「…おじさんとおばさんは、ここにいてください」
「何を言ってる。俺たちは最後まで―」
「ここで待っていてください。お願いします」
「栞、」
「二人には、危険な目に、遭って欲しくないから」
はっきりと告げられた言葉は、普段のようなおどおどとした態度は一切見受けられなかった。ただすがるように、懇願された。
「俺たちだってお前に危険な目に遭って欲しくはない」
「でも――そうじゃないんです」
「そうじゃないって…」
「あそこには、一人でいかなきゃいけない。これが私の、戦いだから」
彼女の父と同じような、灰色の瞳は、いつも誰かを惹きつける。彼女の瞳は、不安げに揺れていた。それでもどこか純粋な強さを持っていた。
「もしあそこに一馬がいるのなら―絶対、ここに連れて帰ってきます。そのためにも、おじさんとおばさんにはここにいてほしいんです、」
そう言われてしまったのならば、首を振ることなどできはしない。―大人を嫌っていたはずの彼女なのに、いつの間にか、大人を言い負かすような成長をしていたのだ。
「――無茶だけは、するなよ」
「はい、」
「あなたは女の子なんだから―傷一つ、作っちゃだめよ」
「はい」
おばの手の中で、ペンダントが光り輝く。まるで、彼女の道標となるかのように、眩い光が舞い降りた。「栞、」「…うん、行こう、イヴモン」我が子の背中は、小さかった。隣にいる白い『デジモン』も小さかった。けれど1+1は2であるように、小さな二人でも、組み合わせれば二倍の力になる。それだけを信じよう。
――走りだした彼女がふと立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
「…おじさん、おばさん」
彼女は、二人を呼んだ。いつものように遠慮がちに、それでも、どこか強い響きを秘めていた。
「戻って、きたら…」
ためらった声は、どこか、甘えたように。
まるで、知ったばかりの声色で。
「――お父さん、お母さんって、呼んでもいいですか?」
いつか、そう呼んでくれる日がきてくれる、そう願っていた。
いつか、彼女は自分たちにも心を開いてくれる、そう祈ってきた。
嗚呼、 ――嗚呼。
「…もちろんだ、お前は俺たちの愛しい娘なんだから」
溢れ出そうになる涙をこらえるのが苦だった。口角をあげ、少し増えてきたシワが、延びた。うまく、声は出ていただろうか。うまく、笑えていただろうか。
「――行ってきます」
にこりと、あの子が笑った。
それは夏の太陽のように、明るいものではなかった。しかし、春の木漏れ日のように、暖かく、優しいものであった。 妹に良く似た姪の笑顔。それは数年ぶりに自分たちに向けられたものだった。
あの子が駆け抜けていく。走って転ばぬよう、きちんとその背中を見送った。先ほどは小さく見えた背中が、なぜだろう、頼もしいくらい大きく見えた。
「あなた… あの子が…栞が…笑ったわ」
「ああ…そうだな」
「私たちのこと、お父さんって、お母さんって呼ぶって、」
「ああ…」
「こんなに、こんなに嬉しいことってある?」
妻は涙が抑えきれないようで、両手で顔をおおいながら、そう言った。その華奢な肩を引き寄せ、自然と笑みが溢れた。
「あの子が帰ってこれる場所を―きちんとしていないとな」
「…ええ。ちゃんと笑顔で迎えてあげましょう。そしたら、みんなで家に帰りましょうね。一馬と栞と」
右手に持つ赤色のペンダントが、彼らに温もりを与えた。それはあの子の笑顔のように、優しい光だった。
「無事に帰ってきてね、 栞―」
ふわっと優しい風が吹いて、髪の毛を揺らす。風に乗った想いは、そっと栞に届いた。
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