125 むっつめの闇




 光の方角から姿を現した栞は、他の子どもたちに怪我がないことを確認できた途端、安堵の息を漏らす。
 だがまだ安心はしていられるような状況ではなかった。仕向けられたガーベモンのうち、二体は倒せたものの、未だ一体は彼らと対峙している状況なのだから。


「栞、ヤマトくんはどうしたの…?」


 空も、栞同様、彼女自身に怪我がないことに安堵し、気が緩んだせいもあったが、そう問いかけた。栞が無事だったのなら、きっと同じタイミングでいなくなっていたヤマトも無事だろう。丈曰く、二人で同じ方角に消えたのだから、きっと一緒に戻ってくるものだと思っていた。
 もちろん、ヤマトの変貌には気づいていた。空自身が掴みかかられたのだから、ヤマトの精神は今は危ういものなのかもしれない。しかし、あのヤマトが栞に害をなすとは思えなかったし、きっと栞ならあのような状態になったヤマトでさえ連れてこれるだろうと妙な確信もあった。
 しかし、思いに反して、栞の後ろには2体のよく似たデジモンを連れている以外、誰もいなかった。


「ヤマト、くんは」


 その名を出したとき、栞の目に明らかな動揺が走ったし、悲しみに揺れた気もした。潤みを帯びていく気もした。―おそらく、2人の間になにかあったのだ。空は、ある種の女の勘で察した。だというのに、彼女はやんわりとほほ笑んだのだ。その微笑みは、瞳の様子と、あまりにも不釣り合いだった。だから、僅かな変化に違和感を覚えた。


「―栞…?」
「…大丈夫。きっと、…大丈夫」
「え…?」
「大丈夫」


 一種の、寒気を感じた。
 彼女がまるで自分に言い聞かせるようにその言葉を吐き続けたから。
 わずかな変化の違和感が、まるで歯車がかみ合うように、合致した。


「大丈夫。…私は、守人、だもの」


 “守人”としての覚悟を決めた栞の心がすでに“人”から遠く離れた場所にありつつあることを、空はまだ、知らなかった。


★ ★ ★




「くそーっ、この僕にウンチをかけるなんて!アイツは死刑だ!!」


 必死に顔面を小川で洗浄しながら、ピノッキモンは一人大きく文句を吐き出していた。
 ―どうしてうまくいかないんだよ!いいところでいつも邪魔が入る。この森には守人の“恩恵”は作動しないようになっているはずなのに。こんなことなら狩人の断片を屋敷においてこずに、自分で持っていればよかった。いくら断片とはいえ、覚醒していない守人にはそれだけで十分効果のある武器になりえるのだ。だから彼女の願いを受けてもガーベモンたちは動くことができたし、攻撃力だって低下することなく挑めたというのに。


「ピノッキモンさま!―作戦は成功いたしましたぞ」


 ふて腐れたように小川を見つめるピノッキモンに、嬉々とした声がかけられ、彼は気だるげに振り返る。声の持ち主は分かり切っていたし、ガーベモンの汚物を顔にうけた彼の苛立ちは最高潮だったので、この不快な気分を一層できる案件など早々ないだろうと踏んでいたからだ。


「ふーん、どんな作戦?」
「ウォーグレイモンとメタルガルルモン、二匹の究極体を戦わせるのでございます!」
「へ〜!おもしろいじゃん!」


 しかし予想に反して、ジュレイモンの作戦は、沈んだ気分を浮かせる効力のあるものだった。


「あの二匹が本気でたたかえばどちらも無事に済むはずがございません」


 一度言葉を区切り、ジュレイモンはにやりと笑った。その姿を想像しただけで、気分が高揚するというものだった。しかもその作戦を考え、実行させたのが己だと思うと、それはなおさらだ。


「いや…、うまくいけば二匹とも死ぬ。最強の二匹がいなくなってしまえばあとは雑魚ばかりでございます!」
「よぉし!そいつは急がなくちゃ!!スーパーバトルを見逃しちゃうよ!」


 新しい玩具を与えられた子供のように無邪気に笑い、ピノッキモンは特等席での観覧という快楽を得るためジュレイモンに背中を向ける。


「―選ばれし子供たちにはお気をつけください!侮ればピノッキモン様といえど、負けるかもしれませんぞ!」


 その背中に、ジュレイモンは言葉を投げかける。―さきほどのヤマトの様子を思い出し、ジュレイモンには一筋の不安が宿っていた。
 もちろん、究極体であり、ダークマスターズの一体でもあるピノッキモンの強さは重々承知の上だし、心配など烏滸がましいことであることも承知の上だ。しかし、選ばれし子供たちには得体のしれない強さが秘められている気がした。そして、それはきっと、ピノッキモンには決して得られないものであることを、彼は感づいていた。


「僕が…負けるだって…?」


 刹那、ピノッキモンを取り囲む空気が、冷えた。


「彼らはピノッキモン様に足りないものを持っております」
「僕に足りないもの…?―この僕に足りないものがあるっていうの?」


 ブリキ人形の、何の感情もうかがえないその顔が振り返る。瞳の鋭さは冷徹そのもの。そこに、微塵の感情などありはしなかった。


「左様。それは…」
「僕に足りないものなんかないんだ――っ!!!」


 甦る不快感に、勢いのままピノッキモンは飛び上がり、片手で持つハンマーをジュレイモンへと振り上げる。


「ブリットハンマー!!!」
「うおおおおおおおお!!!!!!」


 放たれた強烈な一撃、一瞬の出来事だった。ジュレイモンのデータは無残にも、消え去っていった。
 たとえそれが己の忠実なしもべであったとしても、己の気分を害するものには容赦しない。それが、ダークマスターズであり、強いて言えば捕食者である己の特権であるのだから。弱いやつは、弱いなりにご機嫌をとっていればいい。歯向かうやつには容赦しない。徹底的につぶすまでだ。


「ふん。僕に逆らうやつは誰だって許さないんだからね」


 悪い箇所を指摘されて拗ねる子供のようにふて腐れたようにつぶやいて、楽しいバトルの観覧場所へといそいだ。


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