episode 13
しみ透る光
クレアはあの日以来、外に出ることを怖がった。ダンブルドアによって瞳の色は変えられ、もうこの瞳のことであれこれ言われることはないだろうに、それでもあの日の出来事は幼いクレアの心にトラウマとして深く残ってしまった。庭に出るくらいなら嬉々として駈け出していくのだが、買い物になろうものなら、椅子に座って絵本を読んで忙しいふりをし始める。ちなみに買ってもらった絵本は何度も何度も読み返したおかげですでにボロボロだった。
「家に引きこもるようになってしまっているわ、どうしましょうアーサー…」
「うーん…しかしこの状態で無理に外へ連れていっても、余計に閉じこもってしまうかもしれないな…」
「でもそれでは!」
「声が大きいぞ、モリー。まだまだ時間はあるんだ、ゆっくりでもいいじゃないか」
小難しい本を読んでいるパーシーの横で、静かに同じ絵本を読んでいるクレアを二人で見つめた。他の子供たちと変わらないくらい愛しい存在であるこの子供を守るのは、誰から強要されたわけでもなく、自分たちが決めたことだ。ページをめくるたびにその銀色のおさげがひょこひょこ揺れ、本から目を外したパーシーがその姿を見て、少しだけ表情を崩して優しい目をしていた。その光景が微笑ましい。
「そうね、アーサー。ゆっくり時間をかけて、あの子と世界を馴染ませてあげましょう」
見つめる瞳は優しい。愛に溢れていた。愛を知らなかった少女に、色鮮やかな愛を示すために、二人は顔を見合わせて、頷いた。
この二人から与えられる優しくて深い愛情は、クレアにもしっかり伝わっていた。本から顔をあげて、少し離れた場所にいるアーサーとモリーに視線を向けた。―こんなんじゃダメだと、幼心ながらに感じた。それから本に視線を落とし、少しだけ眉を寄せる。今では黄金に輝く瞳が、本ではない何かを見つめていた。
「困ったわ」
それから数日後の、暗雲が空に轟く日だった。夕飯の支度にとりかかろうと腰をあげたモリーが突然声をあげたのだ。クレアは外を眺めていた視線を、モリーの方へと送ると、モリーは困ったようにテーブルの上に置かれた羊皮紙を見つめていた。クレアはモリーに近寄り、くいっとエプロンを引っ張った。
「どうしたの…?」
「ああ…クレア…。これアーサーが忘れていってしまったみたいなの。今日、これを渡しにディゴリーさんの家に行ったのに、これじゃ意味ないわね…。仕方ないわ、煙突飛行で行けばすぐだし、少し夕食は遅れてしまうけれど、私が届けに―」
「わ、私が、行く!」
エプロンをはずそうとしたモリーに、ぴょん、と跳ねてクレアは自身をアピールした。モリーは一瞬動きを止め、目を瞬かせた。反応がないので不安になったクレアは、もう一度モリーのエプロンを引っ張り、それから自身を指さした。
「わ、私がおじさんに届ける!そうしたらおばさん、うれしいって思う?」
モリーは呆気にとられたが、思わず頷いた。クレアはほっとしたように笑う。
この子は、気付いていたのか。自分たちの気がかりなことを、肌で感じ取っていたのか。
「でもクレア、知らない人のお家に行くんですよ。大丈夫なの?」
「…こわいけど、でも、頑張れるよ。だから私がおじさんに届けてくる。大丈夫、煙突飛行なら、前にやったことあるから」
一度だけダイアゴン横丁に行く際、使用しただけだというのに。自信満々に告げるその口ぶりからは何度も使っている様子が現れていて、モリーは表情を変える。その変わった表情が何でか悲痛に満ちていて、クレアは一瞬戸惑った。
「…ではクレア、お願いします。ディゴリーさんのお家よ、間違えてはいけませんよ」
「うん」
そういえばクレアはようやくモリーやアーサーに対しても敬語ではなくなった。二人を両親のように慕い始めた証拠だった。その二人が憂いていることは、自分が引きこもっていることなのだから、トラウマは心に刻み込まれていても頑張らなければいけないと思ったのだ。
ドキドキした鼓動を抑えながら、クレアは左手に羊皮紙を、右手にはフルーパウダーを一掴みし、暖炉の中に入った。
「ディゴリー家!」
緑光を発する粉を暖炉に投げ捨て、行先を告げると、たちまち紅蓮の炎が粉と同じ深緑に染め上げられ、クレアの身はたちまち大きな火に包まれていった。
「……クレア」
アーサーもいるのだから、きっと大丈夫だ。そう自身に言い聞かせが、何故かモリーの心中には深い不安が轟いていた。
