episode 10
曹達曇天の街


小さなクレアの左手は、しっかりとモリーのバックを掴んでいた。その反対側の手―つまり右手では、そんなクレアの手よりも小さなジニーの手が握られている。つかんだモリーのバックはもちろん、握られたジニーの手を離してしまったら大変なことになってしまうと子供心ながらに感じていた。

「うわぁ…」

クレアは今日はじめて家から遠出――つまり“お出かけ”をしていた。先日の会話をモリーは覚えており、今朝めざめの一言でクレアに絵本を購入してくれると言ったのだ。もちろんクレアは控えめに拒否をしたのだがモリーは遠慮するなと言い、半ば強引に彼女と下の娘であるジニーを連れ、何でもそろうと評判のダイアゴン横丁へとやってきた。
方法はといえば、こちらも始めての経験となる“煙突飛行ネットワーク”をつかった。まだ幼いクレアにはその仕組みが理解できなかった。自分の家の暖炉と他の暖炉が繋がっているから凄い程度の認識でしかなかった。しっかり発音するんだよ、というビルの教え通り、煙突飛行の際に使用するという煙突飛行粉をつかみ、「ダイアゴン横丁!」ときっちり発音した。するとどうだろう。クレアの身体は緑の炎につつまれ、上へ上へと吸い込まれていった。気づいたら、大きなパブの中に彼女はいた。不安げに辺りを見回すクレアの心配をよそにモリーとジニーが到着した。今日はクレアにとって、初体験ばかりの日だった。
初めて訪れたその場所――“ダイアゴン横丁”はたくさんの店がずらりと並んでいたし、何よりたくさんの人で溢れ返っていたので、クレアは自然とモリーのバックを握る手を強めた。圧倒された。何せウィーズリー家以外の人間を見るのは、クレア自身をウィーズリー家へと連れて来たダンブルドアを除いてでは初めてだったのだ。
モリーはそんなクレアを気遣うようにその頭に手をおいた。

「凄い人でしょう?迷子になってはいけませんよ」
「しっかり握っているもの、大丈夫よ」
「き、をつけます、」

若干青ざめている顔を見てモリーは心配になったが、人ごみに慣れていくのもクレアのためだ。この“お出かけ”にはその意味もこめられていた。―まさか、クレアをこのまま家に中に閉じ込めておくわけにはいかない。外に出さないといけない。外に慣らさなければならない。頭を人撫でしてモリーはにっこりと笑う。

「今日はお金はもう持っているので、このままの足で本屋に行きましょうね」
「前に私が来た時はね、グリンゴッツ銀行でお金をおろしたのよ。お金がなかったんですって」

コソコソとジニーはクレアの耳元でそう告げた。「さあさ、お金のことは気にしないで!行きましょう」パンパンと両手を叩いたモリーは少しだけ速足になった。あまりお金の話題には触れたくない様子だった。
モリーに連れられてダイアゴン横丁を練り歩く。人にぶつからないように、最新の気を配りながら。 それでもショーウィンドウに陳列された摩訶不思議な商品たちに目を奪われないわけなかった。「わあ…」うちに置いてあるような拙い箒ではなく、大きく、綺麗に塗装された箒たちが目に映った。

「あらクレアも箒に興味があるの?」
「…う、ううん…」
「こんなにいい箒、買ってあげられないわ…」

モリーの呟きは人々の喧騒の中に消えていく。クレアにはその声は届かなかった。けれどモリーの表情やため息を見て、これは話してはいけないことなんだと悟る。慌ててクレアは目を逸らした。隣のジニーをちらりと見るも、ジニーの興味はどうやら箒ではなく、その斜め前にあるフクロウたちが売られている店にあった。

「ママ、フクロウかわいいわ!」
「ええ。そうですね。でもうちにはエロールがいますから」
「でもエロールはもうよぼよぼよ」
「ジニー、そんなことを言ってはいけませんよ」

ジニーはすねたように、それでも惜しげにフクロウたちを見つめていた。モリーはこれ以上ここにいてはいけないと察したらしく、ずんずんと前へと歩きはじめる。もちろんジニーもクレアもそれにつられて歩き出す。クレアはそっと後ろを振り返った。きらきら光る太陽に照らされた箒が、何故か何よりも輝いて見えた。

「どうしたの?」
「…ううん、なんでもない」
「二人とも。箒もフクロウも買ってあげられないけれど、アイスなら買ってあげられますよ」
「わあ、アイス!本当に?」
「ええ。フローリシュ・アンド・ブロッツ書店に行ったあとでアイスパーラーに行きましょう」
「良かったわね、クレア!」

アイスは、好きだ。一瞬にしてクレアの意識が箒よりアイスに向けられ、彼女は小さく微笑った。太陽のまぶしさに、彼女の銀色の髪は光り輝いていた。


「―――……“クレア”?」


ひっそりとしていてどこか頼り気のない、驚愕に満ちた静かな男性の声が、喧噪のなかに溶け込んでいった。もちろん、クレアはその声には気づかなかった。

  


絵柄を見てとても気に入った絵本をおずおずとモリーに差し出すと、モリーはその本をジニーが手にしていた絵本と重ねて会計をしてくれた。大した値段ではないにしろ大所帯のウィーズリー家には些細な出費すら許されない。そのことにうすうす気づいていたから、クレアは少しだけ心配そうな面持ちでその動作を見送った。
ジニーとここで待っていてねとモリーに言われたので、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店の入り口付近でモリーを持っていれば、こそこそという声がクレアの耳についた。

「紅い目よ…」
「なんておぞましい」
「気味が悪いわ」

ちらりとそちらをうかがうように目線を向ければ、こそこそ話をしていた中年くらいの女性たちの視線はこちらを、否クレアを射抜いていた。嫌悪に満ちた瞳だったと思う。幼いながらに戦慄した。なぜあのような目で見られなければならないのか分からなかった。

「例のあの人と同じ紅蓮の瞳なんて」

クレアは急いで目を逸らして下を見た。ウィーズリー家の者たちは一切この瞳の色については触れなかった。もしかしたら同じことを思っていたのではないか。一瞬にしてふるえた。あのやさしさすべてがまぼろしだと思いたくない。思えない。しかし、人は異端を嫌う。赤い瞳が異端なのかと問われればそれはクレアには分からないが、現にあの女性たちは嫌悪を顔に浮かべていた。クレアはもう一度女性たちを見て、彼女たちはクレアと目が合うとあからさまに怯えたに身を竦めその場から立ち去った。
それは取るに足らない、ほんの一瞬の出来事だった。しかしそれは、幼いクレアの心に冷たく鋭利なナイフのように突き刺さっていた。そして折角の楽しいお出かけだったはずなのに、重たい雷雲を引き連れてきた。



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