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「―――あなたの仕業ですね、『狩人』」
その言葉は、真っ直ぐに彼らよりも背後にいる栞へと送られた。
咄嗟に空は、「栞はあそこに」と言いそうになり、そこにはもう誰もいないことに気づいた。そして確かに、彼らのよく知る栞は彼らの背後で佇んでいる。目を見開く空は、更に違和感を覚えていた。
そうだ。『ヒカリ』は今、栞のことを『狩人』と、そう呼ばなかったか?だから違和感をかんじたのだ。何故なら栞は狩人ではなく、守人という立場にあるはずだ。今までの体験や経験から、はっきりとそう言える。あまりにも『ヒカリ』の中にいるものが遜色なく、狩人と呼ぶので思わずスルーしてしまいそうになったが、これは誤りである。
他の子どもたちもそう感じたのであろう。「あの、」と、光子郎が訂正しようと口を開けた。
――その時だった。
一体のうさぎの形をしたデジモンが、するりと彼らの間から躍り出た。長い耳がひょこひょこと揺れる。呆気にとられてその行動を見つめる子供たちの目の前で――正しくは栞の眼前にて、その足元に額づいた。その行為が当たり前のものであるかのように、そのデジモンは深く叩頭する。まるで王様に忠誠を誓う騎士のようなその行動は、映画の中でしか見たことがないような、不思議な光景だった。
そういえば、結局このデジモンの正体は聞けずじまいだったことを思い出す。名前をアムモンといったか。順応性も高く、子供たちの中に溶け込んでいたので特に気にしてはいなかった。格別実害はなかったし、それどころではなかったという方が正しいのだが。
そのアムモンは、どこか飄々としている仕草を見せていたが、こうも栞に対し、かしづく格好をしたことがあっただろうか。もちろん、栞が守人というからには、デジモンである彼が情愛を見せるのは当たり前のように感じた。だが彼らの記憶に残る限りでは、守人、という立場にいる栞に対しても特に分け隔てなく接していたように思える。
だがこの行動の意味を問いかけることができた人間は、この場にはいなかった。誰もが不可思議に思いながらも、言葉を発することを自ら咎めていた。
「………」
誰も何も話さないので、とても静かな空間だった。
栞はじ、っとアムモンを見やってから、やがて口角をあげ、柔く微笑んだ。同じ栞であるはずなのに、いつもの栞の笑い方とは異なる気が空にはしていた。それはほぼ確実だと思った。あの子はもっと穏やかに、静かに笑う。例えるなら春の木漏れ日。今の栞はどちらかといえば、活発に明るく、強いて言えば少年のような笑い方だった。例えるなら、夏の日に燦燦と降り注ぐ太陽の明るさ。
空が栞と友達になったのはそれほど前のことではない。それでも、その違いが分かるほど、ここ暫くは誰よりも栞の傍で彼女を見ていたのだと自負していた。自然と彼女へと送る視線は、戸惑いであふれていく。
彼女はゆっくりとひざを折り、視線を合わせると、洗い立てのタオルのようにふわふわとした毛並を撫でつける。
「――ごめん」
手をいったん止め、そう、一言だけ述べた。アムモンは、ただ、叩頭したままだった。
「栞……?」
何が起こっているのか分からない中、空が恐る恐る彼女に声をかける。どうして栞に声をかけるだけで、緊張してしまうのだろう。この異様な光景が、彼女をそうさせているのだろうか。けれど誰もが声をかけることをためらう中で、空だけが行動に移せたのは、彼女が誰よりも栞の近くにいた証拠といえた。
ふ、と視線が子供たちに向けられ、栞はもう一度アムモンの頭を撫でてから立ち上がった。
「――武之内、空ちゃん」
「え……?」
栞の真っ直ぐすぎる瞳が、空を射抜いた。まさかフルネームで呼ばれるとは思ってもみなかったし、更にいえばまた“ちゃん”付けで呼ばれるとは思ってもみなかった空は、ただ戸惑うだけだった。いつもは、空、とそう呼んでいたのに。
「いつも仲良くしてくれてありがとう。いつも優しくしてくれてありがとう」
「え…?栞、あなた、どうしたの…?」
それはまるで他人行儀な言い方だった。自分のことであるのに、違う人物のことを話しているようで、奇妙な違和感に襲われる。疑問を投げかけても、栞はただ同じように笑みを浮かべているだけだった。
「――ねえ、ちゃんと説明してあげないとみんなびっくりしてるよ」
「ん、」
呆れたように溜息をついた声を、子供たちはよく知っている。だからこそ、彼が栞に対してこのような口の利き方をするなどあり得ないと知っていた。そうして一つの可能性を見出した。―ヒカリの中に他のものが入っているように、栞の中にも栞ではない誰かが入っているのだ、と。そしてその答えの正解は、冒頭にあった。
確かに『ヒカリ』の中にいる者は、彼女を『狩人』と呼んでいた。あれは決して言い間違いではなく、勘違いでもなく、まさしくその人物を呼んでいたのだ。
「……“はじめまして”かな、選ばれし子供たち。そして、…悪かったな。お前たちにこんな苦渋を味合わせてしまって」
眉を下げ、悲しそうに笑う姿は、確かにいつも見ている栞そのものだった。だが少年らしい口調がそこに溶け込み、違和感を生んでいた。だから、栞であるのに栞ではないように感じるのだ。
「“俺”は、称号でいえば、 “狩人”とよばれている存在だ。――そして、現実世界では、こいつの兄にあたるかな」
“彼”は、夏の太陽のような明るさを持つ笑顔で、そう告げた。
2018/02/22
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