暖炉から巻き起こった煙が喉をつきさして、クレアは思わずコホと咳払いをした。左手には紙の感触があったので、きちんと羊皮紙は握りしめられていたようだ。目の前も煙が巻き起こっていてよく見えなかったので、クレアはそこが本当にディゴリー家なのかどうかわからなかった。見えたとしても一度も訪れたことのないディゴリー家を本物かどうか判断することはできないのだが。
次第に目が慣れてきて、ここがウィーズリー家でないことだけは分かったので、恐らくここがディゴリー家なのだろうと推測する。コホ、ともう一度咳ばらいをしてから立ち上がろうと身体を起こしたとき、何かがクレアの目の前に突き出された。
「大丈夫?」
突き出された何かは、自分のものよりかは少しばかり大きな手だった。耳に届いた声は、柔らかい、少年のもののようだった。声からして自分とそう変わらない年頃そうだったので、息子、だろうか。クレアの身は少しばかり強張り、手に持った羊皮紙を強く握りしめてしまった。
自分から行くと決意したのはこれ以上おばやおじに心配をかけたくないからだったのだが、いざこうして他人を目の前にすると恐怖で身が竦む。耳を掠めていくのは、あの日の醜悪がにじむ声だった。
「…えっと」
「……ッ」
少年は、羊皮紙を握りしめたまま固まってしまった、自分と同じ年頃の少女が一体誰なのかは分からないが、客人であることに間違いはないのだから、いつまでも暖炉の中で座らせておくわけにはいかないと幼いながらに理解していて、少年は少女の手を掴んだ。それは自分のものよりも小さくて柔らかい手だったし、少女の体は驚くほど軽かった。
「ごめんね、でも暖炉の中は綺麗とは言えないし…えっと…きみは?」
「………あ、…う」
「う?」
「……こ、こ、ここは、ディ、ディゴリーさんの、おたく、ですか」
少年に声をかけられて、クレアは固まっていた身をほぐして、そしたら今度は変な汗が全身からあふれ出てきてしまった。―でもここで引いてしまったら何も変わらない。だからクレアは精一杯の勇気を振り絞って声を出した。声は上ずっていたし、妙に早口になってしまったので少年は一回首を傾げたけれど、言葉の意味を自分の中で反芻してから、にっこりと笑った。
「うん、そうだよ」
「…あ、あの、えっと、わたし、おじさんに…ええと…」
「……大丈夫、ゆっくりでいいよ」
少年はまたにっこりと笑った。うまく言葉が出てこないクレアを安心させるように、優しい笑顔だった。緊張がゆっくりとほぐれていくのが分かって、クレアはおそるおそる少年と目を合わせてみる。とてもきれいな灰色の瞳をしていた。コトリと変な音が胸の奥で鳴った。
「……あの…おじさん…アーサーおじさん…きてますか?」
「アーサー…。…ああ、ウィーズリーさんかな?」
「! はい、そうです!」
「ウィーズリーさんなら今書斎にいるよ。父さんと仕事の話をしてるんだ」
「あ、あの、わたし、おじさんに、これ、届けにきました…」
力が入ってしまったせいで、少しばかり羊皮紙は草臥れてしまっていたけれど、おずおずとそれを少年に見せれば、少年は瞬きをしてから、再度笑った。
「うん、分かった。じゃあ書斎に案内するよ。僕についてきて」
「は、はい」
ほっと胸をなでおろし、クレアは強張ってしまっていた表情を和らげた。
「あ、そうだ。きみ、名前なんていうんだい?僕はセドリック。セドリック・ディゴリー」
「え、ええと」
少年はくるりと振り返り、クレアに手を差し伸べた。それは先ほどの自分を立ち上がらせるときとは違う意味で差し伸べられていることくらい、クレアにも理解できたので、またおずおずと自分の手で彼の手を取る。握手を交わした。
「クレア、です」
ファミリーネームはあえて言わなかった。自分とアーサーのファミリーネームが違うことを突っ込まれるのが億劫に感じたからだ。だが少年―セドリックは何も言わず、よろしくねクレア、と彼女の小さな手を握った。
書斎に連れていかれる短い時間であったが、このディゴリー家が随分と立派な屋敷であることが分かった。ウィーズリー家とは違い、どこもかしこも綺麗で高級そうな家具が置いてある。見ればセドリックも随分と綺麗な召し物を着ていたので、クレアは少しだけ俯いて、セドリックの後をついていった。別にこの継ぎはぎだらけの洋服が嫌いなわけじゃない。むしろ大好きだ。モリーが一生懸命繕ってくれたものだからだ。なのにどうして居たたまれなくなるのだろう。クレアにはまだ分からなかった。
