その日の夜、ウィーズリー家の戸をたたいたのは、あの雨の日にクレアをここまで連れてきた老人だった。老人はたっぷりと蓄えた髭を撫でてから、案内された椅子に座った。アーサーやモリーから話を聞いて来てくれたのだろう。
老人は眼鏡の奥の丸い瞳が穏やかにクレアを見つめ、それから優しく笑いかけ、それからウインクをした。
「久しぶりじゃな、クレア。どれ、憂いに満ちた顔をしておるのう。可愛い顔が台無しじゃよ」
実のところ、クレアは自分とこの老人の関係性について未だ理解していない。恐らく初めて自分が人というものを認識したのがこの老人、つまりダンブルドアであった。意識が浮上したら、そこにダンブルドアがいた。彼と自分に血のつながりなど一つもなくとも、これほどまでに心安らぐ相手もいなかった。ダンブルドアが笑ってくれると、胸に渦巻く不安がすっと消えていった気がした。 クレアの瞳から、ほろほろと涙が零れ落ちたのを見て、ダンブルドアはそのしわくちゃな手で彼女の頭をゆっくり撫でてくれた。
暫くして、ダンブルドアは、クレアに、何があったのかを優しく問いかけた。クレアはモリーが淹れてくれたホットミルクの入ったマグカップを持つ手に視線を落とす。
「おばさんからはぐれて、それで、変なところにいってしまったの」
ぽつりぽつりと、彼女は語りだした。その間もダンブルドアはガラス玉のような瞳をクレアに向けていた。
「黒くて、暗くて、とてもおそろしいところ。そうしたら変なおんなのひとに声をかけられて、それで、それで…」
「何を言われたのか教えてくれるか、クレア」
「う、うん、あのね、いつか思い出す日がくるって…私の運命は、私のものじゃないって」
その言葉に、ダンブルドアはそのガラス玉のような澄んだ瞳を、少しだけ細めた。何も言わないダンブルドアに妙な気配を感じたのか、クレアが不安そうに顔を持ち上げると、すぐにいつもの三日月型の優しい瞳に戻った。
「それに、みんな言ったの。私の赤い瞳、こわいって。あのひとと同じ色だから、こわいって、不吉って」
「…そうじゃったか」
「私、おかしい子なの?この色はおかしい色なの?」
じわりとクレアの瞳に涙がにじんだ。人々の間で飛び交う流言に、幼いクレアの心はひどく傷ついてしまった。
赤い瞳は不吉の象徴。例のあの人と同じ色。なんとおぞましい色なのだろうか―。その悪口雑言のような言葉が、いつまでも耳元にまとわりついて離れない。
「…クレアよ、その色にはとても深い意味があるのじゃ」
「いみ…?」
「その色はのう、とある人物と同じ色なのじゃ。その人物は、人々を恐怖に陥れた。君がその人物でなくとも、人々はその色を見ると恐れおののいてしまうのじゃろう」
「私、かんけいないのに」
自分とは関係のない人物のことなのに、ただ色が同じというだけであのような視線を受け入れなきゃいけないのか。これからずっと、生きていくうえで、それはついて回るのか。本格的に泣き始めたクレアだったが、ダンブルドアは動じず、ただその手でクレアの手を握った。
「…そうじゃのう。君は何も関係がない。自由に生きなければならない」
「……」
「じゃからな、クレアよ。その色を、隠してみるのはどうじゃ?」
「かくす…?」
「その色である以上、今日のような出来事は避けることができまい。ならば、その色さえなくせば、君は誰からも悲しいことを言われずに済む。自由に、平和に生きることができるのじゃ」
難しいことはクレアには分からない。だけど人から悪いように言われたり、今日みたいなことは怖いと思う。あんな目には二度と遭いたくない。クレアは、ダンブルドアの瞳をじっと見つめた。
「わしはのう、クレア。君の瞳を恐ろしいなどと思ったことは一度もない。君自身を現す、魅力的な色じゃとも思う。じゃがのう、わしは君のキュートな笑顔が好きでな。その笑顔が、隠れてしまうのは寂しい。色を隠したことでその笑顔がずっと続くのであれば、そうしてほしいと願う。これはわしのわがままなのじゃがな」
そう言って、ダンブルドアはお茶目にウインクしてみせた。クレアは唇をぎゅっと結んでから、小さく、頷いてみせた。同じように目の前のダンブルドアは優しく微笑み、頷いた。
「ではクレアよ、君にとびきりの魔法をかけようかのう」
ローブの中から一本の古びた杖を取り出して、クレアに向けた。反射的に瞳を閉じる。パッと瞼の向こうで閃光が走り、目が熱くなった。
「もう囚われる必要はどこにもない。君は、また違う道を歩める」
まるで子守歌のような声を聞いていたら、光は消え去り、熱くなり始めていた瞳が冷えて行った。
「さあ目を開けてごらん」
誘われるように、瞳を開ける。紅蓮の瞳はそこにはなかった。
「赤い色も綺麗じゃが、こっちの色もクレアによく似合っておるよ」
「…どんな色?」
「それはな…あそこに聞き耳を立てておる君の保護者に聞いてみるがよい」
笑いを含んだその言葉にきょとんと首を傾げ、それからおさげを揺らして振り返る。少し禿げた頭と、ふくよかな体が戸に隠れきれず、クレアの瞳に映った。もう一度ダンブルドアを見ると、彼はやっぱり茶目っ気たっぷりにウインクをしてみせた。クレアは大きく頷いて、勢いよく立ち上がると戸のところへ駆けていった。
「そうじゃよ、クレア。もう囚われる必要なんてどこにもない。君は自由じゃ…。どれ、ホットミルクをいただこうかのう。おお、冷めてしまっておるな」
それでも甘く、心にしみわたるその味をゆっくりと噛みしめ、ダンブルドアは微笑んだ。戸のところで、モリーはクレアをだきしめ、アーサーはクレアの頭をゆっくりと撫でていた。
「とてもきれいですよ、クレア。あなたにとてもよく似合っているわ」
「どちらの色も、どちらの君も、何にも代えがたく素敵だよ、クレア」
賛辞の声を受けて、クレアは恥ずかしそうに笑う。ダンブルドアはもう一口ホットミルクを口にする。ひげが白くそまった。