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――そこは、枯れ果てた世界であった。
この世界には闇が満ちていた。
はじまりは、本当に些細なところからだったのだろう。それも秩序である己が気づけないほど、ゆっくりと侵入してきた。いつの間にかその闇の力は、自分の力では律することができないほどの穢濁としてこの大地に降り積もってしまっていたのだ。気づいたときには、おそかった。それこそが、彼女の罪過なのだ。気づかないまま放置したことは大きな罪となった。
かつては光の力を多く保有していた命であったが、ある時を境に己の中の光は殆ど使い切ってしまったため、彼女のほとんどは闇となっていた。だからこそ、闇が蔓延る世界は病のもとだった。彼女には、世界を守り切れるほどの理性など、もうほんの僅かしか残されていなかったのだ。
誠心誠意をこめて祈りをささげるたびに零れ落ちていた彼女の中の僅かな光は、その穢濁の中に落とされ、もはや意味をなさなかった。日に日に強くなっていく憎悪の感情に、ついぞ、望みは絶たれた。
もう、終わりだ。
深く息を吸い込み、一つの決意を生み出した。これ以上、罪でこの大地を汚す前に、自ら終わりにしてしまうのが、せめてもの償いだった。
「…大丈夫よ、あなたたちは、私が守ってみせるから…」
剣呑とした目つきは、最後まで慈愛に満ち溢れていた。
かつては宵闇に染まる長く美しい髪から艶は抜け落ち、陶器のような肌は、ところどころ欠けていた。歩くたびに彼女からいくつもの“光”は抜け落ちていったが、それでも歩みを止めることはない。
「大丈夫、また芽吹く頃には、何もかもが終わっている。もう、あなたが苦しむことはないから――」
踏み荒らす大地に色はなく、枯れ果てた草木のなかを通り過ぎていく。かつてはここにも希望や自由があった。光が満ち溢れた世界だった。歩くたび零れ落ちていく光は点々と彼女の背後に落ちていた。同じように、力を使えば使うたび、彼女の闇は深まっていった。
彼女の周囲を黒と白の塊が慰めるようにチカッチカッと照らし出す。それが彼女に残された最後の“光”だった。
「あとは彼らに託した。もう何も思い残すこともない」
開けた場所には、小さな湖があった。四つの柱が立ち並び、その中心には台座が残されている。どこか頼りなげにふわふわと横を漂う二つの塊が先にその台座に鎮座する。
彼女はためらうことなく冷たい湖の中に身を沈めた。大事そうに抱えていた少年を台座の上に横たわらせる。その間、人差指の先を噛んで血が滴り落ちるのを確認してから、眠る少年の額に呪いをしるす。
しゃららららん………。
どこからか、鈴の音が響き渡った。鈴の音は、やがて光の塊となる。湖の上を滑るようにかけていく虹色の光沢が、東西南北四方に広がっていった。
瞬間、指先から光があふれ出し、少年が透明なベールによって包み込まれる。四つの柱から四つの色が飛び散った。併せ、少年を乗せたベールが宙に舞い、突如、パチン、と音を立てて、消えた。
「先に行って、待っていて。私も直ぐに、往くから」
その傍らに沈み込み、深い息をつくと同時に優しい笑みを浮かべた。口端から零れ落ちるのは、鮮血の赤。
「ああ……やっぱり」
ずるり、と全身の力が抜け落ちていくのが分かった。この世界を守るために持てるすべてを使い果たした己には、もう何も残っていなかったのだ。
もう、この世界には何もない。
「――一人は寂しい」
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