098 フェイタルエラー
時刻は数時間前に遡る。
( ヒカリは無事だろうか…。ここに連れてこられていない時点でまだ見つかっていないということだとは思うが… 守人は―? )
どれほど痛めつけられても、決して口にはしないと決めた。ヒカリを、唯一無二のパートナーを『守る』と宣言したからだ。今のところ彼女を捉えたという知らせは入ってきてはいない。どうか、どうかこのまま。自分は消えてしまっても構わないから、どうか、ヒカリだけは見逃してくれ。あの優しい子を守ってくれ―そう願い思い浮かべるのは、己らにとっては神と同等の存在である秩序の姿だった。
ふわりと甘い匂いが鼻を掠め、思わず顔を歪める。口元には赤い印―『食事』でもしてきたのだろうか。『それ』は彼女に横に立つと、彼女の耳をぐっと引っ張った。
「何を思っている?テイルモン」
「―お前などに言うものか」
「守人に願いを捧げているのか?」
「あのような娘に願ってとて何になろう。あれはただの人間だ。弱い、人間だ」
「ほう?―そうは思っていない『目』をしているが」
「…っ」
「『会った』のだな、あの娘に」
唇は笑みの形を取った。思わず顔を振って手から逃れ、『それ』を精一杯睨みつけた。
「ならば分かるだろう。あの娘は至高だ。あの力を手に入れれば何にも勝る、」
「お前如きにあの娘を――否、あの方を操ることなどできはしない!」
「…どうだろうな?」
そう言って、『それ』は、笑った。それの下でどれほどの年月を過ごしてきただろう。だが、こんなにも何かに取り憑かれたように笑う姿など見たことがなかった。薄気味悪いくらい、嫌悪感を感じた。
そして気づいた。『それ』は、彼女を操る術を、持ってしまったのだと。
★ ★ ★
濃霧がお台場全体を包み込んでいったというのに、あたりからは雑踏すら聞こえてこなかった。連れ去られてしまった一馬のあとを追いかけようとしたのだが、何分霧が濃くて動けなかった。「ちくしょう!」ドンっと地面をたたきつける結人の顔は後悔に満ち溢れていた。となりに佇む英士は何も言わず、ただ眉間にしわをよせていた。
「何なんだよ、あれ…!!」
「………」
「一馬が…っ、一馬が…!!」
「……」
「なんだよ、何とか言えよ、英士!」
「――喚いて、何かが変わるわけじゃないでしょ」
「なんだと!?」
「喚けば一馬は戻ってくる?もう一度あの時間に戻れば俺たちは何かができる?――できるわけがない。ただ情けなく、立ち尽くして、ふるえるだけだよ」
「――ッ!!」
的確に、図星を指され、結人は唇を噛みしめた。異形の者を目にして、ただ、震えるだけしかできなかった。おそらく、二回目があったとしてもそこが変わるわけではない。――素直に畏怖を感じたのだ。漫画やアニメの世界に出てくるような化け物を目の前にして、たかだか小学生の自分に何が出来よう。――出来や、しない。
俯いた結人から視線をはずし、英士は一馬が連れ去られた方向を見やった。霧が深くて何も見えやしないが、あちらはビックサイトの方角だったはずだ。
――ビックサイト。あそこなら大人数の人間が収容できる。ふつうならあり得ない。しかしもし、先ほどのような化け物たちがこの世界に現れたとして、『何か』を探していてこの世界を侵略しようとしていたら―一馬のように連れ去られるものもいるのかもしれない。英士は眉根を寄せた。脳内を占めるのは、先ほどの化け物の姿だった。
―――…栞、それは守人の名前だ…。
あの化け物はそう言っていた。彼女を―おそらく、間違いではない、真田栞を、求めていた。英士の脳内は即座に切り替わり、それはあの日の休憩時間にさかのぼった。赤い瞳、人格さえ入れ替わったような態度――関係ないとは、言い切れない。
そしてすぐに―恥ずかしそうに照れたように笑う彼女の姿が浮かんで、目をつむった。
―――…栞は、俺が一番知っている!!
英士よりも、結人よりも、おそらく一番臆病であるはずの一馬が――自分たちの一歩前に出た。あの化け物相手に、臆することなく対峙していた。あの、一馬がだ。大切な、愛する家族を、守るために。そして、俺たちを――大事な友を守るために。
「……それに比べたら」
「え、?」
なんて、情けないのだろう。
まだ子供だから。そんな言い訳をしたって、――同じ年の同じ思いを共有する友は――進んだ。
サッカーでは、自分がパスを出して、それからいつも一馬がゴールを決めていた。でも今は。パスなんかもらわなくても、一馬は、ゴールを、決めたんだ。
英士は空を仰いだ。濃霧に包まれた空は、いつも見ていた青さがどこにもなくて、もの寂しい気持ちに襲われた。
「…なあ、英士」
「なに?」
「あれ…」
不意に結人の声に、彼は視線を向けた。
それは一馬が連れ去られていった方面――おそらくはビックサイトのある方角から、一筋の赤い光が見えていた。
「――…行こう、結人」
「…!!おう!!」
彼らは、走り出した。
そう、美しく、ゴールへと続くパスを出すために。
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