124 袋小路の王




「栞、」


 イヴモンは、約束通り、彼女を待っていた。
 一人になりたいと言って自分から離れて、数十分経ったころだった。腫れぼったい瞼は健在だが、それでも妙にすっきりした表情をして戻ってきた大切なあの子の名を呼んで駆け寄ろうとした。よかった、何ともなさそうだ。傍にいてあげられなかったし、慰めてもあげられなかったけれど、あの子は一人で乗り越えられたのだ―けれどその行為も、考察も憚れる。その後ろから現れた、己と同じ色をした、同じように生まれたそのデジモンをとらえて。


「……、」


 じんわり、と胸の中に沁み込んでいく、黒い感情。それはかつての己を形成していたもの。この色になる前の、怖い、色。


「僕の、」


 ぽつりと呟いた。顔面はくしゃりと歪められた。
 じんわりと身の内からあふれ出す黒い色が、己の白色を染めていく。まるで水面に落とされた墨汁のように、広がっていく。


「……僕の、場所が――」


「っイヴモン、ごめんね。もう大丈夫だよ」


 立ち止まって動かない己を気にしてか、駆け寄ってきたあの子に見つからないように、大きく息を吐いた。その息に混ぜて黒い感情を一緒に吐き出す。


「うウん、大丈夫ならソれが一番だヨ。ヨかっタ」


  そして笑みを浮かべた。
悟られないように、いつものように。

 心が、軋むのは。
 一部分がくすんでいくのは。

 すべて気づかないふりをして。


★ ★ ★




「デジヴァイスもダメですね…。栞さんが近くにいないからかもしれませんが、この森の中では正しく機能しないようです」


 その光の示す方向に、いつも仲間がいた。
 ひとつ溜息をついた光子郎は、デジヴァイスから目を離してその呟いた。同じデジヴァイスを持つ物同士ならば点滅して知らせてくれる機械からは、何の反応もなかった。
 あれからいくら捜し歩いただろう。彼らの姿は見えなかった。


「少し休んで様子を見た方がいいかもな。誰だって一人になりたいときはあるもんだ」


 口を挟んだのはテイルモンだった。
 どう考えても先ほどのヤマトの態度は冷静ではない。今再び顔を突き合わせたところで言い合いになる展開は見えている。ましてや太一だって相当苛立っている様子だ。見つけた途端、突っかかっていく姿も彼女の脳内では鮮明に描かれていた。


「早く二人を見つけなきゃ。俺たちは九人そろってなきゃダメなんだから!」
「でもみんな疲れてるよ…。この辺で一休みしといた方が…」

「八人そろったからって…栞さんがいたって、…戦ったって…みんな…」


 ぽつり、と立ち止まったミミが、呟く。喜怒哀楽が全て抜け落ちたその声は、どこまでも無機質に聞こえた。
 誰よりも純粋な彼女は、きっと誰よりも争いを嫌っていたから。その中で失う命を、誰よりも悼んでいたから。―なぜふつうの小学生が、命を懸けて戦わなければならないのだろうか。
 ダークマスターズとの遭遇で命を落としかけた自分を助けて一つの小さな命。追ってくる敵から逃げるために力を貸し、そして散っていった大きな背中。自分と同じ、尊い命。
 世界をすくう?それがみんなを守ることにつながる?―どうして、そんなことを自分がしなければいけないのか。そんな大きなことを、誰が望んだのだろう。同じように続く日常のなかで、些細な幸せをつかみ取れれば、きっとそれだけでよかったのに。
 繰り返し続く非情なまでの戦いのなかで、ホエーモンを失ったときに流した涙は、叫んだ言の葉は、彼女の中のすべてだったのだろう。


「ミミ、」
「ミミちゃん…」


 悩んだ末、空が声をかけた。
 その時だった。


「やっほー!」
「っ!ピノッキモン!」


 その場に似つかわしくない明るい声が上空から響き渡り、彼らは一斉に顔を上げた。その頬に一筋の汗が流れ落ちる。その視界に飛び込んでくるのが、この森の支配者であることが分かりきっていたからだ。

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