129 もう、こんな思いは
両手でつかめるほどの幸せでいい―と少女は笑う。大きなものなどいらないのだ。彼女は大きな存在ではあるけれど、彼女にとっての世界とは、恐らく狭い鳥かごのような場所だったのだろう。その鳥かごの中にいるものたちが幸せなら、それで彼女も幸せだったのだ。それが、両手で掴めるほどなのだから。
しかし先述した通り、彼女自身は大きな存在であった。その狭い鳥かごの中を幸せにしただけでは、責務を果たしたことにはならない。多くの者が、自分にも幸せを与えよと押し寄せる。狭い鳥かごの中は直ぐにいっぱいになり、醜い諍いは後を絶たなかった。
両手でつかめるほどの幸せでよかった、と少女は笑う。その笑みは、いつか見たあのほほえみからは遠くかけはなれてしまっていた。そうして過ごしていくうちに、いつしか彼女から笑顔が消えた。遠くを見つめる瞳は、もはやすべきことを失った迷い子のようだった。
だから、彼は決意したのだ。この鳥かごから解き放ってしまおう、と。そうすれば、彼女は彼女の望んだ平凡な幸せを手に入れることができるのだから。苦しいことやつらいことの一切合切、己が引き受ける。誰にも悟られないように、ひっそり守っていこう。少女が手にしたかった、両手いっぱいの幸せとともに。
けれど彼女は最後まで、大きな存在だった。この世界からは決して引き離すことも、断ち切ることもできない。彼は、ただ少女を守りたかった。優しい彼女。
――いつだって、誰かのために祈りを捧げていた少女を、ただ守りたかったのだ。
「今度は一体なんだ!?」
がくり、と体が傾いたと思った瞬間、ブレーカーを落とされたように視界が暗く染まる。
太一が周りを確認するように見回すが、暗がりになれていない瞳では、まだ何一つ見えるものはなかった。だが、これはまた『ヒカリ』の仕業なのだろう、と確信とともに彼は傍らに立つ少女へ視線を送った。
「なあ、またどこかへ連れていくのか?」
「――いいえ、これをしたのは私ではありません」
告げられる言葉は、否。だが、その『ヒカリ』はさして驚いていない様子だったので、彼らはそこまで警戒心を持たなかった。
だが暗闇は一向に晴れない。いつまで経っても何のアクションも起きなかった。
「一体何がどうなってんだ…?」
しびれを切らした太一が呟いた、その時だった。
「あ……ッ!」
空の悲鳴が暗闇の中で響く。
「どうした、空!!」
その声色は恐怖というよりも困惑を含んでいたようだったが、太一は臨戦態勢をとり、空を振り返る。空は彼より後方にいたようで、後ろから声がしたからだ。
『ヒカリ』の中にいるものが特段警戒心を持たずいたので、暗闇というイレギュラーの空間でも安心しきっていたが、果たしてこの世界で安心できる場所などあったのだろうか。ここは『ヒカリ』が連れてきた場所ではないのなら、敵の手が伸びていたとしても何ら不自然ではなかった。少しばかりの後悔を持ちながら、デジヴァイスを握りしめた。
だが、太一の思いに反して空は、どこか泣き出しそうな顔をしながら首を振り、左手は心臓付近でかたく握りしめ、右手でゆっくりと前を指で示した。太一は指先に誘われるまま、その方向へ視線を送る。そして、目を見開いた。
「―――栞……?」
そこは、暗い、世界の中だった。だというのに、そこに立つ人物にはまるでスポットライトが当たっているかのように、光が降り注いでいた。
彼は、いや、彼ら全員が、そこに立つ人物は『彼女』なのだと理解した。
「あの時と同じ、栞…なのか…」
暗い、闇の中だった。
少女の瞳から、美しい涙が滑り落ちた。涙はそのまま真っ直ぐ地面へ落ちて、水の波紋となり、やがて空間の中に広がっていく。それは勢いよく空へと舞い上がった。そうして、光など入る余地もなかった空間の中で、光が生まれたのだ。光と呼ぶにはあまりにも弱弱しいものであったが、それは光以外の何物でもなかった。
視界が開けていく。世界の終焉が、そこにあった。
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