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「あ…ヤマトくん…」


 歩き続けること数分、案外、簡単に彼の姿を発見することはできた。だが、その背に近寄る黒い靄は栞の接近を拒むようにヤマトを多い隠していく。あれが恐らく、彼の心を覆っていく黒い闇の正体だろう。だからだろうか、彼女は、彼に声をかけることをためらってしまった。
 ああ、こんなにも。彼は繊細で、少しでも力を加えたらポキリと容易く折れてしまうのだろう。もちろん、その片鱗はこれまでの旅でも見え隠れしていたが、今は顕著にその気が現れている気がした。


「……っ誰だ!」


 先に気づいたのはヤマトの方だった。「栞…、」安堵したようなガブモンに頷いて、そこでようやく栞は一歩踏み出して、彼の名を呼ぶことができた。


「ヤマトくん、」
「ッ来るな、俺を放っておいてくれ!」
「! でも…」


 しかし、彼はすぐに彼女を否定する。自分に浴びせられるとは思わなかった激昂に、思わず声をつまらせ、肩を揺らす。
 けれど、彼の気持ちが、どうしてか、痛いほど突き刺さった。彼は今、戸惑っているのだ。


「俺は!俺はお前を見捨てようとした!タケルを助けたくて、お前を差し出そうとしたんだぞ…!?」
「ッでも、それを言ったのは私だよ、ヤマトくんは何も悪くない!」
「そんなことない、俺はあの時、そうすれば、そうすればタケルがって、そう思ったんだ、だから俺は!!」


 まるで自分に言い聞かせるように彼は拳を握りしめ、思いを吐き出す。じわり、と水滴が胸元に落とされるようにその思いが浸透していく。迷い子みたいに揺れる瞳は、年相応に、幼かった。
 思わずその手をつかんだ。そうしなければ、ふわふわ浮いた風船のようにどこか飛んでいってしまうと思ってしまったからだ。ヤマトは必死に手を振り払おうと力をこめるが、それでも力づくで払うことはしなかった。彼がやさしさと、葛藤の間で揺れていることが知れた。


「…おねがい、自分を責めないで…」


 出来るだけ自分の気持ちが伝わるように、空が自分にしてくれるような優しさを込めて、言葉を紡ぐ。ヤマトはその声に多少は心を許したのか、振り払う行為をやめたが、何かを堪えるように目をつむる。


「っもう俺には、資格がないんだ…」
「…資格、?」
「お前を守る資格も、守りたいって思う資格もない!だって俺は、タケルさえ無事であればそれで…それでいいと思った…」
「それでも……それでもいいって、私が思っても?」


 その栞の灰色の瞳は、穏やかに凪ぐ水面に似ていた。彼女の優しさを真正面から受け止める自信がなかったから、目を反らした。
 ミーン、ミン、と記憶の片隅で蝉が鳴く。さようなら、とそう告げた、あの日が甦る。


「っ……それじゃあ、だめなんだ」


 遠い日。別れた日。
 約束をしたあの日が、色を付けて、鮮明によみがえる。


「俺は、約束をやぶった」


―――…必ず、まもるから。
―――…ああ、 約束だ。


「……おまえの、兄ちゃんとの約束、やぶったんだ…」


 自分のものよりも数倍大きな手と指切りをかわした。
 男と、男の約束だと、そう、笑って。ぐしゃぐしゃにかき回された髪だけど、どこか誇らしかった。慕っていた人と、大好きな子のための約束をすることで、一人前の男だと認めれれた―そんな気がしていたから。
 その光景が、ぐしゃぐしゃに丸められて、ゴミ箱に投げ捨てられる。拾おうと手を伸ばしても、もう、そこには何もない。


「ヤマトく、」
「何かあったら守ってくれって、俺はそう言われたのに!」


 自分よりも何よりも妹を思うその姿に感銘を受けた。目指すべき兄の姿だと思ったのだ。両親の喧嘩が絶えない中、彼の姿を自分の中に置き換えて、タケルを守ろうとした。ずっと栞を守り続ける彼を追いかけて、同じように、タケルを、守りたかった。
 ―うまくいくはずがない。自分は彼とは違う。約束も守れず、タケルを守るために、たった一人の女の子を差し出すようなやつなんだから。


「俺は、約束を、やぶったんだ」


 堪えるように叫ぶ彼の声で、まるで体全体に雷が落ちたようだった。だから、それ以上、栞には何も言えなかった。かける言葉が見つからないのと同時に、兄の存在の大きさを、見せつけられた気がしたからだ。
 ずっと彼の節々に兄の存在を感じていた。それは彼が兄を思っていてくれたからなのだと知る。そのあとはもう、何も言えなかった。


「…悪い。ひとりにしてくれ。今の俺じゃ、お前を守れない」


 ぽつり、と彼は呟いた。


「お前はみんなのところに戻ってくれ」


 背を向けられる。しなやかな金の髪が風に乗って揺れた。
 けれど何も言えない。声もかけられない。ただ、その背を見つめることしかできない。


「――イヴモン」


 最後にヤマトは、隣で無言を貫くイヴモンに声をかけた。


「…ごめん」


 何か言いたげなガブモンがこちらをちらりと見ていたけれど、結局彼を追いかけ、森の奥へと去っていってしまった。
 ぽたり、と頬を涙がつたった。なんて無力なんだろう。――八人そろわなければ世界は救えない。

 欠けた角は、もう、戻らない。


17/08/12 訂正
16/11/07

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