?」
「後で来るよ」
「栞が会うの楽しみにしてた」
「ユンもそればっかで鬱陶しかった」
はぁ、と深いため息をついた英士に、一馬と結人は顔を見合わせ、笑った。「何笑ってるの」鋭い眼光で睨みつけられて、一馬はびくりと肩を揺らせ、結人はあっけらかんと肩をすくめた。
「そうだ、一馬。――栞ちゃん、大丈夫だったの?」
「…ん、まあ、うん」
「煮え切らねえな、一馬」
「とりあえず平気、だと思う」
「まったく…」
浮かない顔をしてぽーん、ぽーんとリフティングをしていると、足元からボールを掬われ、気づいたらそのボールは英士の足にあった。彼はいつものクールな表情で、一馬から奪ったボールを結人にパスした。慌てて受け取った結人だったが、すぐにニッと笑って、走り出した。
「あ、おい!」
「注意散漫しすぎ。ボール持ってる時は相手に隙見せちゃダメでしょ」
「英士!パース!」
少し先にいる結人から、英士に向けてダイレクトにパスが向かう――のを阻止した一馬の足元に、ボールはあった。
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