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「…ごめんなさい。ちょっと、一人になりたいの、…ごめんね」


 腫れた瞼を隠すためか、ちっとも笑顔になりきれていない笑顔で彼女は言った。


「…あまリ遠くへ行かナいコト。何かアッたラすぐに叫ブコト。…コこにいるカラね」


 その言葉は過保護な彼にしては最大の譲歩といえた。申し訳ないと思いつつも、その好意に甘える。気持ちを落ち着けなければ、このまま戻ることはできないと判断したのだ。
 心配そうに見送る視線を遮るように歩き出し、少し離れた大きな木に額をついた。


「――なんにも、できない」


 深く息をはいて、目をつむった。
 再びじんわりとにじんだ涙をおさえきれず、やはり頬を涙が伝う。


「怖いよ、不安なの、……私は、どうすればいいのか、教えてよ…おにいちゃん…、」


 仲間ひとり欠けたことが、こんなにも恐怖心をあおられることだったなんて、初めて知った。八角形の欠けた角が戻らなければ、世界はすくえない。

 自分では、誰も救えない。
 仲間ひとり救えない自分に、世界など救えない。

 このままでは世界は。
 この世界が。

 顔面を両手で覆って、漏れる嗚咽を拾う声はない。―そう、思っていた。


「――簡単な話ですよー」


 思っていたのに。
 夏の日によく聞く風鈴の音のような、涼やかな声が、栞の耳へと届いた。間延びした口調は変わらないというのに、その声色は随分と様相が違う。


「ア、ム、モン…」
「…あなたに力がないのは、あなたが闇を恐れているからですー。あなたが闇を受け入れれば、全て終わりますよー?」


 日光に照らされた横顔は、愛らしいウサギの姿をしていた。けれどその瞳の奥に宿る感情は、どこか冷めていて、普段の様子からは考え付かないほど、悲しいものだった。


「あなたは闇を糧にしますー。その闇をあなた自身のものにしてしまえば、操る術を学べば、こんな不毛な争いは終わるんですよー」
「わたし、は、」


 振り返れば、すぐそこには赤い目をした己が立ち尽くす。油断していれば絡み取られて自身は乗っ取られてしまうだろう。―それはいやだ、それは怖い、そう頑なに拒もうとする己がいた。


「弱いままでは何も守れません。何一つ」
「―――…っ」
「あなたは守人です。思い出しなさい。あなたは光とともにあった。そしてあなたは自らの光を差し出し、闇に転じた。その時からあなた自身が闇であることを。この世界の闇であることを―」


 一歩、一歩と彼は栞のもとへ歩み寄る。

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