「ここだよ。…父さん、入るよ」
これまた立派な扉だったのでクレアは目を見開いた。そんな彼女の様子に気づきもしないで、コンコン、とセドリックは扉をノックして、その扉を開けた。
「おお、セドリック。どうしたんだ?」
書斎とはいえ、クレアとジニーの部屋よりも十分に広かった。ソファに座っていた中年くらいの男性が振り返り、優しく笑う。どことなく、セドリックに似ていた。男性は愛しい息子を手招いて、その背後に見知らぬ少女がいることに気づいた。
「うん?その子は―」
「クレアじゃないか!一体どうしたんだ?」
「アーサー、知り合いか?」
クレアは俯いていた顔をあげた。ぴょこん、と彼女からぶら下がるふたつのおさげが揺れる。
男性の前に腰を下ろしていた少し禿げた頭が特徴的の同じく中年男性は驚いたようにクレアに駆け寄ってきた。クレアはほっと息をつく。この男性こそが間違いなく毎日家で見ているアーサー・ウィーズリー本人だったからだ。
「おじさん、」
「吃驚したよ、一体どうかしたのかい?」
「あのこれ…忘れ物、おばさんから」
「ん?…ああ!そうだ、これを渡しにきたというのにすっかり忘れていたよ!助かったぞ!」
聞けば、この男性と仕事の話―主にマグル製品とアーサーは言っていた―で盛り上がってしまっていたせいで本来の目的であったこの羊皮紙のことを忘れてしまっていたらしい。アーサーは心底安堵した顔をして、それからクレアの頭を何度もなでた。
「本当に助かったよ、ありがとう、クレア」
「ううん」
少しこそばゆくて、でも、そのありがとうの言葉がとても嬉しかったから、クレアははにかんで笑ってみせた。
「アーサー、その子は?」
「ああ、エイモス。今は訳合ってうちで預かっているんだ。クレアという。確か君の息子―セドリックはうちの双子と同じ年だったから…年でいえばセドリックの2つ下になるのか」
「そうかそうか。可愛らしい娘さんだな」
男性―エイモスは人の好い笑顔を浮かべてクレアを見つめた。その瞳はやはりセドリックに似ていて、自然と警戒心はほぐれていく。
「いやあしかし本当に助かった。よく一人で来れたな、クレア」
「…うん。だいじょうぶだったよ」
はにかんでいるクレアを見て、アーサーは安堵の息を漏らす。外におびえていた彼女にとって、ここへ来ることはどれほど恐ろしいことだったのだろうと考えるととても苦しくなる。それでも勇気を振り絞ってきてくれた。本当にいい子だ、ともう一度頭を撫でた。
「そうかそうか。セドリックもすまなかったね、ありがとう」
「はい」
アーサーはそう言ってセドリックの頭を撫でたので、セドリックも嬉しそうにはにかんだ。その笑顔を見て、クレアはまた自分の胸の奥で、コトリ、と変な音が鳴るのを感じて内心首を傾げていた。
「ではすまないけれどこの案件についてエイモスと話さなければならないので、クレア、先にかえっていてもらってもいいかい?モリーには夕食は遅れそうだと伝えてほしいんだ」
「うん、わかった」
「それなら夕食はうちで食べていけばいいさ。遅くなっても気にしなくてもいいだろうから」
「いや、それは悪い」
「なに気にすることはないさ。セドリック、お母さんにアーサーの分の夕食も用意するように伝えておいておくれ」
「うん、わかったよ父さん」
「クレア、悪いがアーサーをもう少し貸してくれるかい」
「……は、はい」
「エイモス、悪いな。…クレア、そういうことで私は夕飯をご馳走になってくるからそうモリーに伝えてくれるかい」
どうやら話はひと段落ついたようだ。クレアはアーサーの言葉にしっかりと頷いてみせた。今度のクレアの使命はこの要件をしっかりとモリーに伝えることである。
「セドリック、暖炉のところまで案内してあげなさい」
「分かってる。…じゃあ行こうか、クレア」
「は、はい」
「かしこまらなくていいよ。そんなに年変わらないんだし、砕けてくれてかまわないから」
セドリックは、フレッドとジョージと同い年とは思えないほど大人びた少年だった。動作一つ一つがスマートで、紳士的だったので、クレアの胸の奥がまた変な音を立てたのは言うまでもなかった。
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