130 貴方に生かされていた
“彼”は、自らを栞の兄なのだと名乗った。栞の兄弟として有名なのは、お台場でも出会った真田一馬なのだが、彼は本当の兄弟ではないということは何となく周知済みであった。だが違う兄、と言われてもピンと来ない中、太一にはもう一人の兄の存在に思い当たる節があった。
あれは、デジタルワールドに着て初めての夜だ。この世界に不釣り合いな電車があった湖畔で、はじめて栞のことを知った。もちろん、クラスメイトとして知っている知っている部分はあったが、彼女自身の本心に触れたことはなかった。確か、栞はそこで、真田一馬とは違う兄の話をしてはいなかったか。
―――…一馬じゃないよ。…おにいちゃんは、今は、いないの。
―――…分からない。けど、もう、いないの。
その兄の存在が、彼女が人を避ける理由だと知った。
「栞、の、いなくなった、にいちゃん……」
ぽつり、と太一は呟いた。これが、という思いと、何故、という気持ちが太一の中で複雑に絡み合う。太一のつぶやきに反応したのは意外にもヤマトだった。先ほどまで派手に喧嘩をしていた相手にも関わらず、太一の顔を凝視したあと、呆然と一歩前に出た。
今、目の前にいる“彼”が本当に栞の兄だというのなら、彼は“彼”を知っているはずだった。
「志貴……兄、ちゃん、」
「……おう、ヤマト。大きくなったな」
「俺…俺……約束……」
「…お前が気に病むことないんだぞ。お前はよくやってくれたよ。ありがとな」
「……っ」
名を呼べば、栞の姿だというのに、彼女の背後に彼の存在が重なってヤマトには見えた。優しく笑う姿は、幼い頃の記憶の中の、彼女の兄と何ら変わらない。兄として、あこがれた存在だ。だからこそ、彼女を差し出そうとした自分を許せなかったのだ。赦してもらえるわけない。その思いとは裏腹に、“彼”はあっけらかん、と言ってのけた。呆然とする。
おそるおそる、といった様子でタケルに裾を引っ張られなければ暫く思考の中から戻ってこられなかったかもしれなかった。ハッとしてタケルを見やれば、タケルは不思議そうに自分と“彼”を見比べていた。
「お、お兄ちゃん…栞さんのおにいさんのこと知ってるの…?」
「お前は――タケルだな、お前も大きくなったな。今、二年生だっけか?そりゃ大きくなるよなぁ」
「僕のことも知ってるの?」
「ああ、もちろん」
驚くタケルに“彼”は当たり前だと言わんばかりに頷いて、それから周囲を見渡した。子供たち一人一人の顔を見て、今まで明るく笑っていた表情を引き締め、目を閉じた。
「――もちろん、俺が知っているのはヤマトやタケルだけじゃない。…選ばれし子供たち。お前たちのこともよく知っている。いつも、ここから見ていた」
“彼”は右手で心臓を指さす。
「あなたは――一体……」
「俺は狩人。この世界の災厄を狩る者だ。少なくとも、今の役目はな」
「災厄を、狩る……」
「お前たちに先ほど見せた映像、よりも前の話だ――世界は既に終わりを迎えようとしていた。栞…つまり守人が病んでしまったんだ。蔓延る闇の力によって」
彼らの脳裏に、先ほどの映像が甦る。
暗い世界。夢も希望ない。枯れ果てた世界を闊歩する少女から、光が抜け落ちていく。
「闇の力は強大だった。世界は闇に飲まれ、ひとり、またひとりと倒れていった。俺も、そのうちのひとりだ。―俺はかつて、守人から光を分け与えられ命を救われたことがあるんだが」
「それ―聞いたことがある!レオモンとイヴモンに」
「そうだったか、なら話ははやいな」
サンキュ、と、“彼”はイヴモンに声をかける。イヴモンは体をふるわせた。
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